白猫探偵事務所は御通夜同然の空気が流れていた。

 原因は、応接間のテーブルの真ん中に置かれた一通の手紙だ。

伊崎恭子

……旦那が、これを?

蓮村幹人

ええ

 伊崎恭子を前に、幹人は沈痛な面持ちで述べる。

蓮村幹人

騒ぎの後、戦闘に加担していたうちの社員が城の武器庫から発見した物です。封はまだ開けてないので、こちらもまだ内容は知らない

伊崎恭子

ここで開けてもよろしいですか?

蓮村幹人

ご随意に

 幹人が頷くと、恭子は早速封を切り、中に入っていた通帳と一枚の折りたたまれた紙を取り出した。通帳の中身はおそらく保険金の代わりだろう。

 手紙に目を通し、恭子は呆れたように微笑んだ。

伊崎恭子

……本当に、馬鹿な人

 これが彼女にとって、彼の不器用な一面に触れる最後の機会だったのかもしれない。

伊崎恭子

蓮村さん。もしよろしければ、この手紙を届けてくれた社員さんにお礼を伝えてはくれないでしょうか

蓮村幹人

ええ。言っておきます

伊崎恭子

ありがとうございます

 恭子は身支度を整えると、幹人と一緒に席を立って、再び頭を下げる。

伊崎恭子

旦那に代わって、改めてお礼を申し上げます。この度はありがとうございました

蓮村幹人

こちらこそ、大した力になれなくて申し訳ないです。それと……

 たっぷり間を持たせ、青葉から伝えられた言葉をそのまま口に出した。

蓮村幹人

うちの社員はこう言ってました。彼は最後の最後まで立派に戦った――と

伊崎恭子

それが聞けただけでも満足です

 彼女はまたしても頭を下げ、穏やかな足取りでこの事務所を後にした。

 しばらくして、別室から青葉が現れる。

貴陽青葉

すまない

 開口一番、青葉は飼い主に叱られた子犬みたいな顔をして謝罪する。

貴陽青葉

みんなに迷惑や心配をたくさんかけて、結局何も護れなかった

蓮村幹人

いっちょ前に落ち込むな、この半人前め

 幹人はあえて辛辣に言った。

蓮村幹人

お前なんぞが護れるのはせいぜいボーイフレンドだけだ。もう少し、我が社の社員である自覚を持って行動しろ

貴陽青葉

……申し訳ありません

 珍しく敬語を使う青葉であった。

 幹人は仏頂面のままコーヒーサーバーの前に立ち、二人分のコーヒーを淹れ、青葉に片一方を差し出した。

蓮村幹人

貴陽青葉。
君には一週間の謹慎処分を命じる

貴陽青葉

はい

蓮村幹人

色々辛かっただろう。少し、休みなさい

 いまの彼女に掛けてやれる言葉は、厳しい叱責とほんの少しの労いだけだった。愁斗を不器用と評した割に、自分も人のことは言えないらしい。

 熱々の黒い水面を息で冷ます青葉を眺め、幹人は安堵を隠しながら呟いた。

蓮村幹人

まるで、昔の私を見ているようだ

貴陽青葉

何か言った?

蓮村幹人

さてな。それより、この後出掛ける予定があるとか言ってなかったか?

貴陽青葉

ああ。そろそろ行く

 いつもの無表情に戻り、青葉は空になったコーヒーカップをこちらに返して足早に事務所を飛び出した。

 彼女がいなくなり、幹人は自分の執務机の椅子に腰を落とし、天井を眺めながらこれまでの顛末をぼんやり思い返す。

 あの事件の後、警察よりも先にやってきたのは唐沢一家だった。彼らはこれを風魔一党と北条一家の内部争いとして処理して、警察への事情説明も同様に片付けた。青葉を含む高校生の男女三人もしばらくは唐沢一家のもとに身を寄せ、傷の治療などについても万全のサービスを整えてくれた。お世辞にもヤクザの一派とは思えないご厚意だ。

 伊崎愁斗の葬儀は密葬だった。表沙汰に出来なかったというのもあるし、何より最後はせめて静かに眠らせてやりたいという恭子の意向もある。これについては幹人個人も恭子の選択を支持しているので、伊崎家についての話はこれでおしまいだ。

 ともあれ、ここから先は平常運転に戻るだろう。それにしても、何で黒狛の連中と関わる度にこんな感じの大きな騒ぎに巻き込まれなければならないのやら。

 やっぱり、杏樹にはもう一度、探偵を止めろと言っておくべきだったのだろうか。

西井和音

社長、ただいま戻りました

 和音が弥一を連れ立って帰ってきた。二人共、何か言いたそうな顔をしている。

 彼らは幹人の前に立ち、疑惑の目でこちらを見下ろしてきた。

蓮村幹人

どうしたね? 何かあったか?

