#3 通りすがりの探偵

 待ち合わせ場所のコンビニで和音と合流した弥一は、彼女が運転する車の助手席で、ひたすら頭を抱えて黙り込んでいた。

 とうとう静寂の気まずさに耐え切れなかったらしい。和音が苛立ちを露にする。

西井和音

あんたらしくないじゃん。どうしたってのよ

野島弥一

……どうしよう。俺、青葉を見捨てちまった

西井和音

あれは青葉の独断行動で、あんたは何も悪くないんだって

野島弥一

違うんだ。逆なんだよ

西井和音

は?

 和音がぽかんと口を開ける。それでも丁寧な運転をしているのだから、彼女が如何に熟練したドライバーであるかがよく分かる。

西井和音

何をどうしたら
そんな解釈になんのよ

野島弥一

俺も最初から危険は覚悟の上だった。それでも唐沢一家の庇護下にあるから比較的安全な仕事だと思ってたんだが、やっぱり駄目なもんは駄目だった。
北条時芳は俺が唐沢一家のスパイだって気付いていた。そうじゃなきゃ、俺の通信端末までは取り上げてない

西井和音

だから青葉はあんたが後で殺されるのを予期して、北条の目を自分に向けさせる為だけにアジトまで乗り込んで行ったって訳?
それって考え過ぎじゃない?

野島弥一

結果的に俺はこうして無事なんだ。そう思わないと、青葉があんな真似に出た理由として辻褄が合わない

西井和音

……たしかに

 和音はゆっくりハンドルを切り、角を折れて大通りから外れ、人通りが少ない細い道の路肩に停車する。

西井和音

社長がいま唐沢一家に事の顛末を説明してる。若頭は随分と頭の切れる穏健派とか言ってたし、仕事の失敗に関しちゃ心配はしなくていいんだとさ。そろそろ話し合いも終わる頃合いだから、一旦ここで経過発表でも聞こうじゃないの

野島弥一

面倒を掛けてすまない

西井和音

いいって

 和音は苦笑して自らのスマホで幹人の番号を呼び出した。スマホはスピーカーがオンになっているので、会話の内容は弥一も聞こえるようになっている。

 やがて通話が繋がり、幹人が落ち着き払った声音で応答する。

蓮村幹人

西井君か。野島君の回収はどうなった?

西井和音

五体満足で私の隣に座ってます。
北条一家に端末は没収されたようですが

蓮村幹人

概ね予想通りの結果だな。こちらも唐沢一家と話がついた。改めて一家の屋敷に菓子折りを届けに訪れるつもりだが、これで少なくとも野島君の安全は保障された

西井和音

良かった。それで、青葉なんですが――

蓮村幹人

分かっている。いまから彼女の救助に向かう――と言いたいところだが、我々が下手に出向く必要は無さそうだ

西井和音

そうなんですか?

蓮村幹人

詳細は伏せるが、どうやら北条一家はとんでもない奴を敵に回したらしい

西井和音

話が見えないんですが……

蓮村幹人

同じことを言わせるな。とにかく青葉は大丈夫だ

西井和音

はあ……分かりました。
じゃあ、すぐ戻ります

 和音は釈然としない様子で通話を打ち切ると、目を細めて弥一に訊ねた。

西井和音

野島。最近、社長が何か大切なことをあたし達に隠してる気がしてならないんだけど、それが何か分かる?

野島弥一

俺に訊くなよ。知る訳がねぇだろ

西井和音

男の秘密だから教えないってのはナンセンスだから

野島弥一

本当に知らないっつーの

 幹人が何かをひた隠しにしているのは弥一も薄々感づいている。だが、その疑問ですらいまは輪郭を成していない。何を訊ねたらいいか分からないのも、彼が何を隠しているのか分からないのもこちらとて同じだ。

 だが、今日は偶然にも、妙な形をしたパズルのピースが見つかった。

野島弥一

強いて挙げるなら、青葉と一緒にいた変なガキのことくらいじゃね?

西井和音

そういや先月くらいに、青葉が気になる男の子がどうとか言ってたような……たしか葉群紫月とか言ってたっけ?

野島弥一

え?

西井和音

ん?

