車を飛ばして例の裏山の麓まで辿り着き、一旦停車してから、杏樹は車を降りて山の外観を眺めていた。

池谷杏樹

ここに東雲さんと紫月君がいるって話だったわね

東屋轟

本当に行くんすか?

 運転席から轟が嫌そうな顔で訊ねてくる。

東屋轟

もしかしたら俺達だって危ないかもしれないのに

池谷杏樹

紫月ならともかく東雲さんはそうも言ってられないでしょっ……っと

 見計らったようなバイブ音が上着のポケットから響いてきた。相手は新渡戸だ。

 着信に応じ、杏樹は息を呑みながら彼の報告を待つ。

新渡戸文雄

池谷、いま大丈夫か?

池谷杏樹

ええ。で、何か分かった?

新渡戸文雄

思ったより科捜研がいい仕事をした。DNA鑑定の結果発表だ

 やっぱり例の死体は二曲輪猪助なのだろうか。その答え合わせがいよいよ始まった。

新渡戸文雄

仏さんの名前は東雲宗仁とかいう爺さんだ

池谷杏樹

何ですって?

 おかしい。東雲宗仁はまだ生きている筈だ。あゆもそう証言していたではないか。

新渡戸文雄

遺体はコンクリの中でミイラ化していやがった。ありゃ十年以上は放置されていたな

池谷杏樹

清掃船がドラム缶を発見したのはいつの話?

新渡戸文雄

一週間ぐらい前だってよ

 つまり、十年以上もの間、死体入りのドラム缶は誰にも気づかれずに海の底に沈んでいたことになる。さすがに一回の清掃作業で全てのゴミが片付くとは思わないが、だとしても気付くのが少し遅すぎやしないだろうか。

 そのあたりの疑問を、新渡戸が第一発見者の代わりに答えてくれた。

新渡戸文雄

整備局の職員の話だと、重量が他のゴミと比べて異常だったドラム缶の回収を後回しにしていたらしい。で、今年になってようやくやる気になったんだとさ

池谷杏樹

随分と年季の入った言い訳ね

新渡戸文雄

そんなことより、もっと大変なことが分かった。仏さんと全く同じ名前の人物が、いまも彩萌市の民間人として普通に暮らしているらしい

池谷杏樹

知ってる。彼の親族の名前に東雲東風ってのがいなかった?

新渡戸文雄

ああ、いたな。じゃあ訊くが、いま生きている東雲宗仁って、一体誰なんだ?

 誰かは勿論分かっている。でも、その理由を新渡戸に納得してもらう為の持ち札が無いのを杏樹は理解していた。

 だって、普通なら言えないじゃない。
 二曲輪猪助が、十年以上にも渡って東雲宗仁に化けていたトリックなんて!

 いまから十年前。あゆが五歳の頃、東雲宗仁は元気な姿で東雲家に帰ってきた。

 忍者の技を遊びと称して教えてもらったし、ちょっとした悪さをして両親に怒られた時はいつも彼が味方についてくれた。常に陽気な笑顔を見せ、年甲斐もなくはしゃぐ彼の姿は、いまも昔も変わらず、あゆの瞳には眩しく映っていた。

 いまでもお祖父ちゃんは私の憧れだ。どんなに年老いてよぼよぼになっても、あんな風に楽しそうに生きてみたい。だから、自分もそうなれるように努力した。

 どんなに挫けそうになっても、笑顔だけは絶やすまいと毎日必死だった。

 でも、そんな日々も今日で終わりを迎えてしまったらしい。

 だって、いま私の目の前にいるのは――

北条時芳

理解したかね?

