その日以来、トールは頻繁にエヴァリーンの元を訪れるようになった。
友人から始めてもいい。その言葉通り、トールは決して強引なことはしない。壊れ物にでも触れるかのように優しくしてくれる。
時には、大きな花束を片手に愛を語り、エヴァリーンのために二人きりのお茶会を開いてくれたこともあった。
紳士的なアプローチに、エヴァリーンは揺れていた。
疑う心と、信じる心が天秤(てんびん)のように行ったり来たりして、エヴァリーンを悩ませた。
まだ一週間、まだ半月。トールの訪れを数えている内に、ついに一か月が経った。

今日は、トールと二人で花祭りに出かける約束だ。
花祭りとは、国を挙げて行う春の一大イベント。
古今東西から珍しい花が集まり、品評会も行われる。午後からは、王都の大広場を、パレードが練り歩き、『花の妖精』に選ばれた少女が、花冠を配るのだ。花冠を意中の人に贈ると、想いが届くと言われている。
一年で一番鮮やかで美しい光景が見られると、有名だった。
エヴァリーンは、いつもより入念に身支度をした。普段はあまりしない化粧やアクセサリーにまで気を遣った。生来の美しさも相まって、見た目だけならまるでお姫様のようなだ。
リビングを忙しなく行ったり来たりしているエヴァリーンを見て、ミーナは微笑んだ。

珍しく、緊張しているのね

別に、そういうわけじゃ……

言いつつ、ドレスの裾を握りしめる手は震えていた。
年頃の男性と二人きりで出かける。つまり、デートだ。
緊張しないはずがない。
小さい頃、二人で遊びに行ったのとは、訳が違う。
仮とはいえ、トールはエヴァリーンを婚約者として誘ってくれた。
ならば、自分も彼に見合うだけの淑女でなければ。トールに恥をかかせてしまう。
今日まで一生懸命、歩き方や、喋り方を始め、立ち振る舞いを一から見直した。想像以上に、淑女と遠ざかっていて驚いた。
思い出せば、ここ数年、社交界や貴族のパーティーに顔を出していない。デビュタントの時には、あれほど練習したことも、長らく社交界を離れていたせいで抜け落ちてしまったようだ。
一人で町に買い物に出る時のように、店先で店主と値切り合戦をしたり、安売りめがけて大股で走ったり、大声で叫んだりしてはいけない。
淑女なら当たり前のことが、自分にできるか。粗相(そそう)をしないか、心配でならない。
詐欺令嬢、仮初の婚約者に加えて、にわか令嬢の肩書までついたら、結婚どころじゃない。
ひとしきり後ろ向きな想像をしたところで、屋敷に馬車が到着した。

いってきます!

見送りにきてくれた母に手を振って、エヴァリーンは家を出た。
馬車に乗り込むと、トールが笑顔で迎えてくれた。

早かったね。待ち合わせの時間の前なのに。

待たせるのは悪いから、早めに準備しておいたの。

初めてのデートが楽しみだったり、不安だったりで、いつもより早く目を覚ましてしまったことは黙っておこう。

花祭り、初めてなの。

そっか。良かった。

何が?

花祭りは、別名が『恋人たちの宴』だからね。

色とりどりの花が咲き誇る絶景や、花の妖精たちによるパレードは、家族連れよりも恋人たちの人気が高い。ロマンチックだからだろうか。花冠の話も相まって、毎年、たくさんのカップルが訪れる。

知ってるけど、それがどうしたの?

花祭りに初めて一緒に行く相手が、僕だってことだから。

それが、どうしたの?

好きな子の初めての相手になれたんだ。嬉しくないはずがないだろう。

言葉の意味に気づいて、頬に朱がのぼる。気をよくしたのか、トールはエヴァリーンの隣の席に移動して、耳元で囁(ささや)いた。

恋人同士のお祭りなんだ。それらしい楽しみ方を教えてあげるよ。覚悟しておいてね。

婀娜(あだ)めいた声が、耳朶(じだ)を打った。エヴァリーンは真っ赤になって、背もたれにしがみついた。

初心(うぶ)だね。そういうところも、可愛いよ。

留めの一撃。よくそんな恥ずかしい台詞が出てくるものだ。
トールだけ、一気に大人になったみたいだ。昔は、自分の方がお姉さんぶって手を引いてあげていたのに、立場は完全に逆転していた。
言うべき言葉が見つからず、エヴァリーンは、魚のように口をパクパクさせた。