 思わぬ情報の一致に、弥一と和音は互いに丸くした目を見合わせた。

葉群紫月

邪魔だ、
このザー×ン野郎共ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオっ!

 紫月の十手が正面から迫る一人の横っ面を薙ぎ払い、背後から飛び掛かってきた二人の小刀が破裂した。青葉の銃撃だ。

 紫月は十手を口に咥えて、丸腰になった二人の顔を一人ずつ片手で鷲掴みにして地面に叩きつけ、再び十手の柄を掴んで身を翻し、既に至近距離まで飛来していたクナイを打ち払う。

 丁度良く、頭上から降下してきた一人の額に、弾き上げたクナイの柄頭が直撃。紫月は白目を剥いて落下してきたその体を片手で引っ掴んで振り回し、正面から鋭く突進してきた三人の忍にぶん投げて直撃させる。

 この戦闘で人殺しは厳禁だ。目的はあくまであゆが猪助を連れて逃げるまでの時間稼ぎであり、風魔一党の鎮圧や北条の打倒などといった無茶は考えていない。

 あゆは戦闘開始からしばしの間だけ呆然としていたが、すぐに気を持ち直し、猪助に肩を貸し、遅々とした足取りでこの部屋を退出する。

 それでいい。後は何分こちらが耐えられるか。

ぐぁっ!

 入り口付近で青葉に足を撃ち抜かれた忍がつんのめって倒れ伏す。一人もここから出さないと決めた以上は、こうした傷害もある程度は仕方ない。そもそも奴らはこちらを殺そうとしているのだから、過剰防衛にならない程度の暴力を思う存分に行使すればいい。

 紫月が入り口を抜けようとした一人の頭に十手を投擲して命中させると、さっきまで時芳の背後に控えていた黒と金の忍が階段から飛び降り、紫月の間合いに鋭く踏み込んできた。

葉群紫月

くっ……

 紫月は腰から秋嵐を抜き、細身の大太刀を払った黒金の忍による逆手持ちの一閃を刀身で受け止める。

 黒金の忍は他の白い忍同様、顔は目元以外すっぽり頭巾で覆われている。これでは人相が判別できないからモンタージュ画像の作成も不可能だ。

葉群紫月

お前が大将か

我は八代目・風魔小太郎なり

葉群紫月

やっぱり風魔一党の親玉は風魔小太郎の名を襲名するみたいだな

 だったら、二曲輪猪助の名は組織内でどういった役割を果たすのだろう?

葉群紫月

まあいいや。後で本名も含めて洗いざらい吐いてもらうからな!

 紫月は小太郎の腹に蹴りを入れて距離を取り、いましがた銃のリロードを終えた青葉に向かって叫ぶ。

葉群紫月

青葉、しばらく雑魚共の相手を頼む! 親玉は俺がやる!

貴陽青葉

君は私を何だと思っているんだ!
この数をそう簡単に捌ききれるような超人になった覚えは無い!

葉群紫月

俺だって本物の忍なんぞとガチバトルするようなバカに育った覚えは無い。
諦めろ!

 青葉の文句を一蹴すると、紫月は小太郎との剣戟を再開する。

 紫月が本当の力を発揮するのは剣や十手などといった近接武器を用いる格闘戦だ。射撃もそこそこ腕に自信があるとはいえ、それでも青葉には一枚も二枚も劣ってしまう。

 いやいや、おかしいだろ。青葉は喧嘩がちょっと強いだけの一般人じゃないのか?

 たしかに格闘技が得意そうな場面は何度か目にしているが、これだけの軍勢を相手に怯まず立ち回れる胆力と体術、特に射撃術は既に堅気の規格を遥かに超えている。

青葉の回し蹴りが背後の忍の側頭部を薙ぎ払う。

貴陽青葉

くたばれ

ゴボォ!?

うん、やっぱり色々おかしい。

何処を見ている?

 小太郎が振りかざす刀の切っ先が正面から紫月の目玉を狙う。左に身を回転させて刺突をかわすと、

貴陽青葉

紫月君!

