彼女の方を向きながら、意識を合わせるように目を閉じる。
彼女の方を向きながら、意識を合わせるように目を閉じる。
ゆらり、ゆらり。
呼吸の速度が同じになって、虚ろな意識の波長が重なり始める。
落ちる。暗い海の底に。
漂う。雲の狭間に。
立つ。荒れ果てた荒野に。
ゆっくりと瞳を開けると、目の前には木の扉。人の心、夢の世界への入り口。
ピンで留められた彼女の名前は『真庭愛奈』。
まにわあいな、可愛らしいお名前で。さっそく、と私は扉に手をかける。すると。
やっぱり入るのやめておこうかな。可愛らしいお名前とは正反対のヴァイオレンスな騒音が聞こえたんだけど。
何をためらっているのさ
チーシャ!
いつの間にやってきたのか、私の肩に黒猫がちょこんと座っている。見た目は確かに黒猫なんだけど、実際のところはちょっと、ううんだいぶ違っている。そもそも人語を話すし、コイツ。
大変遺憾なことだけど、現在コレが私の相棒。夢の世界で悪夢を倒すナビゲーターにして、超ドSな夢の世界の住人。
助けにきたんだろう? だったら早く彼女の悪夢の原因を見つけていち早く取り除いてあげなきゃ。彼女、そう長くは寝てくれないと思うよ
そうなの?
寝言で寝ちゃダメ、っていうくらいだから本人としても寝ているのは不本意なんだろうけど。
さ、早く行こう
あ、ちょっと待って
こんな激しい音がしているところにこのまま突っ込むのは心許ない。
ゆっくりと深呼吸をして、手を合わせて瞳を閉じる。
彼女の夢の中に、私の世界を造り出す。
空は青、太陽は赤、地は緑。
花びらが舞い、鳥がさえずり、風が旅する。
其は夢幻より来たりて、夢幻に座し、夢幻に帰すものなり。
――the Days of Empty Glory(失われし暗き光)
私の全身を暖かさが包む。プールで泳いだ日の帰り道みたいな浮いてしまいそうな感覚。本当に飛んでしまいそうな体にぐっと力を込めて、大地にしがみつくように足を突っ張った。
私を包む衣装が変わる。ただの中学の制服からコスプレみたいな魔法服へと。レースにリボンをあしらったペールピンクのセーラーワンピ。肉球付きのショートブーツにグローブ、ネコ耳とアイマスク。
これからあと何回着るかはわからないけど、たぶん一生慣れないと思う。
それじゃ、行くよ
目の前の扉は消えていた。その代わりに私が今作り出した青空が広がる草原に一歩を踏み出した。でもチーシャは私の顔を見つめながら、にやにやとだらしなく頬を緩めている。
どうしたの?
いや、朝華ってやっぱり結構厨二入ってるね
な!?
き、聞かれた? 今の完全オリジナル詠唱呪文。もしかして口に出してた!?
忘れてたのかい? 僕には心が読める。特にわかりやすい君の心ならなおさらね
わ、忘れてたー!
言ってしまえば夢の世界の住人なんて頭の中にいる存在なわけで。私の頭の中に漂う言葉なんて水と水が合わさって一つになってしまうようなもの。簡単に自分のものにしてしまう。
……やっぱりもう帰る
ちょ、ちょっと待って。まだ真庭さんの悪夢を解決してないよ
今、私にとってこの瞬間が悪夢みたいだもん
だ、だったら早く解決しよう。時間もないんだからさ
そうだった。時間がないんだった。
一刻も早く目覚めたいと思っている真庭さんが起きないうちに悪夢をはらって気持ちよい朝を提供する。それが私の役目。
彼女の姿を探して走り出すと同時に、ものすごい轟音が耳に届いた。頭につけたネコ耳じゃなくて本物の方。
あっちだ
うん、行こう
音のした方へと走る。一蹴りで全速力。二蹴りで空を飛ぶ鳥を追い越す。魔法服、アクションアシストスーツに身を包んだ私は紛れもない魔法少女。いつもは評定二の体育の成績なんて、ここではなんの指標にもならない。
いた!
遠くに見えた真庭さんの背中。その手には、武器?
戦ってる?
そうみたいだね
地平線の向こう側、少しずつその相手の姿が見えてくる。
巨大ロボ?
日曜日の朝に毎週出演していそうな超合金製っぽいロボが拳を振るって真庭さんに襲いかかっている。大振りだからなんとかかわせてはいるけれど、当たれば一発で倒されちゃいそうかも。夢の中だから実際にはどうなるかわからないけど。
あれ、何?
チーシャの方へと向き直ると、隣でふむふむ、と一人納得している。
なるほど、あれが彼女を苦しめているものの正体だ
そんなもの見れば誰にだってわかる。
だからそれって何なの!?
なんでも人に聞くのはよくないよ。まずは自分で試してみなきゃ
もう、このドS黒猫!
さらに速度を上げて、私は真庭さんの元へと猛ダッシュ。容赦なく振り回される蹴りが彼女を捉える直前でなんとかその体を抱え上げてロボから距離を取った。
だ、だだだ、大丈夫れしゅか!?
すみません、私が大丈夫じゃないです。カッコつけて出ていったっていうのに、これじゃ全然締まらない。正義の魔法少女への道はまだ遠い。
ダメ、寝ちゃダメ
え?
寝ちゃダメ。間に合わない。まにあわない
私の声なんて全然聞こえてないみたい。ロボからこんなに距離をとったのにむしろ体の震えはどんどん増してきている。
ダメだよ、朝華。彼女の仕事を奪っちゃ
仕事?
いつの間にか近づいてきていたチーシャがやれやれという風に首振った。
そう。彼女にとってあれは倒すべき相手。その戦いを邪魔しちゃ、ね
じゃあ、どうすればいいの?
ここで君ができることは一つしかないだろう?
この世界で私ができること。それはたった一つだけ。
全力で、壊す!