その時、何かが近づいてくる足音が神社の石段の方から聞こえてきた。
その時、何かが近づいてくる足音が神社の石段の方から聞こえてきた。
何か、音が……
この気配は……
ふよふよと絶えず動いていた光たちが、金縛りに遭ったように一斉に動きを止めた。
空気が凪ぐ。
皐矢の身体に悪寒が奔り、額にじっとりとした汗が浮いた。
「ソレ」は、皐矢と鼻先が触れ合うほどの距離にいた。
おびただしい魂の光も霞むような、絶対的な闇の輪郭。憎しみと怒り、そして――深い悲しみや寂しさしか浮かばない、赤く赤く底光りする目。
ワタシ ハ オオミカミ ヲ ユルサナイ。
ワタシ ハ オトサレタ。テン カラ。
オオミカミ ノ タメ 二 アマタ ノ イノチ ヲ キリ チ ヲ アビタ。
オオミカミ ハ ノタマッタ。
ワタシ ハ ケガレテイル ト。
ワタシ ノ タマシイ ヲ フウジラレタ オマエタチ ノ チ モ ケガレテイル。
オオミカミ ハ オマエタチ モ ケス。
ホカ ノ ミンナ ハ シンダ。
ミンナ コロサレタ。
アト ハ――
九十九が息を詰める気配がした。
皐矢に思い切り頭突きを食らわされた影は、よろめくように後退した。
こ、皐矢……?
……い
自分を心配する九十九の声を無視して、頭突きの痛みに必死で耐えながら皐矢は叫んだ。
お前のターンが長い!!!
皐矢の声はわんわんと夜の静寂に反響して、その場にいた何ものも呆気にとらせた。
こっ――
生霊なら早く身体に戻さないといけないというのに見分けはつかないわ、うじゃっとヒトん家に押しかけるわ、眠いわ、いきなり新キャラ登場するわ、勝手にホラーにしてんじゃねえよ!!
皐……
皐矢は硬直している影の前に進み出ると、肩と思われるところを掴んだ。
ヒトん家に勝手にうじゃっとしたお客様連れてきたのお前か?
今日が何曜日かわかるか?
火曜だ!!
皐矢!?
つまり、今日からゴールデンウィーク明けのテストが始まる。今日から早く起きてお祖父ちゃんを神社に運ぶ約束がある。赤点とって補習で帰りが遅くなると家の手伝いに支障が出る
……皐矢ぁー?
どいつもこいつもこぞって迷惑だ。
俺がやっと手に入れかけている日常を勝手に黒く塗ろうとするな
皐矢!
さっきから何だ? お前もお前だぞ、この豆ダヌキ
豆ダっ……
そ、それはさておき、こやつじゃあ。お主が今後、服従させるか――
ああ、お前が最初に言ってたことか。消すか、服従させるしかない――
“靭代家に憑いた影”
……そうじゃ。
わしはお前を守ることを命じられてここにいる。ここに至るまでに、たくさんの噂を聞いた。この「影」は靭代に力を与えたらしいが、たぶん……この「影」のせいで靭代は滅んだ
……なんだ、お前、「わし」とか言いながら実は生まれたてホヤホヤか
お主のために作られた眷属じゃからな!
勉強の途中で靭代が滅んでしまったが……。
でもでも、お主よりいーっぱい靭代のことを知っとるんじゃからな!
はいはい
……
皐矢は影をじっと見つめた。
いつの間にかそわそわ動き出した魂たちの中の一つが、何かを囁いているように影の横を浮遊している。影も何かを聞いているように魂の方へ目を向けていた。
おい
皐矢の呼びかけに、影の目がこちらを向く。魂が影の肩に乗るように移動した。
このお客様たちは生霊か? それとも死霊か?
影は「生霊」のところでゆるゆると首を振り、「死霊」のところで微かに頷いた。
……俺にどうしてほしい?
九十九が息を飲む気配がしたが、何も言葉は発しなかった。
カレラ ハ ユギシロ ノ レイ。
オマエ ヲ ミマモルタメ 二 アツマリ、ワタシ ヲ ココ 二 ヨンダ。
更に数個の魂が、影や皐矢の回りを浮遊し出す。
ミナ ガ オマエ ヲ エランダ。
ワタシ ハ ユギシロ カラ ノガレラレナイ。
ユギシロ ノ チ ノ ナカ デ シカ イキラレナイ。
……つまり、俺が引き受けなかったら、叔母さんのところに行くのか?
皐矢!?
皐矢がしようとしていることを読んだのか、九十九が引き止めるように名前を呼んだ。
影の言う「大御神」は、最高位の神だ。以前に祖父が話をしてくれたから覚えている。だが、それだけの知識だ。影の言葉の意味を、皐矢は理解してやれない。
でも、影の持っている、悲しいとか寂しいとか、そんな感情なら理解してやれる。
また、叔母のところにいかせるのも何だ。
皐矢は光の群れの一つ一つと目を合わせるように辺りを見回した。
なんて多いのだろう。これが皐矢が背負うもの。
この中には、生きているうちに皐矢に触れた人達もいるのだろうか。
――例えば、両親とか。
そして、これから自分が口にする言葉を頭に浮かべ、唾を飲み込む。
……俺のことを待ってくれるなら、引き受ける。今はまだ全部は背負えない。少しずつ勉強するから、だから……
一瞬、夏の外気とは違う、ふわりと包み込むような空気を感じた。これは、誰の“腕”だろう?
皐矢……
何か感動したような九十九の声に、その言葉は反射的に出た。
だから、しばらくこの豆ダヌキの身体に入っといて
ほげー!?
あ、と思ったが既に遅かった。
光と影は混ざり、皐矢達を包み込むようにして束の間視界を奪い、九十九の中に消えていった。
夏の夜に、風の声が戻ってくる。
……
……
九十九さん、お加減はいかがですか?
……なんかこう、高層マンションの一番いい一室を与えられた感じ?
……ご近所付き合いは?
……ぷらいべーとが完全に保たれている感じ?
……無理して横文字使わなくていいぞ
いや、そもそもこれはないじゃろう!
眷属らしく、主人の突拍子もない言動に振り回された九十九の叫びは空に吸い込まれていった。