 青葉が片方の銃をこちらに投げ渡してきた。使えと言いたいらしい。

 紫月は左手に携えた銃を至近距離で連射して、小太郎の刀身を根本から破砕、すかさず間合いから退避して、安全かつ確実に外さない距離で彼に銃口をポイントする。

葉群紫月

勝負あったな。そろそろ降参してもらうぜ

……よかろう

 小太郎が手元も見せない速さで片手を一閃した。あまりにも挙動が無造作で速過ぎたので、こちらも反応が一瞬だけ遅れてしまう。

 クナイが紫月の頬を掠めて通り過ぎ、背後の壁に突き刺さる。

 往生際の悪い奴めと思いながら発砲。小太郎は身軽に体をゆらりと横に振って弾丸を見送ると、既に握っていた球状の何かを地面に叩きつけた。

 球が破裂し、桃色の煙が瞬く間に視界を覆い尽くす。

葉群紫月

煙幕か……!

 口元を塞いで慎重に後退すると、肩甲骨の近くに鋭い痛みが走った。

 千本だ。クナイに次いで忍がよく使うと言われる鉄の針が二本、背中に突き刺さっているのだ。

 左肩から力が抜け、銃を構える腕がだらりと下がる。

葉群紫月

こいつ、経穴を――

 続いて右の太腿、右肩、右手首に千本が一本ずつ刺さる。

 すると煙幕を抜け、白い忍が三人、紫月の頭上から小刀を構えて降下してきた。

 対処しようにも身動きが取れない。殺られる――と思った矢先、三発の銃声と共に三人の忍が紫月の足元に墜落する。

貴陽青葉

何をしている?

 こちらに近寄った青葉が舌打ち混じりに言った。

貴陽青葉

まさかもう体力切れだなんてことは……

葉群紫月

動きたくても動けないんだよ

貴陽青葉

ふむ、経穴を突かれている

 青葉がいち早く負傷の種類を察知し、刺さっていた千本を手早く一本ずつ抜いていく。おかげで少しだけ楽にはなったが、欲を言うならもうちょっと優しく抜いて欲しかった。

貴陽青葉

動けるか?

葉群紫月

あとちょっとはな

 紫月は青葉に銃を返すと、彼女と背中合わせでぐるりと敵勢を見渡した。

 さっき打ちのめした連中が十人くらいは既に復帰している。やはり殺す気で処理しなければ、五十人近い忍を制圧するのは無理かもしれない。風魔小太郎も、悔しいが本気で戦って勝てる相手ではない。

 いつの間にか晴れていた煙幕の残滓が鼻腔をくすぐる。体を伝って流れる血がやけに熱い。もしかして、喰らった千本には毒が塗ってあったんじゃないのか?

北条時芳

随分と手こずらされたものだ

 高みの見物を決めていた時芳が鼻を鳴らす。

北条時芳

ここまでお前を相手に生き残った奴も珍しいな、八代目・風魔小太郎

葉群紫月

なに勝った気でいやがる。
まだ勝負はついてねぇぞ

北条時芳

その体で威勢を張る元気があったとは驚きだ。最近の若者は昔と違って骨があるようだ。
いいだろう。その健闘を讃え、お前達に面白いものを見せてやる

 時芳が首肯すると、小太郎が自らの頭巾を取り除いて素顔を晒す。

 頭巾で押さえつけられていた黒い散切りの髪がぶわっと広がり、顔の左半分に大型の刃で付けられたと思しき傷痕が露になる。見た目の年齢は四十代前半。精悍とも勇壮とも違う険しい顔つきからは、明らかに歴戦の猛者たる風格が強く滲み出ていた。

貴陽青葉

お前は……っ!

 青葉の瞼が極限まで見開かれる。もしかして、これまた彼女の知り合いなのだろうか。

北条時芳

どうやらそこのお嬢さんには察しがついたらしい

 時芳がほくそ笑む。

北条時芳

そう。風魔一党の党首には代々、風魔小太郎の名が継承される。七代目である東雲宗仁が組織から抜け出したことで新たな党首の座についたのがこの男、八代目・風魔小太郎――いや、お前達にはこう名乗った方が理解も早かろう

 紫月にも遅ればせながら察しがついた。だからこそ、余計に驚きを禁じ得なかった。

 本来なら北条一家を恨んでいた男が、何故あの男の傍に侍っている?

北条時芳

伊崎愁斗。
風魔探偵事務所の
元・社長だ

伊崎愁斗

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