ごめんね

狛から勇気をもらったが、それでもこの部屋に赴くまで時間が掛かった。
上から見下ろす形だが、言葉を漏らす。相手は布団の中で身じろぎをして、紅玉の瞳だけをこちらに向けた。

……案外早いものだな

ちょっと落ち着いたから

その場にすとんと座り込む。改めて部屋の状況を見ると、予想以上に被害は深刻だった。
この部屋に水は禁忌みたいなものだ。

本にもだいぶかかちゃったみたい

布団もそのままじゃないか、と指先で触れればじわりと湿っていた。

その……とりあえず、布団、変える?

あんたはそんなこと言うために来たんじゃないだろう

頭を振りながら灯黎は身体を起こす。
紅玉の瞳は相変わらず鋭かったが、その中に哀愁をみた。

璃朱は一度瞳を閉じ目線を外すと、意志を込めて灯黎を見る。と、彼は顔を璃朱の身体に埋めた。

灯黎!? 大丈夫!?

身体は平気だ……どうせ、自分でつけた傷だ

!!

三冴が言っていたことは間違ってなかった。

もう少しこのままでいいか?

……うん

頭を撫でてやると、彼の唇から深い溜め息がこぼれた。

本当に……ずっとこのままでいたい。何でおれは戦地にいかないといけない……

灯黎……

おれのこと、おかしな奴だと思っただろ?

自嘲じみた笑い声。

自ら合戦をしろと言っていた奴がやりたくない、など

……引っ掻き回すのはもう、疲れる

なんでそんなことするの? 灯黎だって放棄して本を読んでればいいのに

声が、聞こえる

『姫取合戦を滞らせるな、やれ』そんな声がな

おれは狂っているんだ

……それって二重人格的なもの?

分からない。おれのような声にも、他人の声にも聞こえる

無視しようとすると責め立てる声はどんどん脳内を支配する。何か起こしたあとはしばらくは聞こえないから、最早引っ掻き回すのは鎮静剤だな

痛かった……何やってんだろうって刺した直後に思った

布団越しに灯黎の傷に触れる。

……またしばらくしたら暴れ出すんだろうな

その時はわたしが止めるよ。水かけても、頬を引っ叩いても

…………

……ぜひ、そうしてくれ……

……ほかの奴らも死なない程度にそうしてくれても構わないぞ

灯黎が顔を上げる。目線の先を追うと本の陰に仲間たちがいた。

い、いつから!?

三冴はいますぐにもまた殴りかかりそうな気配を纏っていたが、璃朱の手前どうにか耐えていた。

声の下りあたりですかな

ぼくが全員引っ張ってきた。こういう時は全員でいた方がいいかなって……本の中でもよくあるし

狛はだめになってしまった本を一冊拾う。それは合戦とは関係ない、物語だった。

見事なまでにやっちゃってるな、これは買い直しだな

ついでだから春画まぜてやるよ

とうとう自分で持っていることを公言したな

誰も持ってるとまでは言ってないだろ。

持っていないともお前の口からは聞いたことはないぞ

魚の入った水ぶっかけるぞごらぁ

それはこいつ専門だろう

ちょっとわたしのこと指差さないでよ! ……あの時はごめんなさいって

あーあー、姫ちゃんまた泣きそう

姫ちゃんに危害を加えそうだったら、紛れてぼこぼこにしてやろうと思ったのに残念

三冴はそれだけを言って一人部屋から出ていく。

あ、ちょっと……

灯黎ごめんね、ちょっと出てくるね

……あいつには、一度ぐらいなら殴ってもいいぞ、と言っていたって伝えてくれ

…………分かった

三冴!

……姫ちゃん、姫様命令使って。灯黎を許してって言って……じゃないとまだあいつの発言、許せそうにない

使いたくない

そっかー、残念

灯黎が一発だったら殴っていいって

一発かぁ……あの綺麗な顔だいぶ腫れるよ、渾身の一撃浴びせるから

……お手柔らかになんて、きかないよね?

姫ちゃん命令ならいいよ

……ちょっとこの状況では使いたくない。三冴と灯黎の問題だから

まぁ……姫ちゃんを泣かせるようなことはしないよ

あ、そうだ

俺と姫ちゃんの問題、まだ解決してないよね?

璃朱は息を止めた。灯黎の部屋を出てくる時、少しだけ覚悟していた。話の流れによっては話題になるんじゃないか……と。
あの時の告白の返事。

あとで三冴に質問していい?

いつでもいいよ、待ってる……って言いたいけど、ちょっと時間あけてくれる?

俺も色々と整理しないとね。じゃないと、姫ちゃんの答えによっては襲っちゃいそうだから

バイバイと手を振る。
声は笑っているのに、心は全く笑っていなかった。

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