朝だ。真っ暗な朝だ。今日も太陽がさんさんと降り注ぐ真っ暗な朝だった。

朝華

眠い、もう朝か

 すっかり口癖となってしまったおはよう代わりの言葉を自分に呟いてから、カーテンの隙間から漏れる朝日を吸血鬼のように嫌って、布団の中に潜り込んだ。

 朝が明るいのは、太陽の光が眩しいからじゃない。

 その人にとって一日が始まることが楽しいから朝は明るいのだ。今日が終わってしまうのが惜しいから夜は世界が暗く見えるのだ。

 私にとってはまったく反対のことだった。もう一度目を閉じたらもう学校行く時間はとうに過ぎて、外に出なくて済む。でも私にとっては夜だってやっぱり真っ暗だった。

 私は抵抗するのを諦めて、いつ止めたのか記憶にない目覚まし時計に手を伸ばす。

 十一時。自信はないけど、たぶん午前だと思う。アナログ時計じゃわからないけど。

朝華

もはや、昼か

 私、最早昼華(もはやひるか)は遅刻が確定したのを確認してもう一度柔らかいベッドに横たわって。

朝華

そんなことしてる場合じゃない!

 と華麗にノリツッコミを決めた。

 我ながら意味がわからない。誰ですか、昼華って。

 ぐるぐると鳴る柔らかいお腹をさすり、ハンガーに掛けた制服に手を伸ばす。サボってしまおうか、とも思ったけど、ここで学校に行かなかったら、私のランクはさらに一つ下がってとうとう「ひきこもり」の称号を手にしてしまう。

 ひきこもり少女、眠井朝華(ねむいあさか)。

 そんな未来は受け容れられない。

 私はちょっとカッコ悪いと思っている胸元の名札に変な称号がついていないかを確認して、部屋を飛び出した。

 変な時間に登校するって本当に居心地が悪い。

 買い物に行くおばさんも、犬の散歩しているおじいさんも、お母さんに手を引かれる子供まで。

 みんな私の方を見ているような気がするから。

 ごめんなさい、こんな私で、ごめんなさい(字余り)。

 人の視線を避けるように身を縮めて、私は通学路を逃げるように走っていく。

朝華

はぁ、はぁ。疲れた

 どうしてこんなに疲れなくちゃいけないんだろう。私がいったい何をした。そりゃ寝坊はしましたけども。

 ガラスのハートに負けず劣らず、体の方も貧弱にできているんです。

 校門を開けてもらって、すぐに校舎の中に逃げ込んだ。ここまでくれば遅刻した変な子だとは簡単には思われないで済む。今度は教室にも行かず、みんなといられない変な子だと思われるだけだ。

朝華

お、おはよう、ございます

 なんとなく入りにくい保健室の扉を少しだけ開けて、中を覗く。保健教諭の板井先生はデスクに座って、こちらに笑顔を向けていた。

 嘘偽りない、本物の笑顔。これだから男子生徒はみんなちょっとしたケガでここに駆け込んでくる。私もあんな風に笑えたら、教室に入ることもできるのかも。

 いや、無理無理。絶対無理。世の中にはできることとできないことがあるんです。

 自分に話しかけてきた人に笑顔で答えるなんて私にはできるはずがない。

板井先生

今日はもう来ないかと思ってたわ。来てくれてありがとう、眠井さん

朝華

いえ、学校に来るのは学生の義務です、から

 義務じゃなくて権利だったっけ。そんなことはどっちでもいいかな。とにかく私は今日もここまでは来れたのだ。何も恥じることはない。

 私の遅い一限目が始まる。教科書と問題集とクラスでも配られている一日遅れの小テストや課題プリント。教えられなくたって理解はできる。私は一問一問教科書の記述を読んで課題の問題とにらめっこ。ほうほう、これはこうですか。