西井和音

それはこちらの台詞です

 和音が険を込めて言った。

西井和音

社長は何か、私達に重要な隠し事をしているんじゃないですか?

蓮村幹人

何かとは?

野島弥一

葉群紫月

 弥一が問題の名前を口にする。

野島弥一

青葉と一緒にいたガキの一人です。社長はどうやらそいつのことをご存知なのでは?

蓮村幹人

知っていたとして何になる?

野島弥一

奴は黒狛探偵社の
エースなんでしょ?

蓮村幹人

……………………

 まさか、こうも早い段階でバレるとは思ってもみなかった。

 和音がさらに眉間にしわを寄せる。

西井和音

彼が私を助けて入間と戦った奴だというのなら、何でもっと早く教えてくれなかったんですか?

蓮村幹人

教えたら礼を言いに菓子折りを渡すつもりだったか?

西井和音

そんなつもりはありません。
でも――

蓮村幹人

青葉と彼の関係についてなら
心配には及ばん

 二人の言わんとしていることは既に分かっていた。

蓮村幹人

青葉はまだ彼の正体を知らない。逆もまた然りだ。あの二人はこのまま友人同士として付き合いを重ねていく。何も大きな問題は無い

西井和音

もし、どちらか一方が
相手の正体を知ったら?

蓮村幹人

それは彼らの問題だ。
私達には関係が無い

 和音達が危惧しているのは会社の情報漏洩などという陳腐な問題ではない。もっと単純に見えて、もっとも難しい思春期のあれこれだ。その点を心配するだけ青葉を大切に想ってくれているのはありがたいが、時と場合によっては少しだけ考えものである。

 でも、幹人には自信を持って言えることが一つだけある。

蓮村幹人

青葉は勿論だが、葉群君もきちんと自分で考えられる子だ。杏樹ならきっと、彼をそうやって育てている筈だからな

西井和音

それは理解しています。だとすれば、私達はずっとこの件を黙って見守っていればいいんですか?

蓮村幹人

杏樹も青葉の正体を知っている。彼女達がそうする限り、我々もいまは静観あるのみだ

西井和音

……分かりました

野島弥一

……………………

 納得し、二人はそれぞれの仕事に戻った。幹人もいまの話をあっさり忘れ去る。

蓮村幹人

さて、自分の仕事に戻ろう

 頭痛の種は地雷原の如く埋まっている。いまは自分の成すべきことだけに集中しよう。

 彩萌市の一番大きな総合病院の個室で、二曲輪猪助は今際の際を迎えようとしていた。

 池谷杏樹と東屋轟が助けに入った時、猪助は既に回復が望めないくらいに体力が衰弱していた。解毒剤が効かないと言ったのは、効かないというより、いまさら解毒しても助からないのを自分で悟っていたからだろう。

 病院に搬送されてすぐに解毒を行ったので延命処置は上手くいったのだが、だとしても今夜いっぱいが山だと医者から言われてしまった。だからあゆを含め、彼女の両親と、あゆに頼まれて来た紫月と青葉がこの病室に集まっている。

 ベッドの上で生命維持装置に繋がれた猪助を見下ろしているあゆに、青葉が後ろから控えめに声を掛けた。

貴陽青葉

東雲さん

東雲あゆ

……分かってる

 あゆはその場でしゃがみ込み、細くなった猪助の手を自らの両手で包み込む。

東雲あゆ

お祖父ちゃん、聞こえる?
私だよ、あゆだよ

……あ……ゆ

 猪助の渇きかけた瞳があゆの顔を映す。

そこに……いるの……か?

