花祭りの日から、エヴァリーンのトールに対する態度が変わった。
どこが、どのようにと問われると難しい。ただ、前よりも柔らかくなった。
詐欺令嬢と呼ばれ、社交界につまはじきにされていたお嬢様の結婚が、いよいよ現実に近づいてきた。ギャラリーは、本人たち以上に大盛り上がりだ。

トールはますます積極的に屋敷を訪れるようになった。ほぼ毎日、屋敷に顔を出しては、贈り物をくれて、他愛ない話をする。
時間があればお茶をしたり、一緒に町に出かけることもある。
愛を囁(ささや)かれ真っ赤になるエヴァリーンの姿は、最近、伯爵邸の名物のようになっていた。

トールと過ごす時間は、心地よい。
再会した日は、警戒心丸出しで、とても仲が良かった二人には見えなかった。それが、今では、手を繋ぐのも、互いに触れるのも当たり前になっていた。
まったく嫌じゃない。それどころか、楽しんでいる。エヴァリーン自身も、自分の気持ちの変化に気づいていた。
今日とて、二人は中庭で仲良くお茶をしていた。
家人は、気を利かせて、お茶の準備を終えると、そそくさ屋敷の方へ戻っていった。
お茶会もそろそろお開きという頃、トールが口を開いた。

今度の休日、芝居を観に行かないか?

芝居?

そう。王都の劇場で人気の演目をらしいんだ。勿論(もちろん)、君さえよければだけど。

歌劇や芝居を好む貴族は多い。王都で人気の演目ともなれば、社交界で見知った顔ぶれもいるはずだ。
そんな人目につきそうな場所に、二人きりで行くなんて、仮初の範囲を超えやしないか。
トールとの関係は、あくまで仮のもの。それは変わってない。
大きな噂になったら、三か月後、双方が困ることになる。
二人でいると楽しいと思うのとは、まったく別の問題だ。
返事を濁(にご)すエヴァリーンに、トールは畳みかける。

どうしても君と行きたいんだ。駄目かな?

子犬のような目で懇願されると、「駄目」とは言えない。
結局、エヴァリーンは彼の申し出を了承したのだった。

約束の日がやって来た。
エヴァリーンは、侍女たちに身支度をして貰い、迎えの馬車に乗り込んだ。
レースとフリルで飾られたドレスは、モスグリーン、アクセントとなるアクセサリーは赤でまとめてある。ドレスの裾は、ペチコートでふんわりと膨らませて、スタイルを綺麗に見せるため、コルセットもきつめにしめてもらった。
おかげで、いつもより窮屈だけど、三割増しに綺麗になったはずだ。エヴァリーンは胸を張って、劇場に向かった。
トールとは劇場で落ち合う予定になっている。仕事があって迎えには来られないと、あらかじめ伝えられていた。
よく考えると、侯爵家の次男が遊んでばかりいられるはずもない。忙しい合間を縫って、伯爵邸に来てくれたのだ。

分かっていても、まだ彼のことを信じきれない。

どうして彼のような人がエヴァリーンに求婚してきたのか理解できない。何度も考えているけど、毎回迷宮入りに終わっている。
抜群の美人でもない。資産家でもない。とびっきり器量がいいわけでも、愛嬌があるわけでもない。

ホント、なんでだろう。

彼といる時は、楽しくて、核心を聞き出せずにいる。そのせいで、仮初の関係の終わりが近づくたび湿っぽい気分になる。
俯(うつむ)きがちで馬車に揺られていると、御者に呼ばれた。ぼんやりしている内に、到着したようだ。
馬車を降りると、待ち合わせの相手がすぐに駆けつけてくれた。

エヴァリーン! 今日は一段ときれいだね。女神が舞い降りたのかと思ったよ。

正装のトールは、世界中の光を一身に集めたようにきれいだった。まるで、絵本に出てくる王子様が飛び出してきたようだ。普通なら歯の浮くような台詞が似合う。

……トールも、今日はすごくカッコいいよ。

ありがとう。

素直に告げると、トールは少しはにかみながら微笑み返した。
その仕草にドキドキしながら、エヴァリーンは差し出された手を取った。
劇場に入ると、中年の男性が、揉み手でやって来た。

この度は、当劇場にお越しくださいまして、ありがとうございます。

九十度にお辞儀をした人物は、この劇場の支配人で、サイモンと名乗った。
侯爵家の子息(おまけに詐欺貴族の令嬢)の来場を知って、駆けつけたのだろう。広いおでこに、汗をかいていた。
トールは貴公子の笑みを崩さす対応する。

僕も彼女も、この芝居を楽しみにしていました。ああ。彼女は、僕の婚約者なんです。王都で評判の芝居を、どうしてもみせてあげたくて。

いざ、紹介されるとちょっぴり恥ずかしかった。
エヴァリーンは、少し頬を染めて小さくお辞儀した。

エヴァリーンと言います。

ご丁寧に、どうもありがとうございます。そうでしたか。婚約者様でしたか。どうりで、とてもお美しいわけです。

トールに夢中で、眼中にすらなかったくせに。
明らかなお世辞は、別段珍しいものでもないので、適当に微笑んで受け流した。
サイモンは気を良くしたのか、その後も、舞台について、歌について滔々(とうとう)と語り続けた。エヴァリーンはすぐに除け者にされ、仕方なく化粧室に向かった。
鏡台の前で、髪飾りの位置を直して、前髪を整える。口紅が気になったものの、道具がないから直しようがない。
舞台が始まる五分前まで、エヴァリーンはじっくり向き合い、身だしなみを入念にチェックした。
しばらく過ごしたところでボックス席に戻ると、今度は女性の黄色い声でにぎわっていた。一人や二人ではない。カーテンを捲って、エヴァリーンは唖然(あぜん)とした。

