#2 風魔の城

 後から杏樹に聞いた話によると、伊崎愁斗は彼女と同世代の探偵だったらしい。彼が営んでいた風魔探偵事務所の所在地は四季ノ宮町。丁度、紫月が次の捜索範囲として目を付けていた隣町である。

 紫月とあゆ、それから青葉は、かつて風魔の事務所があったというテナントビルの前に立ち止まり、二階の窓ガラスを見上げて二の足を踏んでいた。

葉群紫月

……で、何で青葉が来ちゃったの?

貴陽青葉

君が何処の馬の骨とも知れん女と二人っきりでいちゃこらしているのが何となく許せないからだ

葉群紫月

まだ彼女ネタ引きずってんの?

東雲あゆ

この泥棒猫がー

 あゆが愛憎劇における定番の台詞を棒読みする。

東雲あゆ

私の葉群君に近寄るにゃー

葉群紫月

お前がネコ化してどないすんねん

貴陽青葉

にゃにおー? 貴様、この私に喧嘩を売ってるのかー

葉群紫月

頼むから、ここでキャットファイトだけは勘弁な

 何が悲しくて隣町の往来で痴話喧嘩に巻き込まれなきゃならんのやら。

葉群紫月

まあいい。さっさと行くぞ

貴陽青葉

ほーい

東雲あゆ

にゃー

 後ろの女子二人が能天気に応じる。青葉は仕方ないとして、あゆがピクニック感覚なのはさすがに困る。真面目に人探しを進めているのがバカらしく思えるからだ。

 三人は特に迷いもせずにテナントビルの二階に上がり、目の前を塞ぐスチール製の扉を前にして息を呑んだ。

 扉には『小室総業』なる表札が提げられている。だが、名前自体に対した意味が無さそうなのは紫月も薄々気づいている。

 この向こうに居座る人間が、日向者である訳が無い。

葉群紫月

……帰るならいまのうちだぞ

貴陽青葉

問題無い。何が襲ってきてもぶっ飛ばしてやるまでだ

東雲あゆ

右に同じ

 何とも頼もしい連中である。あまりにも勇ましくて涙が出そうだ。

 紫月は呆れ半分の気分を顔から引っ込め、扉の横
の呼び出しブザーを鳴らした。

 十秒と経たず、扉が開かれる。

あん? 
何だ、てめぇら

 早速、ストライプのスーツを着たパンチパーマの兄ちゃんがメンチを切ってきた。

 やっぱり、ここは指定暴力団の事務所になっていたのか。

葉群紫月

いきなりお伺いして申し訳ないです。二、三、お訊ねしたいことがありまして

ここはガキの来るとこじゃねぇよ、
とっとと帰んな

葉群紫月

お時間は取らせませんし、そちらに対して危害を加える気は一切無いです

しつけぇな。……ちょっと待ってろ

 パンチパーマは一旦屋内に引っ込むと、五秒も経たずに玄関口に戻ってきた。

入れ

葉群紫月

いえ、さすがに上がり込むまでは……

いいから入れ。うちのボスが社会科見学でもなんでも付き合ってやるってよ

葉群紫月

はあ……じゃあ、お邪魔します

 紫月は女子二人とそれぞれ目を丸くして顔を見合わせると、おっかなびっくり扉の向こうに足を踏み入れ、中にいた幾人かの人員にそれぞれ小さく頭を下げた。

 皆一様に、さっきのパンチパーマと似たり寄ったりの格好をしていた。だが、その中で一人、明らかに格好が違う肩幅の広い御老体が応接間のソファーから会釈してきた。

 御老体の風体は有り体に言って江戸時代の殿様みたいだった。

北条時芳

おや、これまた随分と若いお客さんですな

 彼は座ったまま言うや、三人に対面のソファーを勧めた。

北条時芳

何か我々に質問があるという話だったかな。まあ、座りなさいよ

葉群紫月

では、お言葉に甘えて

 三人は御老体の対面のソファーに並んで腰を落ち着ける。女子二人に挟まれて指を組みながら座る紫月の姿は、彼にはさぞかし滑稽に映っただろう。

 でも、いまは彼の評価なんてどうでもいい。

葉群紫月

初めまして。葉群紫月と申します

貴陽青葉

貴陽青葉です

東雲あゆ

ど……どうも、東雲あゆです

北条時芳

北条時芳という者だ

 時芳なる老人が日向ぼっこでもしているかのように微笑むと、周囲に控えるスーツ姿の強面兄ちゃん達をぐるりと見渡す。

北条時芳

恥ずかしながら、私は彼らのオーナーでね。まあ、何のお仕事をしているかは想像にお任せするとして……君達はどのような用件でここへ?

葉群紫月

ちょっとした事情で人を探しておりまして。その手掛かりがこの場所にあると聞いたものでして、アポも取らずに大変申し訳ないと思いつつ伺わせていただきました。この度はいきなりの訪問をお許し下さい

北条時芳

別に構わんさ。そちらも、どうせアポなんて取れやしないと承知しているだろうに

 そこはかとなく、こちらの思惑を見透かされている気分だった。

北条時芳

で、君達は誰を探しているというのだね?

葉群紫月

伊崎愁斗という人物です

北条時芳

ほう?

 時芳が少しばかり驚いたような反応をする。

北条時芳

かつて、この場所で風魔探偵事務所なる会社を営んでいた者だね

葉群紫月

ご存知なら話が早いです。僕達が探している人物の手掛かりを、その伊崎愁斗が握っている可能性がありまして

北条時芳

なるほど。探し人から探し人を特定しようという訳か

 妙に呑み込みの早い人物のようだ。しかし、ここまで話がとんとん拍子に進むのも、場所が場所なだけあって気味が悪い。

北条時芳

しかし、それでは随分と回りくどいだろう。君達の本懐は伊崎とやらを通して見つかるであろう別の人物だ。なら、その人物の行方を直接追う気にはならなかったのかね?

