翌朝。リリアナが目を覚ますと、ヨルはもういなかった。
翌朝。リリアナが目を覚ますと、ヨルはもういなかった。
そっか……夜の間だけの友だちだからヨルって言うんだっけ
そうは思ってもふわふわの手触りを忘れるのはやっぱり寂しい。
今夜は来てくれるのだろうか。
そんなことを考えながら身支度を整える。
それからリリアナは軽く自分の頬を叩いた。
頑張れ、私
戦を避けるためにもなんとかしてヨシュアと仲良くならなければ――それは、リリアナにとって寂しさに勝る義務感だった。
朝食はヨシュアと対面で食べることになった。
それぞれに侍女がつき、ギースが食堂の入口で中を見張っている。
出てくる食事は母国のそれよりも質素ではあったが、野菜がふんだんに使われていてリリアナの好みだった。
パンも小麦の味がよく出ていて、噛めば噛むほど味わいが出てくる。
野菜のポタージュもほどよい塩気で朝の体を温めてくれた。
エルス王国のお食事は美味しいですね
リリアナがヨシュアに話しかけると、ヨシュアは曖昧な笑みを浮かべた。
そうかな? 私はリルザ王国の朝ごはんのほうが美味しかったと思うけれど
お褒めいただき光栄です
この話題に深入りするとまた相性が合わないことがバレてしまう。
リリアナはすっぱりと話題を切るとポタージュを一口飲み、新しい話題を探した。
今日もお庭を散歩してよろしいですか?
構わないけれども、私は予定が詰まっているから行けないよ
先にヨシュアのほうから断られてしまった。
取り付く島もないとはこのことだ。
リリアナが困った表情になったのがわかったのだろう、ヨシュアがつまらなそうに口を開いた。
キミはそんなにこの結婚が大事なのかい? 私とは昨日会ったばかりだよ?
だって、こんな素敵な国と友好を結べるんですもの。頑張らないと、と思います
それを政略結婚と言うのに?
はい。戦で多くの人の命が失われるのであれば、仲良くなるために努力をするほうがよいと思いませんか?
ヨシュアはじっとリリアナを見た。
まるで値踏みするような視線にリリアナは少し居心地が悪くなる。
また意見が違うことを何か言われるのではと思うと落ち着かない。
ヨシュアは持っていたスプーンを置いてため息をついた。
キミの王女としての考え方には好感がもてるけど、動物が好きなところは苦手だよ
え、とリリアナは持っていたスプーンの動きを止める。
昨日はなんとか動物が好きだとは言わずに済んだはずだ。
ばればれだったかもしれないが、こうも断言されるようなボロは出していない。
リリアナが言葉を探している間にヨシュアは席を立った。
今日はキミに構えないけれども、ごゆっくり
あの、ヨシュア
リリアナはとっさにヨシュアを呼び止める。
ヨシュアは胡乱な目でリリアナを見た。
何だい?
ヨシュアは寂しくないの?
口から出たのは昨日、ヨシュアと話してからずっと持っていた疑問だった。
森も動物も魔法も嫌いなヨシュア。
魔法の国の魔法の使えない王子。
いくら側近のギースがいるからと言っても寂しくないはずがない。
ヨシュアは少し黙った後、目を伏せた。
そんな感情は忘れてしまったよ
リリアナから顔をそむけるようにして食堂を出て行く。
侍女とギースがヨシュアに付き従った。
パタンと扉が閉まる音がして、リリアナは唇を噛む。
……なんとかしてあげたい。でもどうしたらいいの?
リリアナはしばらくヨシュアが出て行った扉を眺めていた。
いい天気だった。
リリアナは言葉に甘えて庭の木陰で一人座っていた。
樹の枝に鳥が止まり、歌う。気持ちが慰められる。
『寂しい』ということを忘れるほど寂しかったなんて、想像できないわ
どこか辛そうなヨシュアの表情も忘れられない。
寂しいリリアナとヨシュアが仲良くなればきっと解決するのだろうけれど、ヨシュアとはどうにも合わない。
友だちになるのは難しそうだった。
腕を組んで考え込んでいると、ふと木の上から声がした。
リリアナは昼も寂しいの?
カティナ!
木の上から聞こえた声は確かにカティナの声だった。
見上げると、いつからそこにいたのか、枝にカティナが座っている。
夜も昼も寂しいんじゃ困るんじゃないの?
