蓮村幹人

お久しぶりですな

伊崎恭子

ええ。本当に、何年ぶりでしょうか

 白猫探偵事務所の応接間では、一組の男女が向かい合っていた。

 片やこの会社の社長、蓮村幹人。片や、今回の依頼者である伊崎恭子。

 職員の一人である二十代後半の女性、西井和音が二人の前にそれぞれ緑茶入りの湯呑みを置くと、幹人は静かに本題を切り出した。

蓮村幹人

お電話によると、旦那さんの捜索という話でしたが

伊崎恭子

ええ。私の夫、
伊崎愁斗(いざきしゅうと)の行方調査です

 恭子が俯き加減に述べる。

伊崎恭子

彼は十二年前、自身が営んでいた風魔探偵事務所と共に姿を消しました

蓮村幹人

存じ上げております。何せ、彼は私と同世代の探偵でしたから

 幹人や杏樹が若かりし頃、彩萌市とその周辺区域は探偵社が乱立していた時代があった。隣町の四季ノ宮町に開設した風魔探偵事務所も例に漏れず、その社長はかつての商売敵である伊崎愁斗なのだ。

蓮村幹人

あなたの旦那さんは実に優秀かつ型破りな男でした。何処で鍛えたのか、時代錯誤も甚だしい技を用いて、通常の探偵では困難を極める秘密調査を難なく成功させてきました。あれは正真正銘の忍者と称して差し支えの無い探偵です

伊崎恭子

それ以外はからっきしなんですけどね

蓮村幹人

まあ、ある意味不器用ではありましたが

 お互い少しだけ笑い、すぐ真顔に戻る。

蓮村幹人

しかし行方不明が発覚してから一年で警察も彼の捜索を打ち切った。それ以降、私は彼が死んだものとばかり思っていましたが……

伊崎恭子

実は生きていたみたいなんです

 恭子は自らの通帳の中を幹人に開示する。

伊崎恭子

旦那が行方を晦ましてからも、一か月ごとに多額の入金が行われていました

蓮村幹人

それを警察には?

伊崎恭子

言いました。でも、お金を振り込む為に使った銀行をあらかた調べても、旦那と思しき人間が出入りした形跡が無いんです

 当たり前だが、全国各地に銀行各社のATMは存在する。だから何処からでも好きな通帳に対してどの場所からでも簡単に金を振り込めるシステムになっている。

 警察も当然、そのあたりに着目して捜索を進めた筈だ。金を振り込む為に使った銀行の監視カメラをチェックすれば、通帳に記載された振込日に現れた人間のうち、怪しいと踏んだ者の素性を調べ上げれば済む話である。

 でも、話はそう簡単ではない。

蓮村幹人

金を振り込むには振込先の暗証番号や口座番号なんかを知っている必要がある。だから振り込んだ者は伊崎で間違い無いんだろうが、奴が全国を転々としているなら、たしかに見つけようがないですな

 加えて愁斗も探偵の端くれだ。人相を隠蔽するくらいはお手の物だろうし、銀行の監視カメラに姿が映っていたとしても、余程の勘を持ち合わせている者でない限りはその人物が愁斗であると見抜けはしない。

伊崎恭子

それと、時々旦那から手紙まで来ていまして

蓮村幹人

手紙?

伊崎恭子

ほとんどは自分の安否を報せる内容でした

 恭子は次の情報として、A4のファイルからいくつかの便箋をテーブルに並べる。

伊崎恭子

でも、ここ三か月の間はその手紙も通帳への振り込みも途絶えているんです

蓮村幹人

なるほど。だから心配になってここへ来たと

伊崎恭子

ええ

 いまの話で、何故いまさら彼女がここを訪れたのかは理解した。

蓮村幹人

少し、踏み込んだ質問を宜しいですかな

伊崎恭子

はい?

蓮村幹人

彼から送られてきた金の使途は?

伊崎恭子

使っていません。私自身が稼ぎを得ているので、振り込まれたお金はとりあえず定期預金の通帳に毎月入れてありますから

蓮村幹人

賢明な判断ですな

 考えなくても分かることだが、振り込んだ者の状態がよく分からない状況で、施された金を安易に手放すような真似はしない方がいい。金の問題は私的にも法的にもトラブルの火種になり兼ねないからだ。

蓮村幹人

これから本格的な調査プランや料金なんかの話になりますが、宜しいですかな?

伊崎恭子

それなんですけど、今回の依頼料は先に払っておこうかと思うんです

蓮村幹人

先に?

伊崎恭子

通帳の中身が許す限り、この調査を進めて頂きたいんです

 恭子はさっき話に出てきた定期預金の通帳を幹人に差し出した。

伊崎恭子

私にとって、このお金は無いものと同じですから。もし本当に旦那から送られてきたというのなら、それこそ旦那の為に使った方がいいと判断したんです

蓮村幹人

……あの男はこんないい奥さんをないがしろにして何をやっているのやら

 彼女の判断がどう転ぶにせよ、本気なのは良く分かった。

蓮村幹人

いいでしょう。依頼を受けます。ただ、必ず見つかるとは限らないとだけ

伊崎恭子

それでも構いません。よろしくお願いします

 恭子が深々と頭を下げると、幹人は彼女に顔を上げるように言って、手紙の一つを手に取って中を改めた。

蓮村幹人

……伊崎の奴、一体何のつもりだ?

 無論、伊崎愁斗がそう簡単に死ぬとは思っていない。こちらの勘が正しければ、奴は浮世を離れた何処かで必ず生きている。

 いや、生きていて欲しい。目の前のご夫人にさめざめと泣かれるのは個人的に忍びない。

蓮村幹人

私が見つけるまで、絶対に死ぬなよ

 幹人は手にした手紙をテーブルの上にそっと置いた。

 真夜中の彩萌駅前はクリスマスムード一色だった。彩色豊かなネオンがそこかしこに張り巡らされ、街路樹にも同様の装飾が施されている。

 新渡戸文雄は身を寄せ合いながら通り過ぎるカップルに対して

「死ね」

と思いつつ、バスターミナルの付近で街頭演説に興じている一団を遠目に見遣った。

 選挙カーみたいなワゴンと、車の付近に群がる白いマントを纏う数人の若い男女。彼らが掲げている白い旗には、何のメタファーか知らないが赤い目玉みたいな模様が描かれている。配っているチラシは恐らく団体への勧誘を促す何らかの媒体だ。

 稀にいるんだよなぁ。ああいう若気の至りで知性の欠片も感じない行動を大々的に晒してしまう日本の恥が。最近有名などこぞの学生団体と似たり寄ったりだ。あれのホームページとかご覧なさいよ。色々げんなりするぞ。

新渡戸文雄

……寒っ

 身を震わせて肩幅を縮め、新渡戸は足早にその場から立ち去った。

 勿論、例の宗教団体の名前を調べもせずに。

『通りすがりの探偵』編/#1木枯らしの子 その五

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