葉群紫月

僕らが見つけた限りではそれが唯一の手掛かりなんです

北条時芳

ふむ……ちなみに、君達が本当に探しているという人物は何者なのかね?

東雲あゆ

二曲輪猪助という人です

 あゆが身を乗り出して答える。

東雲あゆ

勿論偽名かもしれないんですけど、彼は私のお祖父ちゃんの親友なんです

北条時芳

……そうか

 意味ありげに頷くと、時芳はソファーの背もたれに背中を寄り掛からせる。

北条時芳

二曲輪猪助。懐かしい名前だ

東雲あゆ

彼を知ってるんですか?

北条時芳

勿論だとも。何せ、かつてこの私と兄弟盃を交わした仲だからな

 いきなり飛び出した衝撃発言に、三人はそれぞれの意味で目を丸くした。

東雲あゆ

兄弟盃ですって?

北条時芳

ああ。随分と昔の話だ。しかし、これも奇縁という奴か。まさかこんなところで猪助を探す者と、東雲宗仁の孫娘に会えるとはな

東雲あゆ

お祖父ちゃんのことも知ってるんですか!?

 あゆが驚くのは当然として、紫月からしてもこれは大きな進歩だった。いままで全く手応えを感じなかった調査が、ここに来て大きな転機を迎えたのだ。

 時芳は遠い目をして語った。

北条時芳

お嬢さんは知らないだろうが、東雲宗仁と二曲輪猪助はかつてこの極星会・北条一家の内部組織である『風魔一党』の二大巨頭だった。
忍の技を以てあらゆる組織の情報を盗み出し、いざ他の組の抗争とあらば人離れした仕業を成して北条一家の栄華を支え続けていた

葉群紫月

風魔一党だと?

 紫月も名前くらいは知っている。風魔一党は探偵達の間でも相当騒がれていた謎の一団で、彼らが関わる仕事は避けて通るのが、ここら近辺に事務所を構える探偵達の暗黙の了解だった。

 時芳の話は続く。

北条時芳

だが、二人は突然、私の前から姿を消した。私がある取引に関わるようになってから、彼らはこの私を見限ったのだ

 口調こそ穏やかだが、紫月の目には彼の唇の隙間から、いまにもマグマが噴出しそうな熱量が漏れ出しているように見えた。

北条時芳

君達の質問に答えよう。まずは伊崎愁斗についてだが……彼は事務所と共にこの町から消え去った。

それは何故か。彼は自身が担当した仕事で、たった一つの大きなミスを犯したからだ

 普通なら、もう喋らなくていいと相手を制していただろうが――相手が相手でもあるし、何よりこれから先に語られるであろう真実が危うい魅力を秘めているような気がして、咄嗟に耳を塞ぐ気にもなれなかった。

北条時芳

彼はとある指定暴力団が絡む案件に知らず知らず首を突っ込んでしまっていた。そして暴力団のボスは自らの部下に対し、当時その案件に関わっていた部外者を皆殺しにするよう命じた。そのリストには当然、伊崎愁斗と、彼の部下の名前が記載されていた

 いきなり、ジャカジャカと妙な音がしたかと思えば、周囲を固めていた組員が自動拳銃の銃口を一斉に前方へ突き出していた。

 狙いはもちろん、紫月とあゆ、それから青葉の三人だ。

北条時芳

しかし、それは全て、ボスの自作自演だった。彼は最初から伊崎愁斗に対して、自分達の案件をわざと踏ませるように仕組んでいたのだよ。
その案件の依頼人もボスの差し金だったと奴が気付いたのはいつの話なんだろうな

葉群紫月

中々えげつないですね。
ところで、得物のマズい方が
こっちを向いてるんですが?

北条時芳

この状況を前にして驚かないどころか平然としているとは、その胆力にはさすがの私も恐れ入ったよ。若い頃の私はそこまで肝が据わっていなかったからな

 紫月だけでなく、青葉もあゆも何故か平然としていた。この状況に理解が追いついていないのか、はたまた本当に恐怖を感じていないのか。

北条時芳

それだけの器量があるなら、是非うちの組に欲しいもんだがね――

君達は一体、何者なんだね?

葉群紫月

通りすがりの探偵さ

北条時芳

覚えておこう

 時芳は立ち上がるや、部下の一人から渡された大太刀を抜き、刃先を紫月の首元に添えていやらしく笑った。

北条時芳

君達の話を聞いて気が変わった。
悪いがこのまま私達と一緒に来てもらう

葉群紫月

悪いが俺達三人を三枚おろしにしても美味しい刺身は食えませんよ?

北条時芳

安心しなさい。私達に刃向かわなければ命の保障だけはしておいてやろう

貴陽青葉

私達を何の目的で、何処へ連れて行くつもりだ?

 青葉が表情一つ変えずに問うと、時芳は彼女を一瞥して目を細めた。

北条時芳

何の目的かは後で話してやろう。それから、連れて行く場所は着いてみてのお楽しみだ。

きっと、君達の年代ならそこそこ楽しめる代物には違いない

 時芳が剣を引っ込めると、組員が数人掛かりで三人を強引に引っ立てた。
 この時、紫月はいまさら後悔した。
 やっぱり、あゆと青葉は彩萌市に残しておくべきだった――と。

『通りすがりの探偵』編/#2風魔の城 その一

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