同時刻、幹人が見ていたニュースを、杏樹も自らの事務所のテレビを通じて知った。

 口に挟んでいた煎餅をぽろりと床に落とし、杏樹は呆然と呟く。

池谷杏樹

二曲輪猪助って……東雲さんが探していたとかいう人よね

東屋轟

ですな

 自分の事務机で湯呑みを呷っていた轟が適当に応じる。

池谷杏樹

じゃあ、紫月君に連絡入れないと

 杏樹は自らのスマホを操作しつつ、内心では半分くらい幸運に思っていた。あゆの依頼はタダ働き同然なので、そんな仕事の為に一か月も紫月を貸し出すのは正直なところ気乗りしなかったのだ。

 でも、捜索対象がこの世から消えた時点で紫月の仕事も意味を成さなくなる。依頼者には申し訳無く思うが、この情報は黒狛探偵社全体で見れば朗報に値する。

 一昔前の自分なら胸糞の悪い気分になっていたものだが、いつしか不思議と冷酷な計算が出来る年頃になってしまった。年は取りたくないものである。

池谷杏樹

あれ、おっかしいな

東屋轟

どうかしたんすか?

池谷杏樹

紫月君に全然繋がらない

 さっきから何度発信しても応答が無いどころか、電源を切っているか電波の届かない場所にいる可能性があるなどと言われてしまった。

池谷杏樹

あの子、いま何してるんだろ

東屋轟

もしかしたら自宅のアパートで依頼者に手を出してたりして

池谷杏樹

くたばれ

 床の煎餅を拾い上げ、投擲して轟の頭に見事命中させる。

池谷杏樹

紫月君はそんな悪い子じゃありません

東屋轟

どうかな。俺もあんたと一緒にちんまい頃からあいつを見てきたが、いまになってもあいつの考えてることなんて分かりやしねぇ

池谷杏樹

それはっ……

 何か反論しようと思ったが、出来なかった。全く以てその通りだからだ。

 杏樹は苦し紛れに話題を戻す。

池谷杏樹

……そんなことより、どうやって紫月君と連絡をつけようか

東屋轟

こんなとき、都合良く誰かから電話がピローンピローンって

東屋轟

……社長。念の為言っておくが、俺はESP能力者なんかじゃないっすよ?

池谷杏樹

分かってるって。ちょっと驚きはしたけど

 杏樹は内心でちょっとした恐怖を覚えつつ、受話器を取ってスピーカーを恐る恐る片耳にくっつけた。

池谷杏樹

もしもし、こちら黒狛探偵社です

もしもし、夜分遅くに申し訳ありません。私は東雲あゆの父兄の者です

池谷杏樹

え? 東雲さんのお父様ですか?

 随分と意外な相手だ。あゆはこの件を親に秘密にしていたのではないのか?

あの……私の祖父から伺ったのですが、うちの娘が大変なご迷惑をおかけしているようで、その……

池谷杏樹

いえ、こちらも娘さんのご依頼を受けざるを得ない事情がありまして

 主に紫月のせいだが。

池谷杏樹

娘さんの人探しにつきましては、こちらで善処させていただきます、はい

いえ、今日はその件ではないです

池谷杏樹

と、いいますと?

さっきテーブルの上で父――東雲宗仁からの書き置きが見つかりまして。その中に何故か黒狛探偵社の連絡先が記載されていたんです

池谷杏樹

私達の?

ええ。もし今日あゆの帰りが遅くなるようなら、ここに連絡して貴方達に彼女を迎えに行ってもらうように頼めという指示が書かれていまして。
あゆが二曲輪さんの捜索をここに依頼していた旨も書かれていましたから、おそらくいま何が起きているのか、黒狛の皆さんはご存知なのではと思ったのですが……

池谷杏樹

私の方は何も――って、ちょっと待ってください

はい?

池谷杏樹

いま、「迎えに行ってもらうように」っておっしゃっていましたね。もしかしてその書き置きに私達が向かうべき場所が記載されているのでは?

ええ、書いてあります。場所は……四季ノ宮郊外の山道の頂上にある城です

 あそこは四季ノ宮のとあるお偉いさんが住んでいると噂の時代錯誤な城だが、実態は北条一家が所有する風魔一党のアジトだ。

池谷杏樹

まさかそこに東雲さんが……?
でも、何で?