 あっという間に今日の授業が終わりに近付いてくる。遅刻したから当たり前なんだけど。

板井先生

それじゃ、ここまで解けたら終わりにしましょうか

 板井先生が私の問題集のページを指差して言った。

朝華

は、はい。頑張ります

 できないことはないけれど、簡単ではないそのページ数。板井先生の授業はいつも適格だ。直接教えてくれるわけではないけれど、いつも私のことを見て、決して甘やかさずに課題の範囲を決めてくれる。

板井先生

私はちょっと用事があるから。自分のペースで頑張ってね

 そう言って板井先生は保健室を出て行った。

朝華

自分のペースで

 それを守れば必ず終えられると板井先生はわかっているのだ。この学校でたぶん唯一の私の理解者。その期待を裏切ることはできない。

朝華

頑張らない、と

 あれ? なんだか視界が揺れているような気がする。ううん、違う。これは私の頭が揺れているのか。

 そっか、私は今、眠いのか。
 朝から慣れないことをするもんじゃない。急いで走ってきた結果、やってくるのがこの眠気か。

 まだ時間は十分ある。

 ちょっとだけ、あの真っ白できれいなベッドにダイブしてもいいだろうか。

 いつもなら課題を終わらせてからと決めているけど、たまにはフライングしてもいいよね?

 誰も座っていない板井先生のデスクに問いかける。答えはOKということにしてしまおう。

 同じく白いカーテンを引いて、白いベッドに潜り込む。保健室はどこを見ても真っ白だ。世界中でここだけが明るい色でできている。

 制服に皺がつくのなんて気にならない。疲れた目を閉じようとしたところで、カーテンの向こうで扉が開く音がした。

朝華

誰か来た?

 間一髪。ナイス、私の第六感。カーテンを引いてしまえばベッドは使用中という意味。こちらを覗くことなどありえない。

愛奈

あれぇ、保険の先生いないのー?

 眠たそうな声。人の事は全然言える立場じゃないんだけど。

朝華

そうだった!

 今は板井先生がいないんだった。どうしよう。出て行ってそれとなく用件を聞いてあげたほうがいいかな?

 でも、そんなことできるわけない。

 カーテンの向こうの人影は光で透けて動きだけが確認できる。先生の姿を探してキョロキョロと辺りを窺っているみたいだ。

朝華

先生、なら、いません、よ

 カーテン越しに小さな声で伝えてみる。薄いカーテンだというのに私の声はシャットアウト。向こう側には一デシベルも伝わってない。

 これが今の私の精いっぱい。思いよ伝われ、とみょんみょんカーテン越しに念じてみるだけ。

 それがどれほどの効果を発揮したのかはわからないけど、カーテン越しに映る影は隣のベッドに潜り込んだみたいだった。

朝華

はぁ、はぁ、よかった

 通学路を走ったときと同じ動悸がしている。今のは精神の全力疾走。限界寸前まで走りきった私の顔は真っ赤に染まっている。

朝華

うぅ、やっぱりちょっと寝ちゃおう

 隣で彼女が寝たのを見て、私もベッドの方へと向き直る。体調が悪かったのかな、と思っていると、背中から寝言が聞こえてきた。

愛奈

あぁ、眠い

朝華

ね、寝てるのに?

 思わず振り返ってカーテンの隙間から隣のベッドに顔を覗かせた。

 ベッドの上で確かに彼女は眠っている。他に誰もいない保健室の中で可愛らしく寝息を立てている。

愛奈

でも、寝ちゃ、ダメ

朝華

ダメ?

 寝ちゃダメなんてどういうこと? 定期試験にはまだまだ遠いし、彼女が三年生だとしてもそんなに受験で焦る時期じゃないと思うんだけど。

朝華

ちょっと見てみたいな

 いったいどんな夢を見ているんだろう。

 半分は興味本位。半分は使命感。

 私は悪夢を倒す魔法少女、くそねみまじかる朝華なのだ。

 ……名前はめちゃくちゃカッコ悪いけど。

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