石垣の上に聳え立つ城の足元で、夥しい数のスーツ姿の死体が横たわっている。
これらの光景を目にしたあゆが口元を両手で覆う。
石垣の上に聳え立つ城の足元で、夥しい数のスーツ姿の死体が横たわっている。
これらの光景を目にしたあゆが口元を両手で覆う。
酷いっ……
好都合だな
青葉は遺体の傍に跪き、彼らが大事に握り締めていた銃から弾倉だけを抜き出し、上着のポケットに仕舞いこんで行った。
貴陽さん、何をしてるの?
さっき奪った銃を見て気付いた。こいつら皆揃って全く同じ銃を使っている。
だから弾倉の型も弾丸もおそらく共通している筈だ。さっきからずっと弾切れを心配していたが取り越し苦労だった
喋っているうちに十分な弾薬を回収したらしい。青葉は最後に適当な一人の手から銃をもう一丁取り上げてジャケットの懐に仕舞った。
紫月は足元に在るうつ伏せの死体を爪先で仰向けにして、斬り裂かれた首筋を見下ろして呟く。
急所が的確に斬り裂かれてる。
殺った奴は相当な手練れだな
ざっと眺めて見つけた限りでも死体の数は三十前後だ。銃器で武装した複数の相手をこんな有様にして突破するような人間は、紫月が知り得る限りだと一人しかいない。
紫月は死体の一人の胸に刺さっていたクナイを抜いた。
どう考えても忍者の仕業としか思えない。やっぱりここに乗り込んだのは……
詮索は後回しだ。とりあえず中に入ろう
そうだな
二人共、どうしてそこまで平然としていられるの?
あゆが紫月と青葉に怯えたような目を向ける。
おかしいよ。だって、こんなにいっぱい人が死んでるのに
俺はもっと酷い死体を前にも見たことがあるからな
紫月はつい先月の事件を思い出しながら言った。
ここはそういう世界だ。いちいちキモがってたらマーライオンになっちまう
気持ちは察するが、こんなところで立ち止まっている時間は無い
青葉が厳然たる事実を突きつける。
行くぞ。君だって早く真実を知りたいだろ
…………うん
あゆは死体の群れを気遣うように、足早に歩き出す紫月と青葉の背を負った。
三人はやがて開け放たれた城門の前を経て広い玄関口に入り込む。そこでもやはり眼前にはチンピラ風情の死体が幾つも転がっていて、あゆは彼らと出くわす度にしゃっくりみたいな嗚咽を吐いていた。
普通の女子高生にはきつい光景だろう。
でも、それは青葉も同じではないのだろうか。
どうした、紫月君。私の顔に何かついているのか?
可愛いお顔はいつまでも見ていたいお年頃なんだよ
こんな状況で平然と冗談を吐ける君の神経は中々キマっているな
死体から弾倉かっぱらった奴が何を言うか
憎まれ口を叩き合っている間にも城の内部を見渡してみる。
屋内は全体的に明かりも無く薄暗い。正面のやけに幅が広い大きな階段を昇れば二階の回廊に出て、真っ直ぐ行けば三階に上がる為の通用口がある。そしてこれは城の主の趣味なのか、階段の手すりや回廊の壁飾りなどに金の装飾があしらわれている。自らの財力をあからさまに証明しているようで嫌な気分だ。
この城は大体七階建てくらいか。一階ずつ事細かに調べるのは骨が折れそうだな
どうやらその必要は無さそうだ
青葉は階段の手すりで布団みたいに干されている組員の死体をちらりと見遣った。
ここまで徹底された殺戮が行われた現場に長居する訳にもいくまい。ここに乗り込んだ奴の姿を見て、私達と関係が無さそうなら撤退しよう
もし本当にそれがお祖父ちゃんだったら?
あゆが不安そうに訊ねてくる。
本当はそんなこと、考えたくないんだけど……
愛しい孫が誘拐されてキレないお祖父ちゃんはいない。たしかに常軌を逸してはいるが、君の姿さえ目視すれば彼も戦闘行為を中断する筈だ
その前に俺達のスマホを探そう
紫月は自分なりに妥当だと考えた意見を口にする。
とりあえず連絡手段を取り戻すのが先だ。それからの方針は後で考えればいい
捕虜から取り上げた品物が保管されていそうな場所、か……
青葉は顎に指をやって黙考し、ややあってぴくんと額を跳ね上げた。
待てよ? 既に壊されているだなんてことは……
ああ……有り得るな
ここは仮にも諜報機関のアジトだ。情報の扱いには細心の注意を払うような連中に取り上げられた情報端末が無事で済むとは思えない。スマホに内臓されたGPSを探知されて警察が乗り込んで来たら北条一家にとっては一大事だ。
考えが足りていなかった。青葉がいなければ無駄に時間を喰っているところだった。
だったらやっぱり乱入者の発見が優先か。青葉、東雲さん。これから武器庫を探すぞ
武器庫だと?
