愛知県から白猫探偵事務所に戻ってきた幹人を待っていたのは西井和音だけだった。

 彼女は野島弥一と違って事務所の番を唯一任せられる優秀な人材なのだが、だからといって彼女が一人だけで長時間留守番しているというのはいささか問題があった。

蓮村幹人

西井君。野島君から定時連絡が来ている筈なんだが

西井和音

例の潜入捜査ですか。
こっちはあいつからはまだ何も報告を受けてませんよ

蓮村幹人

そうか。
ところで、青葉は何をしている?

西井和音

青葉は今日休みじゃないですか

蓮村幹人

……忘れていた

 和音が一人なのは、単純に幹人のスケジューリングが甘かったからである。

蓮村幹人

まあいい。
で、今日は新規の依頼が何件だ?

西井和音

二件っす。こっちの人員のこともあるんで、順番待ちってことにしてもらってます

蓮村幹人

よろしい

 幹人は執務机の上からリモコンを取り、55型の最新型テレビを点灯した。

 早速写し出されたニュース番組を目にして、幹人は少しばかり興味をそそられる。

先日東京湾の底から引き上げられたドラム缶の中身を解体したところ、中から白骨化した人間の死体が発見されました

蓮村幹人

新渡戸が前に電話で言ってた奴だな

西井和音

東京湾を掃除していた清掃船が見つけたとかいう不自然なドラム缶ですね。たしか、女子高生の死体がドラム缶の中で発見されたって事件が昔あったような……

 和音が言っているのは『女子高生コンクリート詰め殺害事件』のことだ。複数の非行少年が一人の女子高生に対して寄って集って強姦及び暴行を働き、命絶えるまで責め抜いた挙句ドラム缶の中に彼女の死体が入った旅行バックを詰め、コンクリートをドラム缶に流して固めて何処ぞの埋立地に遺棄したという、馬鹿みたいに徹底された複合犯罪である。

 当時はまだ少年犯罪の危険性に対する意識が希薄だったのもあり、加害者と被害者が双方未成年で、監禁の事実に気付いていていながら周囲の人間が見て見ぬ振りを決め込んでいたのもあって、この事件は社会に大きな衝撃を与えた。

 閑話休題。アナウンサーが被害者の名前を公表する。

警察によりますと、死体はつい半年前に行方不明となった二曲輪猪助(年齢不詳)さんのものであると推測されています。彼は指定暴力団組織、極星会・北条一家において諜報員として活動していた、組織の中核的存在です。警察は彼の死について北条一家が何かしらの関わりを持つものとみて――

西井和音

ヤクザの内輪揉めっすかね

 和音がくすりと笑う。

西井和音

北条一家といえば『風魔一党』を擁する武闘派の連中でしたね

蓮村幹人

あまり関わり合いにはなりたくない連中だ。まあ、野島君が唐沢一家の連中と友好関係を築いてくれたおかげで、我々の身柄についてはそこそこ安全が保障されている。あの男もたまには役に立つものだ

西井和音

あまり褒めると図に乗りますよ、あいつ。たしかに優秀な奴ですけど――

 和音が作業していた机の上で、固定電話の電子音が甲高く鳴り響く。彼女は幹人をちらりと見て、外部スピーカーをオンにしてから受話器を取った。

西井和音

もしもし、こちら白猫探偵事務所

野島弥一

その声、西井か!?

西井和音

あれ? 野島じゃん。随分と連絡するの遅かったけど、何かあったの?

野島弥一

いま四季ノ宮の公衆電話から発信してる。
それより大変だ。
青葉が『風魔一党』のアジトに乗り込みやがった!

西井和音

はあ?

 彼が何を言っているのか、大して事情を知らされていない和音には理解不能だっただろう。勿論、幹人にも半分くらい理解が及んでいない。

 何で、この状況で青葉の名前が弥一の口から出てくるのだろう?

野島弥一

とにかく、早く救援を呼んでくれ! このままじゃ本当にあいつ死ぬぞ!

蓮村幹人

西井君、代わってくれ

 幹人は和音から受話器を受け取ると、ため息混じりに弥一を諭した。

蓮村幹人

野島君、私だ。とりあえず落ち着け。何があったか、最初から私に説明しろ

野島弥一

社長っ……

 幹人の声を聞いて落ち着いたのか、弥一はこれまで彼の身に起きた出来事を詳細に説明した。

 全てを聞き終えた幹人が、空いた片手で顔面を覆う。

蓮村幹人

……青葉の奴。何でそんな面倒に首を突っ込んだんだ?

 普段の青葉なら絶対に有り得ない行動だ。彼女は好奇心旺盛なところがあるとはいえ、関わっていい範囲と良くない範囲の区別は誰よりもはっきり線引き出来る人物である。

蓮村幹人

風魔の連中には関わるなとあれほど言っておいたのに。で、たしか青葉の他に二人いたという話だな。念の為、どういう奴らか教えてくれ

野島弥一

一人は東雲とかいう女の子で……もう一人はシヅキって呼ばれてたか……

蓮村幹人

シヅキ?

 最近、青葉がよくその名前を口にしていたような気がする。

葉群紫月。出会い方にはちょっとした問題があったとはいえ、それ以降は良き友人として付き合っているという青葉と同い年の少年だ。余程彼女の御眼鏡にかなったのか、三日に一回は彼の話をするし、時々夕飯も彼と一緒に外で食べていくらしい。

蓮村幹人

……野島君。君はしばらく四季ノ宮の何処かで待機してろ。いまから西井君をそちらに送る。彼女が運転する車に乗って、この事務所まで一旦戻って来い

野島弥一

青葉はどうするんすか?

蓮村幹人

彼女ならしばらくは大丈夫だ。あと、この案件は絶対に外へは漏らすな。唐沢一家への報告も含めて、後の心配はもうしなくていい。それから、青葉の暴走については私の監督不行き届きだ。君の仕事を台無しにして大変申し訳ない

野島弥一

そりゃ別にいいっすけど……

蓮村幹人

あまり悠長に喋っている時間は無い。切るぞ

 幹人は有無を言わさず受話器を戻すと、和音に社用車のキーを投げ渡した。

蓮村幹人

事態は急を要する。悪いが残業してもらうぞ

西井和音

了解。社長は?

蓮村幹人

ここに残って裏方の作業をこなす。青葉に書かせる始末書も用意しなければな

西井和音

分かりました。じゃ、行ってきます

 和音は上着を引っ掛けて慌ただしく事務所から飛び出した。

 一人になり、幹人は青葉がいつも座っている椅子に腰を落として嘆息する。

蓮村幹人

青葉……随分とお前らしくない真似をしたな

 呟いてから、幹人は立ち上がって自らの執務机に向かい、机上の写真立てに収められた一枚の写真をしばらく眺めていた。

 これは青葉が幹人に引き取られて間もない頃に撮影された一枚だ。この頃の彼女は罪の意識も無く無表情で暴力を振り撒く病的な少女だった。きっと、自らの悲惨な生い立ちに対する折り合いが付けられていなかったから、内心で燻っていたフラストレーションを小出しに消費するようになったのだろう。

 でも、いまの彼女は理知的で大人びた一人の女性として成長した。

 なのに、何故――

蓮村幹人

いかんな。韜晦するのも私の悪い癖だ

 いまは自分が成すべきことに集中しよう。彼女への詰問はその後だ。

 幹人はまず、写真立ての隣に置かれた固定電話に手を伸ばした。

『通りすがりの探偵』編/#2風魔の城 その三

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