ねえ、トール。この後、私の楽屋に遊びに来てよ。

サービスするからぁ。

ずる~い。ねえ、トール。私の方が先よね。

トールが、女優らしい、華やかな舞台衣装をきた女性に囲まれている。甘ったるい声に、反吐(へど)が出そうだ。
彼に夢中なのか、彼女たちはエヴァリーンの存在には気づきもしない。

トール、お待たせ。

エヴァリーン!

上っ面だけで微笑むと、トールの腕に自分の腕を絡ませた。

そろそろ、舞台が始まりますよ。

女性たちは不満げに表情を曇らせるも、すごすご去って行った。
トールは何か言おうと口を開きかけたが、エヴァリーンはにっこり笑って席に座った。

いよいよ、開演ね。

結局、彼は何も言わなかった。
開幕後は、しずかに芝居を観るのがマナーだ。エヴァリーンは、思考を切り替えて、舞台に注目した。
演目は、太陽の王女と月の王子。悪い魔女に呪いをかけられた王女と王子の恋物語だ。
話は、呪いのせいで、夜は醜い老婆に変わってしまう王女が、美しい王子と出会うところから始まる。
呪いのせいで夜の間は城の塔に閉じ込められている王女は、窓から見えた美しい青年に心を奪われる。しかし、朝日が昇ると、青年の姿は煙のように消えてしまう。朝日が昇り、少女の姿に戻った王女は、外に出てみる。そこには、一輪のマーガレットが咲いていた。
王女はマーガレットを摘んで、持ち帰り、自室の花瓶に飾った。
日が沈み、腰の曲がった老婆の姿に変わった王女の前に、消えたはずの青年が現れる。

ありがとう、美しい人。あなたのおかげで私は救われた。

王子は、王女のしわくちゃの手に、恭しく口付けた。その仕草に、胸がキュンとなる。
王子は悪い魔女の呪いのせいで、昼間は花に姿を変えられていたのだ。
中身は人なので、太陽の怒りが眩しい、暑すぎるなど、花だった青年が大仰な身振り手振りで語るのが面白い。
老婆に変わった自分を、王子は嫌がらない。純粋で美しい心を持つ王子に、王女は惹かれていく。王子もまた、花に変わった自分を熱心に世話してくれ、人に戻った彼に良くしてくれる優しい王女を、好きになった。
しかし、悪い魔女の策略で二人は離れ離れにされてしまう。王子は、自らの国に閉じ込められた。
実は、王子の叔父が悪い魔女に呪いをかけさせた本人で、王子を自分の傀儡(かいらい)にして国を乗っ取ろうと画策していた。
王子が城の玉座に縛り付けられ、叔父に降伏を迫られるシーンで第一幕は終わる。
幕間(まくあい)になり、照明が一斉に灯った。エヴァリーンは思い切り伸びをした。

はあ……面白かったけど、ちょっと疲れた。

思っていた以上に、面白い。来て良かった。
壮大で美しい物語に、幻想的な光景。あっという間に、劇の世界に引き込まれた。幕間になっても、まだ夢の世界にいるようだ。

そうだね。後半も楽しみだ。……僕、ちょっと出てくるよ。すぐに戻るから。

トールが席を離れると、エヴァリーンはだらしなく背もたれに寄りかかった。
色々と疲れた。
劇が一段落し、思考が勝手に開幕前に戻される。
あの女性たちは、確実にトールの知り合いだ。彼女たちは親しげにトールの名を呼んでいたし、トールも無理やり突き放したりはしなかった。
思い出すと、気分が悪い。
所詮、仮初の関係だと、何度も言い聞かせてきた。
トールや、彼女たちを責めることもしない。そんな御大層な権利が、自分にあるとも思っていない。
それでも、腹が立つ。
仮でも婚約者として振舞うと約束した。それなのに、他の女にうつつを抜かすなんて。
思い出すと憂鬱(ゆううつ)になるだけだ。エヴァリーンは、邪念を振り払って天井を仰いだ。
そこへ、どたどた人が駆けてきた。

すみません、テオドール様のお連れの方ですよね!?

ええ……彼に何か?

階下で事故があって、怪我をしているんです。あなたの名前を呼んでいます。早く来てください!

エヴァリーンは、一、二もなく駆け出した。席を立つと、女性の後を追って、階段を下りていく。
辿りついたのは、一階の倉庫のようなところだった。
何でこんな場所に、と口を開きかけたその時、後ろから羽交い絞めにされて布のようなものを口に当てられる。

邪魔なのよ。

ホント、目障り。

詐欺令嬢が。しばらく頭を冷やすといいわ。

その言葉、そっくりそのまま返してやる!―――そう言えないまま、意識が遠ざかった。

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