祭りは冬の狩りの時期に合わせて行われるという。
刺繍の緻密さもあって、時間が流れるのは驚くほどはやい。

森の木々のその葉の色が変わりはじめると、ぐっと寒さが強くなった。

朝の道行き、疲労と眠気でぼんやりし、ライオネスとの会話も聞き逃しがちになっていた。

先生のところに部屋があまってるから、やっぱりそこを借りたら? 根を詰めてるみたいだし、つらそうだよ


ライオネスの気遣いに、コーラルは首を振る。

平気です。ちょっとぼんやりして……ごめんなさい

無理は駄目だよ。通うのも、負担になってないか?


負担、と聞いてはっとした。

ごめんなさい――ライオネスの好意に、甘えてしまってますね……

俺のことなんていいんだよ、そんな

だって、毎日……朝晩にお時間をさいていただいて、甘えすぎてますね

迎えに来るなら朝起き出すのはいつもよりはやいだろうし、送るなら彼の就寝時間はいつもより遅くなる。

いままで一度も考えがいたらなかったことに、コーラルは恥ずかしくなった。

俺のことは気にしないでくれよ、なんともないから。コーラルが通うの大変じゃないかと思っだだけで……最近女衆はみんな立てこんでるって話だから

確かにコーラルを含め、みんな忙しかった。
いっそ朝晩の徒歩にさく時間を、刺繍に当てられたら、とも思う。

身勝手なんですけど……


コーラルは気持ちを整理できていないのに、口に出していた。

私、ライオネスと……歩きたいです


口にすると短い言葉だ。なのに声にした途端に、重く感じられた。さらに顔が焼けるように熱くなる。

あの、ライオネスと散歩してるみたいで……私、楽しみにしてて……


なにをいいたいのか、コーラルはわからなくなってしまった。
首から上が熱い。鼓動がはやくて息苦しい。

でも、あの、村までの道は、もう覚えていますし……その


目の合ったライオネスは、優しい笑顔を浮かべていた。

頭のなかがかっと熱くなる。

そういってもらえて、よかった

彼の笑顔が嬉しい。
自分でもどうかしている、と思うくらい嬉しくて、コーラルは言葉をつなげなかった。

ただうなずき、ライオネスと村に足を運ぶ。

鳥の声がしてそちらを向くと、ライオネスもおなじようにそちらの方向を向いていた。顔を見合わせてすこし笑う。

たったそれだけのことに、コーラルは途方もなく大きな幸福感を感じた。

どうして自分がそんなものを感じるのか、到着した村の作業場で、針を手に取りながら考える。

針仕事の最中の取り留めないおしゃべりのなか、少女たちと顔を合わせて笑いさざめくことは多々あった。
ライオネスと彼女たちとでは、胸に去来する温かくて重いそれの質量が違った。

ね、コーラルは森にずっと住むの?


いつもコーラルの横に椅子を持って来る、マナという少女が尋ねてきた。

どうなのかしら。先のことは……いわれてないから、私にもわからないの

帰るの?


コーラルは家族の顔を思い浮かべる。

記憶にあるどの顔も、コーラルから目を背けたものだった。

どの顔も愛している。
でも誰もがコーラルの邪眼を恐れていた。
いたしかたないが、さみしさが胸に広がっていく。

コーラルは目を上げた。

コーラル、ずっといればいいのに


臆した様子もなく、マナはくちびるをとがらせた。その背後に椅子を置いていたライバが笑う。

お祭りで、そうなるように祈ればいいよ

祭りでは神職の代表者を神に見立て、みんなで願いことを祈るだという。

あまりにマティスの教会と違う形式だった。

コーラルはなにをお願いするの?

私?

手伝いのみで、祭りに参加できると思っていなかったコーラルは、返答に窮した。

コーラルの様子に気づかず、マナはひとり話し続ける――お菓子を上手に焼けるようになりたい、おばあちゃんの膝がよくなるといい、嫁ぎ懐妊した姉が安産だといい。

その声を耳にしながら、弟の縁談がまとまりますように、と祈ってみようかと思う。
思ってはみたが、自分の考えながらどうにも嘘くさかった。

屋敷で一緒に暮らしていた家族たちは、コーラルの顔をまともに見なかった。
コーラルもそうだ。
家族の顔をまともに見ていない。

ねえ、ひとつずつ取っていって

後方から声がかかった。

大きなかごが女たちの手で代わる代わる運ばれ、コーラルまでまわされてきた。

香ばしいにおいに顔がほころぶ。
そこには焼き菓子が入っていた。
一枚を取り、マナにかごを渡す。

そのときマナを目が合った。

一瞬身構えたが、もうコーラルは村の誰からも目を逸らさなくなっている。

おやつ休憩、もっとあったらいいのにね


笑顔でマナがかじる。

ね、それ、ラトゥスばあさんが焼いたそうよ

パクパクと焼き菓子を平らげたライバが、コーラルのくわえた菓子を指さす。

ラトゥスばあちゃん、料理上手よねぇ

横でラトゥスを賞賛する声が上がり、コーラルは誇らしくなった。

寒さのせいか足の痛みが引ききらない、というのだが、ラトゥスは作業中の面々に振る舞う食事をつくる詰め所に、出張るようになっていた。

ラトゥスはじっとしていられない性分なのだ。
働きものだ、と村では歓迎されていた。あっという間になじみ、いい顔をしないのはドゥルザ医師だけだ――患者が安静にしないなど、医師にすれば噴飯ものだろう。

他人が下した邪眼という診断は、この村では効力がなかった。

村の誰もがコーラルの顔を見る。
コーラルもまた、村の面々の顔を見ている。
村を――森を離れることなど、考えたくもない。

ここには生活するためのものしかない。
よけいなものなどないのだ。
成人を祝うための衣装もその都度調達しなければならず、たくさんの人間が協力しなければ整えることができない。

屋敷とは正反対だった。
あそこには様々なものがあった。
与えられていた。

手についたお菓子のかすをスカートのはじでぬぐうマナに、コーラルはハンカチを差し出す。

ありがと!

村の女衆のなか、コーラルはひとといることに安らげることを知った。

ここでは――自分はひとりではない。

あの整えられた部屋で、コーラルはずっとひとりだった。

おなじ長椅子に母は腰を下ろしたが、邪眼への恐れがおたがいの間に壁となっていた。

自分はひとりだったのだ、と痛感することは、つらいことだった。
屋敷に帰るという選択肢はコーラルのなかにない。
もう――邪眼の娘という立場に戻るつもりはなかった。

さ、休憩したらまた仕事に戻って。おしゃべりもたいがいにね


発破をかけるライバの声に、焼き菓子を頬張ってコーラルはうなずいた。

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