東雲あゆ

うんっ……

……すまなかったなぁ、
いままで……ずっと

 最後の力を振り絞ったのだろう。彼は弱弱しくも、はっきりとした声音で言った。

最後まで……お前の祖父のようには……なれなんだか

東雲あゆ

違うよ。お祖父ちゃんみたいにならなくても、猪助さんは私のお祖父ちゃんだよ

……これまで、たくさんのものを捨ててきた

 瞳を閉じると、彼の目尻から一筋の涙が零れた。

大切な親友も……一番弟子も、自分も……でも、お前だけは……捨てられなかった

葉群紫月

お孫さんだけ? 馬鹿を言え

 紫月は胸の前に固く握った拳を持ち上げた。

葉群紫月

俺に教えた拳骨も忘れるな。
俺も、忘れないから

……葉群紫月。貴陽青葉

 猪助は頬を緩めて、紫月と青葉にこう告げた。

あゆを頼む。まだまだこの子は、一人前の忍を名乗るには早過ぎる

東雲あゆ

私は……忍じゃないもん

 あゆがしゃっくりにも似た嗚咽を吐く。

東雲あゆ

通りすがりの……探偵……だもん

……だったら、半人前ですら……ないな

 心電図の波が起伏を失くしていく。

宗仁よ……見ておるか?
ワシらの……孫は……

 誰よりも早く紫月は目を閉じた。あゆの両親は俯き、青葉は変わらぬ無表情を装う。

こんなにも……立派に……
いまを、生きて…………

 その言葉を最後に、二曲輪猪助は天寿を全うした。

 享年七十二歳。最後まで、彼は彼のままだった。

貴陽青葉

私達は何の為に戦ったんだろうな

 外に出て、病院の自販機で温かいミルクティーを買い、青葉は陰鬱な面持ちで紫月に訊ねた。

貴陽青葉

これまで人の死に際はたくさん目の当たりにしてきた。そういう人生だったからな。でも、人を看取ってこんなに辛いと思ったことはこれまでだって一度も無い

葉群紫月

奇遇だな。俺もだよ

 同じ飲み物を口にして、紫月は鼻を鳴らした。

葉群紫月

君の生い立ちについて深く詮索するつもりは無い。でも、逆の立場なら俺も青葉と同じことを訊いていたさ

貴陽青葉

君に訊いた私が馬鹿だった。
これではただの自問自答だよ

 言い得て妙な表現だった。つくづく自分達は似た者同士らしい。

貴陽青葉

紫月君

葉群紫月

ん?

貴陽青葉

実はこの後一週間だけ暇な日が続くようでな。もし君の時間が合うようなら、この一週間は私の憂さ晴らしに付き合って欲しい

葉群紫月

珍しいな。
青葉の方から誘ってくるなんて

貴陽青葉

それだけ君とつるむのが当たり前になってきたってことだ。せっかくだから言っておくが、私は君を結構気に入っている

葉群紫月

そりゃ嬉しいね。俺も幸い、この一週間は暇なんだわ

 今日、杏樹から説教と共に一週間の暇を与えられたのをようやく思い出した。ヤクザの組を一つ壊滅させたばかりの探偵を頻繁には表に出せない、などと彼女は言っていたが、本当のところはリフレッシュ休暇をくれただけだと解釈していいだろう。

 この後バッティングセンターにでも行くかなどと話していると、横からあゆが薄暗い面持ちのままこちらに歩み寄ってきた。

葉群紫月

東雲さん、もういいのか?

東雲あゆ

二時間以内には遺体を病院から運び出さないといけないし

 彼女の答え方は実に淡々としていた。

東雲あゆ

ここから先はお父さんとお母さんが葬儀屋さんと急いで話をつけるから、私は葉群君達と一緒に帰りなさいって

葉群紫月

そっか

 どう反応して良いか、この時ばかりはさすがの紫月も迷っていた。

葉群紫月

その……東雲さん。すま――

東雲あゆ

葉群君、これ

 口をついて出た謝罪を遮り、あゆは傷だらけの十手を紫月に差し出した。

東雲あゆ

ずっと返しそびれちゃって
ごめんね。
これ、凄く心強かったよ

葉群紫月

……そうか

 十手を受け取って懐に収め、紫月はようやく体にいつもの重さを取り戻した。

東雲あゆ

二人にはいっぱい迷惑を掛けちゃったね

 彼女は目線を下に逸らした。

東雲あゆ

お祖父ちゃんも伊崎さんも二人には感謝してると思う。だから、改めて私の方から――

貴陽青葉

礼など要らん

 青葉がそっぽを向いた。

貴陽青葉

結果的には失うばかりで得られるものが何も無かった。私達にとっても、君にとっても。だから、礼なんて言わないでくれ。自分で自分が恥ずかしくなる

東雲あゆ

得られたものは、ちゃんとあったよ

 あゆは淀みなく告げる。

東雲あゆ

私達は一緒に命を懸けて戦った。
本当の仲間って、そういうもんでしょ?

貴陽青葉

……一杯食わされた気分だ

 何も言い返す気が起きなかったのか、青葉がとうとう折れてしまった。やや頑固なところがある彼女にしては珍しい。それだけ、東雲あゆという人物に強大な説得力を感じたのだろう。

 青葉が苦笑して、再び訊ねる。

貴陽青葉

改めて訊こう。君は一体、何者なんだ?

東雲あゆ

ん? えーっとね……

 あゆはわざとらしく人差し指を唇に当て、

東雲あゆ

……なんだっけ?

 あざとく下手くそな素振りですっとぼけた。

『通りすがりの探偵』編/#3通りすがりの探偵 その六

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