こんなにご飯の時、静かだったっけ? と璃朱は首を傾げた。

目の前に灯黎はいない。烏月の話によればちょっと調子が悪いからいらないそうだ。それにしばらく自分の分はいい、と。

そして目の前にいる二人の間は灯黎がいる時より開いている気がした。
七瀬は乱暴にご飯へがっついている。

…………

…………

……えっと……

喧嘩?

七瀬が盛大に味噌汁を吹き出した。

はぁ? ガキじゃあるまいし

あ、片方は七瀬なんだ

鎌をかけたようだ。
見事に引っかかった七瀬は露骨に目線を外す。

灯黎とでもしたんじゃない?

お前がげ……なんでもねぇよ

三冴にひと睨みされ黙りこくる。誰と誰に何があったのか、璃朱でも理解できた。
しかし原因は分からない。

それが自分だとは知らず、璃朱は箸を置く。

ごちそう様でした

それはようございました

ねぇ、そういえば

…………

灯黎ってよくどこかにいなくなるよね

自分のことを突っ込まれるかと思っていた七瀬はひっそりと息を吐き出す。
隣で飯を食っている原因は顔色を変えない。それが腹ただしく思えてきた。

……何かな

別に……お前だったら灯黎の行方知ってるんじゃないか?

さすがにそこまでは知らないよ

……あっそ

……やっぱり空気重いな……

調子悪いって言ってたよね……お見舞い行こうかな……

灯黎入るよー

引き戸に手を掛ける。返答はない。

じっと待っていたが、あまりの人気のなさに璃朱は戸を開いた。

本、いっぱいある……

部屋では読書していると豪語していただけはある。部屋の半分は確実に本棚で埋まっていた。それでも入らないのかいくつか平置きな書物まである。それを倒さないように気を付けながら璃朱は奥へ進む。

布団はもぬけの殻だった。
しばらく前から部屋の主はいないのだろう。布団に温もりは全くなかった。

しばらく自分の分はいいって言ったよね……あの席にいたくない、だけじゃないよね……

布団に触れた瞬間から心音がうるさい。
冷たいものが背筋を駆け抜ける。

……!!

また、あの時の映像だ。
皆が死ぬ幻想。
灯黎も仰向けになって動かない。

……と、とにかく、部屋から出ないと……怒られちゃうよね

浅く息を吐き出し、自身を抱きしめながら部屋を出ようとすると案の定、書物に足を引っ掛けて盛大に倒した。

あー、もう……灯黎ごめん……

下を向くと若干の気持ち悪さが襲ってきて、今すぐにでも出ていきたくなる。
それでも人の物を倒しておいて知らんぷりはできない。
触れた書物はどれも戦術・戦略と書いてあった。

……灯黎は争いを望んでいる?

短絡的だ、と自身を叱咤する。
いつかのために備えているのなら自然だ。
……そのいつかは来てほしくはない、が……
何故あの幻想を見るのだろう、と今さらながらに疑問が浮かぶ。
通告、なのだろうか。それとも――――

いた! 灯黎!

思わず声が大きくなって、慌てて口を覆う。
振り返った彼の顔はいつもどおりで元気そうだ。

なんだ

あ、えっと……体調、どう?

だいぶよくなった

そう、なんだ。あ、でも無理はよくないよ、その、元気出すために今度は一緒にご飯食べよ!

……何か聞きたそうだな

……!!

争いを望んでいるの?
その問いを口に出してもいいのだろうか。

言いたいことがないのなら、俺は部屋に戻る

……どこ、行ってたの

踵を返そうとした灯黎の服の袖を掴む。

…………

烏月が調子悪いって言ってて、お見舞いに行ったらいなくて

どこでもいいだろう

手を、払われた。
完全な拒絶。

でも…………

……何故お前は籠城の選択をした

思わぬ問いに璃朱の口が塞がれる。

貴方達の悲劇を見たから。

そんな確定していないことを言いたくは、ない。

口に出してしまえば、それが現実に起こりうる気がして何も紡げなくなる。

問いに答えられないのなら、こちらも答える気はない

まって……

いかないで。
その先は―――――

いつもの廊下なのに灯黎の背後は血に染まっているような気がした。

問わなければ、争いを望んでいるのか。止めなければ。
彼の瞳が璃朱を射抜く。初めて会った時は綺麗な紅玉だと思ったが、今は血を溶かしたようでただ恐ろしい。

姫取合戦をしない姫はいる意味がない

……じゃないのか?

足を縫いとめられた。
問いに見せかけた完全な否定だということは解った。

そっちに行かないで。そっちには死しかないよ

彼はきっと、争いを望んでいる。
背を向けた灯黎との間に透明な硝子があるような気がして、璃朱はその背を追えなかった。

せっかく話し掛けてくれたのに、あの態度は酷くないかな?

…………

いつの間にか三冴が背後に立っていた。口ぶりからして二人の話を聞いていたのだろう。
固まっていると背後から抱きとめられた。

俺だったら姫ちゃん泣かせないのになぁ

涙なんて出ていなかったが、瞳を擦ろうとする。と、その手を取られた。
綺麗な指先が絡んでくる。

大丈夫?

優しい声色で耳元に囁かれる。
喋る気はなかったはずなのに、その声にほだされて、言葉が唇からこぼれ落ちた。

……私は、貴王姫として……存在する意味が、ない……

酷いね

俺が存在理由作ってあげようか?

え?

貴王姫じゃなくて、姫ちゃんとして。姫ちゃんの存在理由、俺だったら作ってあげられるよ

腕の中で振り返ると真面目な瞳と目が合った。
息が詰まるほどに見つめられている。

契りを交わそう

それって……

何で君のこと、みんな名前で呼ばないと思う?

全く気に留めてなかった。確かに皆、『姫』と思い思いに呼んでいる。璃朱の名をその口から聞いたことはない。
貴王姫だから姫、と呼ばれているのだと思った。ただの愛称だと――――

貴王姫の真名を呼べるものは契りを交わした者だけなんだよ。俺は姫ちゃんのそれになりたい

君の名を呼びたい

契りなんてどうやって……

君は真名を呼ぶ許可を出せばいい、ただそれだけ

あ、それに口付けがあったら俺は嬉しいかな

!?

恋人になろう?

向きを変えられ、強く抱きしめられる。
ふざけた雰囲気はない。

姫ちゃんは俺のこと女っぽいって思ってると思うけど、ほら、普通に男の身体してるでしょ?

押し当てられた胸は固く、腕は力強い。

俺のものになってよ。そしたら存在理由あるでしょ? 姫ちゃんとして

それとも貴王姫としての存在理由がほしい?

璃朱は腕の中で首を振る。

貴王姫としての存在理由はこの争いに勝って頂に立つことだ。
不戦勝なんてありえない。争いに身を投じなければいけない。

見たことはないが、外には他の貴王姫がいる。

ね?

……考えさせてください

そう来るかー、いいよ

でも、他に気になる奴でもいた?

いませんけど……なんとなく。それにびっくりして

それはごめんね。まぁゆっくり考えてよ

はい……

解放されると気恥ずかしさといたたまれなさに三冴の顔をろくに見れず、璃朱は彼から逃げ出した。

落とせるかと思ったけど、ざんねーん。でもこれで簡単に他の奴になることはないよね

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