草を踏む音が聞こえる。彼らには姫様命令を下しているからくるはずはない。効力はないが、あの状態でくるとも考えられない。

軽い足音

ここ、いい?

頭を上げれば想定していた人物が立っていた。狛は璃朱の隣を指さす。
璃朱がこくりと頷くと、狛はちまりとその場に収まる。
感情の薄い瞳で璃朱をのぞき込む。

ぼくはみんなに言われたから来た訳じゃないよ

…………うん

狛の手が璃朱の頬に触れる。

お姫様、泣いてる……ように見えたから

触れているの人差し指だけにする。もう片方の手も同様の形にして璃朱の口角を上げた。

笑って

……できないよ

そう……だよね……

狛は指先を頬から離すと、手を袖に隠した。
そのまま抱えた膝に顔を埋める。

もう少しだけ待って、そしたら笑うから

無理、しないで……

笑いたくなかったら笑わなくていい……でも、いつかは見せてね

まるで何かを思い出すかのように、声を絞り出して狛は言う。

…………立場が逆だね

それは誰かに語りかけるかのような独り言だった。

璃朱はそっと狛の頭を抱きしめる。

お姫様……お姉ちゃんみたい

お姉ちゃん……?

お姫様、時々『お姉ちゃん』に見える

…………前の貴王姫様に見える

!!

多分、ぼくだけじゃない。三冴もそう……烏月も多分何かは感じてる。七瀬と灯黎はよく分からないけど

みんな、それぞれに貴王姫様……喪ってるから

無理して言わなくていいよ

狛は腕の中で首を横に振る。
そっと人差し指で自身の口角を上げた。

これ、お姉ちゃんもやってくれたんだ。あの時、まるでお姉ちゃんが帰ってきたみたいで……その前から懐かしいな、って思ったけど、あの時、お姫様に被ってお姉ちゃんが見えた

……ぼく、もう、喪いたくない。姫取合戦なんてやりたくない!

わたしもだよ

わたしも……みんなに会ったばかりみたいなものだけど、喪いたくないよ

喪失は自分と比べ物にならないものだろうと璃朱はぼんやりと思う。

わたしのは空想に近いけど、みんなは目の前で喪った

もう同じことを繰り返したくない気持ちは痛いほど分かる。

多分、灯黎以外は姫取合戦なんて嫌だと思う

灯黎を説得できれば……

どうだろう、灯黎は合戦を引っ掻き回してたから

ぼくはこんなだし、お姉ちゃんも弟として傍に置きたかったみたいだから、あまり合戦場にはでたことないけど……

灯黎って色んなところで自陣を混乱させたり、言うこと聞かないで暴走したりとか、繰り返してたらしい。だからどこの陣も弾きだされてここに来た……みたい

詳しくは知らないけど

灯黎だけは喪ってないんだね

多分……

……他のみんなは陣が違かったから、やっぱり詳しくは知らないけど……でも烏月から自分と三冴は姫取合戦で敗北した者だ、ってひっそりと聞いた

だから、狛も泣いていいですぞ

流れ着いた場所の片隅で膝を抱えていた。そんな狛を烏月は頭を撫でて受け止めた。

だから、ぼくは誰も喪いたくない、喪わせないって誓った

凛とした瞳。
璃朱は頷く。

ありがとう、話してくれて

狛にお願いがあるんだ

なに?

わたしの頬引っ叩いてくれる?

!?

さっきみんなに水掛けちゃったから……おあいこにしたくて

お姫様は悪くないと……思う

確かにそうかもしれない。でも気合入れて前に進みたいの

灯黎と話をしないと

狛は手を構えると。

触れるように軽く叩いた。

優しいね

お姫様を本気では叩けないよ。お姉ちゃんにも見えるのに

わたしのことお姉ちゃんって呼んでもいいんだよ

狛は瞳を見開いて、一呼吸置いた後、首を横に振った。

できないか……

お姉ちゃんはお姉ちゃんで、お姫様はお姫様、だから

そうだね。元気ありがとう。行ってくるよ

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