青葉は銃があるからいいとして、俺と東雲さんはこの通り丸腰だ。人を探すにしても身を護るものは必要だろ?
た……たしかに
あゆからも同意を得られた。彼女もある程度はあの東雲宗仁に鍛えられているらしいので、そのあたりの知恵はちゃんと働くようだ。
話は纏まり、三人は真っ直ぐ階段を昇って奥の通用口を通り、三階に繋がる階段を昇り、今度はやたら天井が低い部屋に出た。
ここは一階と違って木と鉄だけの質素な造りになっている。壁の至るところに引き戸が設えられているので、もしかしたらその奥に何かしらの道具が収納されているのかもしれない。
紫月が引き戸の一つを開くと、中には驚くべき物体がずらりと並んでいた。
AKライフルだ。見るからに本物と分かるそれが、壁掛けで横並びに安置されている。
本物の銃か。とりあえず城の主は銃刀法違反で引っ張れるな
紫月君、これを見ろ
青葉が反対側の引き戸から、見覚えのある棒状の物体を引き出した。
これ、君の十手じゃないか?
マジか!?
おお、神よ。
あなたは僕をまだ見放していなかったのですね。
良かったぁ……スマホと一緒に取り上げられてから不安で仕方なかったんだ
紫月は飛び跳ねながら歩み寄り、嬉々として青葉から十手を受け取ると、打撃部に頬ずりをかましながら感涙してしまった。
もう二度と奪われたりしないからな
こうして見ると、君は君でただの変な人だな
失敬なっ!
これまで俺の命を
護り続けた愛用の
一品だぞ
――お?
紫月の視線が、青葉が開けっ放しにしていた引き戸の奥に釘づけとなる。
さっきの銃が仕舞われていた場所と違い、その奥は学校の体育倉庫並みの広さを誇っていた。
中に入ってみると、まず最初に目を引いたのが、壁一面に並んでいた日本刀の数々だ。さらには縦に長い木箱に打刀や薙刀などが部屋の奥で纏めて保管されており、珍しいところでは十手やトンファーなどの特殊な武器が天井から細い鎖で吊るされていた。
うっへ、
何じゃこりゃ!?
驚いただろ? 武器マニアも涙する光景だ
集めた奴はどんな趣味してんだか
呆れつつも、紫月は壁に飾られていた日本刀を適当に一本だけ手元に引き寄せ、試しに鍔を親指で持ち上げて鯉口を切ってみせた。
覗いた刀身からは壁の隙間から差した月明かりが反射している。まるで鏡のようだ。よく見るとこの刀には紅樺色の柄が巻かれ、鞘は深緋色と、全体的に刀身以外は赤系統の配色で統一されている。
この刀、『秋嵐《しゅうらん》』じゃん
背後からひょっこり顔を覗かせてきたあゆが思いもよらぬ反応をした。
聞いたことがある。お祖父ちゃんの古い友達で、四季ノ宮に住む名のある刀匠が一番最近打ったとされる世界有数の極上業物。その名前は銘刀・秋嵐といって、最近四季ノ宮で起きた乱痴気騒ぎでこれを使いこなした天才剣士がちょっとした伝説になったんだって
眉唾くせぇなぁ……
もはやB級アクション小説の世界である。少なくとも現実とは混同したくない話だ。
紫月は秋嵐を腰とベルトの間に通す。
東雲さんの話が本当なら盗品なんだろうなぁ、きっと
伝説の剣士とやらが何者かは知らないが、とりあえず今日限りはこの刀の拝借を許していただきたい。こちらも自分の命が可愛いのだ。
あゆが痺れを切らしたように急かしてくる。
ささ、早く先に進もうよ
東雲さんは何も持たなくて大丈夫なん?
あー……私はやっぱりいいかなぁ……なんて
やっぱりナウい女子高生は武器の類を好まないのだろうか。某ブラウザゲームが流行している昨今の世情から鑑みるに、刀剣の類に萌えを感じる女子が多いと聞いていたのだが、それはどうやらこちらの勘違いらしい。
ならばここにはもう用が無い。三人は四階に通じる階段を抜き足差し足忍び足で昇り、さっきよりも暗さが増した長い廊下を渡って、奥の大きな木の扉の前で立ち止まった。
この階には死体らしきものが一切無い。それだけ警備が手薄なのか?
ここを通れば五階に通じる階段がある筈だ
行くか
ああ
紫月は右側、青葉は左側の扉に手を添え、それぞれ慎重に押してみる。鍵は掛かっていないようで、押している感触も妙に軽かったので、存外あっさり扉が開かれた。
予想外にも、扉の先にあったのは学校の体育館並みの広さを誇る大広間だった。天井は高く、他の階と違って文明的な照明がそこかしこに点灯していたので、さっきまで暗いところしか歩いていなかった紫月達にとっては目に毒な光景だった。
しかし、真っ先に紫月達の目に飛び込んだのは、そんな背景描写ではない。
この入り口と近い床に、深い青の忍装束を着た何者かがうつ伏せで倒れているのだ。
お……
あゆが目を剥いて、
お祖父ちゃんっ!
