その夜、カティナがヨルを置いていっても、リリアナはぼんやりしてヨルの隣に座っていた。

 ヨルは黒い瞳でリリアナを見上げる。

ヨル

……カティナに連れてこられるだけでも気に食わないのに、来たら来たで無視されるなんて、お前らまとめて呪われればいいのに

リリアナ

ご、ごめんね、ヨル。そういうわけじゃなくって

 慌ててリリアナはヨルの頭を撫でた。
 ヨルはうるさそうに頭を振ってリリアナの手から逃げる。

ヨル

そういうわけじゃないならなんだよ。尻尾、5回揺らす間に答えろ。いーち

 ヨルはゆらりと尻尾を揺らす。
 リリアナは少し迷ってから口を開いた。

リリアナ

考えなくちゃいけないこと、いっぱいだなって。私、正直に言って政略結婚を甘くみていたわ

ヨル

今更何を言い出すと思えば

 ヨルはこれみよがしにため息をついてみせた。
 リリアナはそんなヨルの頭を撫でる。
 ふわふわの毛が気持ちいい。
 ヨルは鬱陶しそうにまたリリアナの手から逃げた。

ヨル

昼間に何かあったのか?

リリアナ

ヨシュアは『寂しい』という感情も忘れたって言っていたわ

ヨル

第一王子でまわりが敵だらけだとそうなるんじゃないのか?

 ヨルは面倒そうに言う。リリアナはふと自分のことを思った。

リリアナ

私は第三王女だったから恵まれてたのかしら

ヨル

さあな。俺から見ると恵まれてたから、そういう性格なんじゃないかって思うけど

 リリアナはしょんぼりしてヨルを膝の上に載せようと抱き上げた。
 ヨルはじたばた暴れ、膝の上に降りると同時に逃げる。

リリアナ

逃げなくたっていいじゃない

ヨル

誰が女の膝なんかでくつろげるか……! で? それだけでしょぼくれてるのか?

リリアナ

……ギースは平民を魔法で屈服させようって考え方なの。ヨシュアや他の人もそうなのかしら

 ヨルは黙ってリリアナを見上げた。
 リリアナはぼんやりと窓の外を見る。
 今日は曇っているのか、月明かりも見えない。
 暗い、暗い、空だった。

ヨル

お前の国だって武力行使は当たり前だったんだろ

リリアナ

でも、平民からの登用はあったのよ。文武に優れていれば貴族と同じ仕事ができたわ

 リリアナはヨルを見ず、膝を抱えてため息をついた。
 膝頭に額をくっつける。

リリアナ

ギースの考え方は危険だわ。だって……魔法が使えないヨシュアを傀儡にするかもしれないもの

 魔法が使えるものが偉いという考えの中、上に立つ魔法を使えないものを敬うことは難しいだろう。
 ヨシュアの立場のなさがわかって、リリアナは困惑しているのだ。

 しかもそのヨシュアと結婚するのは、やはり魔法を使えないリリアナだ。
 ギースとしては面白くないはずだ。
 頭がよいのであれば、傀儡政権を樹立して自分が魔法で国を牛耳ろうとするはずだ。

ヨル

……意外と考えることはできるんだな、お前

 ヨルがリリアナの足元へ来て、リリアナを見上げる。
 リリアナは苦笑した。

リリアナ

物知りなヨルはどこまで知ってるの?

ヨル

ギースがヨシュアを手駒に使おうと狙ってるとか、王はそれを見て見ぬふりをしているとか。ヨシュア以外の貴族は基本的に魔法が使えるからな

リリアナ

ヨシュアが例外的なの?

ヨル

だろうな。まあ、最近生まれる子供はみんな魔法の力が弱い。時代の流れみたいなものもあるんだろうな

 ヨルはそう言うと後ろ足で耳のあたりを掻いた。

ヨル

そんな中で暮らせば、そりゃ、寂しいだろうよ

リリアナ

……想像もできないわ。私、ヨシュアの友だちになれるかしら

ヨル

お前は政略結婚で来たんだろ。やっぱり自覚が薄いな

 呆れたように言うヨルに、リリアナは立ち上がるとベッドへと身を投げた。ごろんと転がる。

リリアナ

嫁とか妻とか、恋とか愛とか、全然わからないんだもの

ヨル

じゃあさ、せめて味方になってやれよ

 ヨルはベッドに手をかけて上がってくる。
 リリアナはヨルを見てため息をついた。

リリアナ

でも、ヨシュアは動物が嫌いだって

ヨル

趣味が合わなくても、話しあえばなんとかなるだろ。っていうか、お前、なんでそんなに動物好きなんだ?

リリアナ

好きなのに理由なんてないわ。どうしてヨシュアは嫌いなのか知りたいくらいよ

 リリアナは近くに座ったヨルを撫でる。
 ヨルは嫌そうに座る位置を変えた。

ヨル

例えばだ。俺がお前に噛み付いても、お前は犬が好きだって言えるか?