分かりません。ですが、警察に連絡したらそれこそ危険な事態になる気がして……

池谷杏樹

話は大体分かりました。とりあえず、いまから城の状況を確認しに行ってきます

 杏樹は二言三言締めの挨拶を交わすと、受話器を置いてしばらく黙考する。

 東雲宗仁が指定した場所にあゆがいるなら、紫月も同伴していることになる。でも宗仁がどうやってあゆの所在を掴んだのかが分からない。

 とても嫌な予感がする。二曲輪猪助が死亡した件についても謎が多い。

池谷杏樹

……轟君。出かける前にもう一回電話するから、車をいつでも出せるようにしといて

東屋轟

あいよ

 轟が妙に軽い気分で事務所から出ると、杏樹は固定電話で別の番号を呼び出した。

 相手がスリーコールで応答する。

池谷杏樹

あ、新渡戸さん? あたしあたし。皆大好き杏樹ちゃん

新渡戸文雄

何だぁ?
このクソ忙しい時に


 よく便宜を図ってもらっている新渡戸文雄巡査長が、開口一番で悪態を吐いた。

新渡戸文雄

こちとらデカいヤマが二つも重なって大変なんだよ。悪いがそっちの仕事に構ってられる時間なんて皆無だ

池谷杏樹

あら、そうなの。私達も実は結構ヤバいことになってて、訊ねたいことがいくつかあるのね。まあ、そっちに関係があることなのかは謎だけど

新渡戸文雄

ちゃっちゃと終わらせて仕事に戻りたい。用件を手短に言え

池谷杏樹

さっき人の死体が詰め込まれたドラム缶が発見されたっていうニュースが流れたんだけど、そのことについて何か面白い話があったら聞きたいなー、なんて

新渡戸文雄

奇遇だな。俺も丁度、その事件の捜査に駆り出されるところだ

池谷杏樹

おうっ?

 早速リーチを引き当てた。ビンゴまであと一歩といったところか。

池谷杏樹

新渡戸さんってぇ、やっぱり何か持ってるよねぇ

新渡戸文雄

そういうお前の持ち物はどうなんだ?

池谷杏樹

それなんだけどぉ――

 杏樹はかいつまんで、いま紫月が関わっている依頼の情報を提示する。勿論、依頼者に関するプライバシーや、こちらの信用に関わる部分は伏せてある。

新渡戸文雄

……なるほどな

 新渡戸が嘆息混じりに頷く。

新渡戸文雄

お前さんも二曲輪を探していた訳か。でも悪いな。こっちはさして面白い話なんざ持ち合わせちゃいねぇぞ? むしろこっちの方が情報量は少ないくらいだ

池谷杏樹

回収した遺体の解剖っていまどうなってるの?

新渡戸文雄

仏さんの身元を示す物が無いんで、採取した遺伝子情報をもとに科捜研が身元を割り出そうとしている。悪いが真相の解明には結構な時間が要る

池谷杏樹

そう。まあ、あまり期待しちゃいないけど

 組織形態の関係上、警察の捜査には大幅な時間が消費される。警察が全てを知るまでに、民間側が全てを解明して解決する可能性も無くは無い。

池谷杏樹

それから、さっき二つもデカいヤマが重なってるとか言ったけど、もう一個は何よ

新渡戸文雄

麻薬だよ。
……いや、麻薬じゃねぇな


 どっちだよ。

新渡戸文雄

とにかく薬物絡みだ。いま話題の仏さんと関係があるかもしれんから、とりあえず家宅捜査の令状を作って北条一家にガサ入れする予定がある

池谷杏樹

問題の薬物ってどんな種類のやつなの?

新渡戸文雄

……他には絶対に漏らすなよ?

 新渡戸の声があからさまに小さくなる。

新渡戸文雄

スマートドラッグだよ。
しかもかなり危険なやつだ

池谷杏樹

要は覚醒剤みたいなもんでしょ? ヤクザの商売ならよくある話よね

新渡戸文雄

話はそう単純じゃねぇ。人体にこれまでとは規格外の効果をもたらす危険ドラッグだ。俺が内緒で使っている情報屋はその薬物を『PSYドラッグ』って呼んでいた

駒木定義

おい新渡戸ぇ!
いつまで電話してんだクルァ!

 受話器のスピーカーから音割れした怒声が突き抜けてきた。心臓に悪い一撃である。

駒木定義

さっさと来いや、
このバカタレェ!

新渡戸文雄

先輩スンマセ――池谷、とりあえずもう切るからな!

 怪しげな情報交換は呆気ない幕切れを迎えた。

 杏樹は受話器を再び置き、自分の執務机の引き出しから一丁の自動拳銃を抜き出し、上着のポケットに仕舞いこんだ。ちなみにこの銃は紫月が愛用しているものと同じ型である。

池谷杏樹

よし、行くか

 両手で顔を叩き、杏樹は駆け足で事務所を辞した。

『通りすがりの探偵』編/#2風魔の城 その四

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