躊躇いもなく、すぐに倒れる老人の傍に駆け寄り、その弱った体を抱き起こす。
お祖父ちゃん、しっかりして!
あ……あゆ……?
東雲宗仁が虚ろな双眸であゆの顔を見上げる。彼は全身の至るところが斬り裂かれて出血しており、、いつもの過剰なまでのバイタリティも見る影が無くなっていた。
ようやく来たか、東雲一族の末裔よ
一階と似たような階段の頂上で、北条時芳がこちらを見下ろしながら告げた。
お前なら必ずその爺を助けに来ると思っていたぞ
私を待っていたってどういうこと!?
全てはその爺が元凶よ
時芳がせせら笑い、懐から取り出した小型の注射器をこれみよがしに見せつけてきた。
こやつは私が十年以上前にこのPSYドラッグの取引を始めたのを理由に、こちらが管理していた商品を全て焼き払って風魔一党から出奔した挙句、民間人である親戚の家に紛れ込んで極星会からの追跡を逃れた。
下手にこちらから手を出せば、北条一家どころか極星会全体が危機に晒されているところだったからな
PSYドラッグ?
青葉が繰り返すと、時芳が少し驚いたように答える。
そうか、民間にはまだ公表されていなかったな。『PSYドラッグ』とは彩萌市の間で流通が始まったスマートドラッグの一種よ。何処ぞの馬鹿な科学者がESP能力者を人工で生み出そうとして開発されたものだ。
こいつを北条一家の仕切りで捌くと言ったら、そこの爺があまりにも非人道的だと言って反論しよった。この世界に身を投じた男の吐く台詞ではない。とことん呆れ果てたものだ
要は麻薬の取引だろうが。
嫌がる奴はとことん嫌がるだろうな
お嬢さんには分かるまいよ。この渡世は綺麗事だけで食っていけるほど甘くない
ふざけるな。だから私達を捕らえて裏切り者を誘い込む餌に使ったのか
その通り。こうでもしなければ後片付けが面倒だったからな
おそらく宗仁は時芳から「あゆは城の中にいる」と言われて、平屋より先にこの城内に飛び込んだのだろう。あゆの危機に対する冷静さが欠如していた結果とも言える。
時芳は可笑しそうに語る。
何やら菓子のおまけみたいなのがついてきたが、その爺と東雲あゆ共々お前ら二人もここで始末すればPSYドラッグの情報が外へ漏れることは無い
始末するだと? お前一人で、この人数をか?
心配には及ぶまい
時芳が指を鳴らすと、何処からともなく音も無く、白の忍装束に身を包んだ人間が天井付近の回廊と階段の手前に一瞬で群がった。
その総数は目算でざっと五十人前後。これで数の有利が逆転してしまった。
これが北条一家最強の刃、
風魔一党の総力よ
思った通り、全員忍か。時芳の背後にいつの間にか立っていた、黒地に金の飾りがあしらわれた忍装束を纏う男が首領と見て間違い無さそうだ。
彼らはそんじょそこらの諜報機関の連中とは格が違う。一人一人が選りすぐりの忍であり、その集まりはまさしく精鋭部隊そのもの。これだけの軍勢を相手に、お主らは一体いつまで生き残れるのやら
……許せない
あゆは宗仁が握っていたクナイを逆手に持ち、ゆらりと立ち上がる。
お祖父ちゃんは間違ったことなんてしてないのに……全部自分が悪いのに、よくも私のお祖父ちゃんをこんな目にっ……!
お前はさっきから何を言っている?
時芳がわざとらしく目を丸くして訊ねる。
その爺がお前の祖父だと? 笑わせるな。いつまでお前は盛大な勘違いをしている?
何を――?
その男はお前の祖父などではない
時芳は宗仁をゆっくりと指差し、
だろう?
二曲輪猪助
ついに、決定的な発言をしてしまった。
あゆが一瞬で茫然となる。
え……? うそ……何を……?
分からぬか? お前の祖父、東雲宗仁はとっくのとうに私が殺している。その男はお前の家に転がり込んでから、東雲宗仁に化けて周囲を欺き続けた下郎の中の下郎よ
そんな言葉、信じられる訳がっ――
その男の言っていることは本当じゃ……
宗仁――もとい二曲輪猪助が弱弱しく白状する。
ワシはお前のお祖父ちゃんではない。それどころか、お前のお祖父ちゃんを見捨てて逃げ果せてしまった……本当なら、ワシが死ぬべきだったのに
そんな……
あゆの手からクナイが落ちる。
鉄の切っ先が木の床を打つ音は、どこか物悲しい響きが籠もっていた。