町に近づくにつれて、人が増えていく。広場よりも少し離れた場所で馬車は止まり、エヴァリーンたちは歩いて花祭りに向かった。
広場に続く大通りは、人でごった返していた。噂に聞いた通り、カップルが多い。中には、小さな子供を連れた家族連れや、ピエロの仮装をした人までいた。
至る所に露店が立ち並び、街中が色とりどりの花で飾られている。品評会が行われている広場の方は、バルーンで飾り付けられ、一層華やかだ。よく見ると、行き交う人々の多くが、同じ方向を目指している。
花の妖精のパレードをみんな、楽しみにしているみたいだ。活気あふれる町を歩いている内に、わくわくしてきた。

早く行きましょう。

エヴァリーンは、子供のように瞳を輝かせた。はしゃいで人ごみに流されそうになる彼女の手を、トールは慌てて掴んだ。
思わず、その手を振り払い、立ち尽くしてしまってエヴァリーン。二人の間に、何とも言えない空気が流れる。
トールが、一つ咳払いしてから告げた。

手を繋いでも?

ええっと……。

じゃあ、腕を組む。

ちょっと難易度あがってない?

はぐれないようにするためだよ。どっちか、好きな方を選んで。

男の人と手を繋いだり、腕を組んだりなんて、まるで恋人みたいだ。所詮、仮初めの関係に過ぎないのに。
もっとも、はぐれないようにと言われると、反論のしようがない。時間が経つにつれて、人通りは多くなる。初めて花祭りに参加する自分が、迷わず無事にお祭りを楽しめる気がしない。
はぐれないよう。つまり、子供のお守だ。
若干複雑な気分だが、考え方を変えれば少しだけ躊躇(ためら)いが薄れた。
エヴァリーンはたっぷり悩んだ末、意を決し、トールの手を握った。
大きな掌が優しく握り返してくれて、鼓動が跳ねた。

さあ、行こうか。

満足そうに微笑んで、トールはゆっくり歩きだした。丁度、エヴァリーンの歩調に合わせて。

エスコート慣れしている。

大人になっちゃったんだ。

小さかった手のひらが、エヴァリーンの手をすっぽり包み込むくらい大きいことや、並ぶと身長が頭一つ分高いとか、当たり前のことが気になる。

絵に描いたような貴公子で、紳士の彼が、何故エヴァリーンに求婚してきたか、ますます分からない。
仮の婚約をしてから一か月。トールはエヴァリーンにたくさんの贈り物をくれた。けど、彼から何かを要求されたことはない。強いていえば、手を繋ぐかの件(くだり)が、彼からの初めてのおねだりだった。

詐欺にも見えない。

でも、素直に信じることも出来ない。

今考えていても、不毛だ。エヴァリーンは、思考をリセットして、祭りを楽しむことにした。
屋台で軽食を買って食べて、トールから、カラフルなキャンディやお菓子の詰め合わせを貰った。綺麗な包装紙でラッピングされている贈答用のものらしく、キャンディやクッキーが、全部花の形をしていて、小さな花畑をプレゼントされたみたいで、心躍った。
二人で過ごしている内に、花祭りの目玉パレードの時間が近づいてきた。
トールにエスコートされて、エヴァリーンは広場へ来ていた。パレードを見るべく集まった人たちで、辺りは大賑わいだ。
トールは、あらかじめ人の少ない穴場を見つけておいてくれた。案内されたのは、レンガ造りの建物の二階だった。家主がトールの知り合いらしく、花祭りのために貸してくれるというのだ。
どこまでも用意が良い幼馴染に感服しつつ、エヴァリーンはありがたくその場所を遣わせて貰うことにした。
二階の窓は、エヴァリーンの身長と同じくらい大きくて、開けると広場を一望できた。

落ちないように、気をつけて。

うん。大丈夫……。

ふと、エヴァリーンが声のトーンを落とした。
笑顔が消えて、表情を強張らせたエヴァリーンを、トールが心配そうにのぞき込む。

エヴァリーン?

嘘つき、みっけ。

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