Episode8 ご愁傷さま
Episode8 ご愁傷さま
徹君……
こうして彼の名前を呟くのは何度目だろう。
山から帰ってきてからの闘子は、今みたいにずーっと夢見心地で徹の事ばかりを考えている。
ぼんやりした笑みを浮かべて、ひたすら徹君と呟く闘子の姿は、傍から見たらちょっと危ない人である。
でもそんな風に後ろ指さされたって、今の闘子は屁でもない。
だって大好きな人と、普通の友達みたいに楽しく過ごせたのだ。これは闘子にとってものすごい事である。
今まで奇跡的に闘子と遊んでくれた男の子は、一緒に居てもぎこちなく、笑顔をみせてくれはしたが必ず口端が引きつっていた。
そんな風にされると、誘って申し訳なかったと思ってしまうし、今回もまただめかとへこんでしまう。
しかし今日は違う。徹は楽しんでくれた。浮かべていたあの笑顔だって心からのものだ。あれは誰が見たって間違いない。
また誘ってもいいって聞いたら、うんって言ってくれたし……!
今回は本当にいけるかも!
徹くーん!!
徹の笑顔を思い浮かべたら、闘子は堪らない気持ちになって、枕を抱えてベッドの上を転げまわった。
髪の毛がぼさぼさになるまで荒ぶってから、ようやく布団に入る。それでもおかしな笑いは止まらなかった。
ふふふふ……
今日はドキドキして眠れないかも……!
…………
目を閉じて三秒後、闘子は速攻で眠りに落ちた。
闘子、闘子よ……
闇の中から声が聞こえる。父の声ではない、若い男性の声だ。
うきうきしながら布団に入ったことはしっかり覚えている。だからこれは多分夢だ。そしてきっとこれは徹の声に違いない。だって寝る前に徹のことばかりを考えていたのだから。
夢まで見れちゃうなんて、凄いラッキー
闘子はうきうきして目を開けた。
……とおるくん?
残念ながら私だよ
あ……えっと……
誰だっけ。一瞬はてなを浮かべたものの、次第に記憶が蘇り、闘子は眉根を寄せた。
蓮……だよね
何も取って食うわけじゃない。
そのように不安な顔をしないでくれ
で、どうかな。
思いは遂げられそうか?
ど、どうかな……。
告白もまだだし……
でも、今までよりは希望はあると思うよ!
それは良かったな。
18歳になるまであと少し。それまでに悲願達成となるといいが……
そう言えば挨拶がまだだったな。
おはよう、闘子
おはよう……?
闘子はふと違和感を覚えて、辺りを見回した。
あれ?
いつもの自分の部屋だった。しかも夢の中にしてはやけに意識も視界もはっきりしている。
確か蓮はこの姿だと、闘子とは現世では関われないと言っていたはずだ。関わろうとしても闘子の意識ははっきりしなくなるとも言っていた。それなのに何でだろう。
闘子は思わず自分の顔をぱちぱちと叩く。
夢ではないよ
どうして……
履行の日が近い。そのせいだろう。おかげで私はこのように闘子に関われる。そしてこのように――
あ……
蓮の白い手が頬に伸びて、闘子は反射的に身を竦ませた。
しかし触れるかと思った指先は、頬をすり抜けた。代わりにほのかな暖かみが闘子の頬に灯る。
ふむ、これはまだか。
もう少し時が近づけば、人のように触れられる事もできるようになるだろう
そうなんだ……
お前が18になるのが楽しみだ
まるで闘子が蓮の元に行くのが当然のような口ぶりである。彼は闘子の想いが成就するとは思っていないようだ。
そういえば蓮って縁結びの神さまだった……。分かるのかな、私に徹君は無理だって……
それに気が付いた途端、闘子は一気に自信がなくなった。今までが今までなだけに、闘子の絶対いけるという確信の方があてにならないと思ってしまうのだ。
あっ、ジョギングの時間……
おお、そうか。
励んでおいで
……その前に、着替えたいから、出て行ってほしいんだけど
……そうだな。
気が付かずに済まない
にこりと爽やかな笑顔を浮かべて、蓮は煙のように消えてしまった。
一人になった部屋で、闘子は深いため息を吐いた。
やっぱり無理なのかなあ……
寝る前まではあんなに幸せだった気分が嘘のようだ。今では不安ばかりが闘子の心を占めている。
そうだ、いずちゃん達に聞いてみよ……
そんなことない。今回ならきっと大丈夫。脈ありだよ。そういう言葉が聞きたかった。
きっと友人たちなら闘子の欲しい言葉をくれるに違いない。
しかし闘子を待っていたのは、厳しい現実だった……。
――って感じだったんだよ!
だからね、今回はきっと大丈夫だと思うんだ!
闘子ははりきって、いずみと真理亜に日曜日の出来事を報告した。けれど期待した返事は帰ってこず、何故か話せば話すほど、彼女たちの反応は薄いものになって行く。
そして最終的には――
ヘリかよ。そーいえば、この子お嬢だったな……
ないわ~
ふか~い溜息を頂いたのである。
えっ、何でため息つくの?
いやあ、そりゃねえ……
ごしゅーしょーさま
どうして?
徹君、面白かったって言ってたよ……?
そんなの社交辞令に決まってるじゃーん。
ヘリ持ってるような女に、つまんないなんて言えるコそうそういないと思うよ
それにさぁ、山に行くなら行くで事前に知らせるべきじゃないかなぁ。それなりの支度しないとでしょ~?
せっかくおしゃれしたのに、
汚れそうな山になんか連れてかれたら、
ふざけんな!だよー。
まりあだったらソッコー帰る
しかも身内に会っちゃうのもサイアク~
それはたまたまだし……
あとさ~、彼女でもないのに初っ端から手料理振る舞うって、まりあとしてはありえないな~
中にはさ~、手料理嫌いな人だっているんだよ~?
いきなり手料理は重いよ~
重い……!
とーこさぁ、前にも重いって言われたんでしょ?
それなのにさぁ、そんなことしちゃったら、もー10トン級の重さくらいいっちゃってるんじゃないの~?
10トン……!?
ちょっと、まりあ!
それくらいにしときなよ。
闘子可哀想じゃん。
固まってるよ!
そうかなぁ。こーゆー意見もあるって知っといた方がいいと思うけど~。
いずみたいに適当に慰めちゃう方が可哀想じゃないの~?
いずみにとめられても、真理亜の追撃は全く止まらない。
もしそれで仮に付き合ってくれるっていってもさぁ、ぜったいお金目当だよね~
まりあならそんな男、ぜったいヤだな
でもねー、男はキララちゃんだけじゃないからさ、次頑張ればいいよ~
重い……10トン……
闘子はもう真理亜の話など聞いていなかった。余りのショックに、闘子の頭は思考停止状態である。
自分は守護の力などなくても、振られる要素満載の地雷女だったのだ。闘子の心が、深い絶望の底なし沼にずぶずぶと沈んでいく。
トイレ、行ってくるね……
うん……
いってらっしゃ~い
闘子はよろよろと立ち上がり、教室を後にしたのだった。