 時芳が唇を緩める。

北条時芳

兄弟を裏切り、親友を囮に使い、あまつさえお前とその両親を欺き自分だけ安全な場所に居座り続けた卑怯者に、もはや生きる価値どころか免罪の余地も無い。この真実も冥土に旅立つお前達への餞別だ。ありがたく受け取るといい

東雲あゆ

……嘘だ

 自分でも往生際が悪いと思いつつ、あゆは虚しく弁解する。

東雲あゆ

だって、お祖父ちゃんは心臓の病気を患ってたんだよ?
いまここにいるお祖父ちゃんだって、
心臓を悪くしてるっていうのに

北条時芳

お前は知らなかったのか? 猪助は宗仁と違って戦闘技術よりも変装の技術に優れている。
そやつが本気を出せば持病の模倣すら自由自在。顔は整形手術で全く同じように加工すれば済む話だ

東雲あゆ

嘘だよね、お祖父ちゃん

 もはや時芳に訊くだけ無駄と判断し、今度は宗仁に水を向ける。

 しかし、彼は目を伏せるだけで、何も言わなかった。

東雲あゆ

ねぇ、
何か言ってよ!

北条時芳

いい加減認めたらどうだ。それに、そろそろ時間も差し迫ってきた

 時芳が右手を挙げると、部屋中に群がる風魔一党の連中が腰の後ろから短刀を一斉に抜き放った。

北条時芳

悪いが楽しい余興は宴もたけなわ、ここまでだ

 この死刑宣告も、狼狽するあゆの耳には全く入ってこなかった。

 故に、反応が遅れてしまった。

 こちらの背後に音も無く近づき、短刀を振り上げる二人の忍の存在に。

東雲あゆ

っ――!

 回避が間に合わない。
 殺られるっ――!

ごっ!?

 気付いた時には、紫月と青葉の足元に、白い忍が一人ずつ倒れ伏していた。

 紫月は右手の十手で肩を軽く叩きながら言った。

葉群紫月

やれやれ、校長先生の長話より眠たくなっちまいそうだ

貴陽青葉

全くだ

 青葉が両手の銃をくるくる回しながら嘆息する。

貴陽青葉

ちなみに紫月君。私には立ちながら居眠りするという特技がある。意外と便利だぞ

葉群紫月

マジか。
俺もチャレンジしてみよっかなー

お主ら……何を

 宗仁が息も絶え絶え、たったいまあゆの前に回り込んだ紫月と青葉に問う。

まさか、戦う気か?
無茶だ、いますぐ逃げろ……!

葉群紫月

東雲さん。そのクソジジイを連れていますぐここを離れろ

 彼の忠告を無視して、あゆに命令する。

葉群紫月

殿《しんがり》は俺達が務める

東雲あゆ

でもっ……

 あゆは迷っていた。紫月と青葉をこのまま残して逃げられないし、いままで自分を欺き続けたこの老人を抱えていくのにも少々の抵抗がある。

貴陽青葉

君はさっきから何を勘違いしている?

 青葉が振り向かないまま告げる。

貴陽青葉

例えそいつが君の祖父を騙っていたとしても、これまでの全てが嘘だらけだったとしても、君がいままでそのお爺さんと過ごした時間は嘘だったのか?

東雲あゆ

っ!

 青葉のこの言葉に、あゆは蒙を開かれた気分になる。

貴陽青葉

全てが全て嘘だなんてことは、この世に一つもありはしない。
その爺さんが全てに嘘をついてまで護ろうとしたものは本物だ

葉群紫月

だったら君は君なりの本物を護れ

 紫月が十手の先を時芳に向ける。

葉群紫月

既に依頼目的は達成された。こっから先は俺の好きにやらせてもらうぞ

北条時芳

……随分と風変わりなおまけもあったものだ

 時芳が目を細める。

北条時芳

忍でもなければ極道でもない、だからといって堅気の人間にしては様子が違う。君達は一体、何者なんだね?

貴陽青葉

忘れたなら教えてやる

 青葉も左手の銃の照準を時芳にポイントする。

貴陽青葉

通りすがりの探偵さ。
別に覚えなくていい

北条時芳

だろうな。最近、年のせいか物忘れが激しくてな

 時芳が瞑目して頷き、

北条時芳

私が覚えていられるかは、
お前達の頑張り次第だ

 挙げた右手を振り下ろす。

 それが、開戦の合図となった。

『通りすがりの探偵』編/#2風魔の城 その六

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