人は人を裁けはしない・・。
万物を有し物事を正確に判定する存在が居たとしても人間の”業”を裁けはしない。
人が人で在るが故、自らを裁くのは自分のみ・・。
今日も執り行われている裁判も人を裁くのではなく、公平な場で事件を裁く事によって、被告人または被害者、その事件に関わった人の心を洗い出し己に問うことが目的。
そういう意味では裁判に参加する全ての人は罪人なのかもしれない・・己を説かせられる。
そうした調和の場の中、導き出された結果にとして被告人を裁く事になるのだが。
中には己の罪から逃げ、社会的には無罪のまま解放される者がいる、そうした人は・・ずっと自分の中で自分を殺し続けなければならない地獄が待ち受ける
(たぶん。
また、罪を感じない人は、更なる罪の果てに己を殺すのでしょう(自談。