リリアナ

言えるよ。だって、それは私がヨルに対して嫌なことをしてしまったということでしょう? 噛み付いてもらえれば反省することができるわ

 ヨルは不機嫌そうに伏せた。尻尾がぱたりと揺れる。

ヨル

ヨシュアに会ったら、右手を見てみればいい。傷跡が残ってる。幼い頃、犬に噛まれた痕だ

リリアナ

……それで動物が嫌いになったのね

ヨル

嫌いというか、怖くて触れない。面倒だから嫌いと言ってるだけだ

 リリアナはくすりと笑った。少しずつヨシュアという人間がわかってきたような気がした。

 翌日の朝食の席で、さりげなくヨシュアの右手を見ると、確かに傷跡が残っているのがわかった。
 ヨルの事情通ぶりに少し驚くも、リリアナは明るく声をかけた。

リリアナ

ヨシュアの好きなものを教えてください

ヨシュア

好きなもの?

 ヨシュアは驚いたようにリリアナを見返した。
 ちらりとギースを見てからヨシュアはぼそぼそと言う。

ヨシュア

私は魔法が使えないから、剣技が好きだ

リリアナ

私の母国は剣技の国です。私、幼い頃から家臣たちに剣技は教わってきました。よろしければ腕合わせをしてみませんか?

 見つけたチャンスにリリアナが食いつくと、ヨシュアは驚いたようにリリアナを見た。
 それからギースをちらりと見る。
 ギースは面白くなさそうな顔でこちらを見ていた。

ギース

そのような野蛮なことをされるのでしたら、魔法学でも学ばれたらどうですか?

リリアナ

あら、運動にも気分転換にもなって、気持ちいいですよ。魔法には劣りますが、剣技にも頭を使うところはありますし

 リリアナはギースを見て、にこりと無邪気に笑ってみせた。
 ヨシュアは少し考えてからリリアナを見る。

ヨシュア

私は女だからといって手加減はしないけれど、いいのかい?

リリアナ

母国の名にかけて、私も負けるわけにはいきません!

ヨシュア

面白いね。ギース、場所と剣を用意しておいてくれないか

ギース

しかし

 正反対に面白くなさそうなギースをヨシュアはまっすぐに見た。

ヨシュア

今日の午前中は空いていたはずだよ。手合わせをするくらいできるはずだ

 ギースは苦虫を噛み潰したような顔で一礼して出ていく。
 リリアナはどこかさっぱりとした表情のヨシュアを見て、少しだけ鼓動が速くなるのを感じていた。

リリアナ

こうして味方になっていければいいな。私は政治のことは何もわからないけど……少しずつ寂しいのが消えていけばいい

 ヨシュアはリリアナをまっすぐに見て楽しそうに笑った。

ヨシュア

では朝食はきちんと食べないとね。空腹で負けたなんて言い訳にもならないから

リリアナ

はい、きっとお昼ごはんも美味しく食べられますよ

 リリアナも嬉しくなってパンを頬張った。

 ――それからというもの、リリアナは昼はヨシュアと剣を交えて喋り、夜はヨルとこの国のことを話すのが日課になった。

 リリアナとヨシュアの剣技は技のリリアナ、力のヨシュアという感じでほぼ五分五分だった。
 それが余計に二人を面白くさせた。
 今日は勝つ、と言い合い、戦いが終わった後、互いのことを話し合う。
 動物が嫌いな理由もヨシュアの口から聞けた。

 試しにヨシュアとパンくずを持って庭へ行き、鳥にパンくずをあげてみると、動物嫌いのヨシュアは照れながらも喜び、

ヨシュア

動物もいいものだな

と言うほどまでになっていた。

 ヨルは撫でるのもようやく許してくれるようになり、ギースを筆頭とするこの国の魔法による差別に関して意見をぶつけあう。
 問題点は出てくるが、ヨルとリリアナでは解決できない。
 そこがじれったいが、少しずつリリアナも勉強することでヨシュアの力になれるくらいにはなってきていた。

 結婚式の日が次第に近づいてくる。

リリアナ

そういえば、カティナは結婚式に参列できないのかしら

 ヨルを連れてきたカティナにリリアナが聞くと、カティナはけらけらと笑った。

カティナ

無理無理。あたし、ギースとか貴族たちによく思われてないもん

リリアナ

ヨルも無理?

ヨル

つまみ出されるのがオチだな

カティナ

あ、それ、面白いねー

ヨル

やめろ、カティナ!

 不穏な空気を感じ取ったのか、吠えるようにヨルが言う。
 リリアナは笑いながらも少し残念な顔になった。

リリアナ

そっか……ドレスの採寸とか始まったんだ。せっかくだからドレス、見て欲しかったんだけど

 カティナとヨルは顔を見合わせた。
 カティナは考えるように言う。

カティナ

結婚式までは安心しないほうがいいかも

リリアナ

え? どういうこと?

カティナ

ま、リリアナはあたしが守るよ。じゃあね

 カティナはそう言うとヨルを置いて窓から飛び出していく。
 リリアナはヨルを見た。
 ヨルは真剣な顔でカティナの飛んでいった窓を見ていた。

4章:王女、迷いつつ進む

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