うーん……困るというか、辛いというか。でも私よりヨシュアのほうが心配だわ
リリアナが口にするとカティナは不機嫌そうな顔になった。
ヨシュアはいいんだよ。あいつ、動物嫌いだし、森嫌いだし
どうして嫌いなのかしら
さあ? 知ってるけど教えてあげなーい
カティナはつまらなそうに言うと枝の上からふわりと降りてきた。
じろじろとリリアナを見て、腕組みをする。
それより、リリアナ。あたしに何か言うことあるんじゃなーい?
そう言われて、リリアナはようやくヨルのことを思い出した。
ごめんなさい。カティナ、昨日はヨルをありがとう。少し仲良くなれたし、寂しくなかったわ
ふふん。それならよし
カティナはくるりと満足そうな顔に変わる。
ヨルは朝になるとどこかに帰っちゃうの?
うん。でもまた夜になったら連れてくるから心配しなくて大丈夫
カティナのことだから強引に連れてくるのだろう、とは思いつつ、リリアナもあのふわふわな毛の誘惑には抗えず止めることはできなかった。
カティナは、寂しくない?
ふと心配になってリリアナが聞くと、カティナは驚いたように目を丸くしてそしてぷっと吹き出した。
な、何かおかしいこと聞いた?
あたしにそんなこと聞いたの、リリアナが初めてだよ。あたしは寂しくなったら楽しいところに行くから大丈夫。魔女だからどこへでも行けるよ
カティナは目を細めるとふと真顔になった。
あたしさー。ヨシュアも嫌いだけど、ギースって大嫌いなんだよね
え? ギースも動物嫌いなの?
カティナはリリアナの疑問に答えず、ふいっと消えた。
まるで、今までカティナと話していたのが嘘みたいに姿を消してしまい、リリアナは思わず周囲を見渡す。
と、向こうからギースが歩いてくるのが見えた。
どうやらギースが来たのを見てカティナは姿を消したらしい。
こちらにいらっしゃったのですか、王女
探させてしまったのかしら、ごめんなさい、ギース。どうしたの?
ギースは首を振ってから、周囲を見渡し言う。
魔法の気配を感じたもので。王女が良からぬものと接触しているのではないかと
カティナとお喋りしていたのよ
あの魔女ですか
ギースは吐き捨てるように言った。
それからため息をつき、また周囲を見回す。
カティナもギースが嫌いらしいが、ギースもカティナが嫌いな様子だ。
変なことを吹き込んでくるかと思いますが、相手になさらないでください。あれはこの国の災いのひとつです
はあ……
とてもそんなふうには思えないリリアナは控えめに返事をする。
ギースはぶつぶつと文句を続けた。
だいたい、貴族でもないのに魔法が使えるなどおかしいのです。魔物の類に違いありません。秩序が乱れる。魔法は人を治めるためにあるべきものなのに
その言葉を聞いてリリアナは心配になった。
魔法を使えぬ王子のことをこの側近はどう思っているのだろう。
ギース。魔法でどうやって国を治めるの?
リリアナが尋ねるとギースは底冷えするような笑みを浮かべた。
魔法を使えないリリアナを小馬鹿にするかのように、ゆっくりと言う。
人を従わせるための力になります
それじゃあ武力行使と変わらないわ。おかしいと思うの
王女は母国で統治のことは学ばれていないようですね。飴と鞭は使い分ければよいのです
リリアナは目を見開いてギースを見た。
嫌な胸騒ぎがする。
立ち上がり、ギースと距離を取ったリリアナをギースは侮蔑するように見る。
道具も使いようです。王女もヨシュア王子に好かれたいのでしたら、王子の目の前で動物を殺してみればよろしい。『治める』というのはそういうことです
……それは違うわ。間違ってる
それはあなたに王女としての資質がないということでしょう。……ああ、昼食の準備が整いました。どうぞ
ギースは歩き出す。
リリアナは距離を取ってギースの後をついていく。
ヨシュアも同じような考え方なのかしら
だとしたらリリアナとは決定的に合わない。
いや、この国の貴族が皆こういう考え方なのだとしたら、リリアナはこの国の中枢部とも合わないことになる。
『政略結婚』という言葉が重くのしかかる。
リリアナはお守りの短刀を握りしめ、大きな息を吐いた。