まだ開いていた雑貨店に顔を出し、ラトゥスの件で礼をいう。
べつの開いている店に顔を出し、森の家に住んでいる、と挨拶をする。
そうするうちに、村のひとびとが通りに集まりはじめていた。

なんだね、この騒ぎは


人混みをかきわけ、声を上げた老人は村長だった。
彼に挨拶をしようとしたコーラルに、ドゥルザ医師はストールを外し、顔を出すよう進言した。

挨拶するなか、コーラルはどうしてもストールを外すことができなかった。

ドゥルザ医師の家で、コーラルはライオネスにこれまでのことを打ち明けていた。すべて聞いてくれたライオネスの勧めで、コーラルは中央通りに出て来たのだ。

見上げると、そこにいるライオネスがうなずいた――だから思い切って、コーラルはストールを外した。

勇気のいる行動だったが、コーラルの赤い瞳を誰も疎ましげにしなかった。

あら、綺麗な赤ね

珍しいな、こんなはっきり出てるのははじめて見る


誰もが珍しい、と口々にいうが、声音にいやなものはなかった。
不吉どころか、むしろ僥倖のようにもてはやされている気までしてきて、コーラルは身の置き場にこまる。

コーラルは戸惑った。
これまで不吉だとされてきたものが――辺境の村では手のひらを返したように扱いが変わったのだから。

いいものじゃないっていわれてたそうだんだ


村の顔がいくつも集まり、ライオネスが口を開いた。
ずっとコーラルが挨拶に来なかった理由を、ライオネスが説明する。
時々いいにくそうにし、だが彼はコーラルの置かれていた状況を語った。

赤い瞳は生まれつきなんだけど、不吉なものだからって、人目を避けてたらしいんだ。見た相手によくないことが起こる、って


ずっと屋敷では公然の秘密のようだった自分をさらけ出す事態になって、コーラルは心の底にくすぶる怯えを押し殺していた。

だからって、なんで森に


訝しげな声を上げたのは、雑貨店の店主だった。

森に隠れてたんだよ、だからおばあさんはひとりで暮らしてる、って建前で


村の面々が失笑するのを見て、身体をちいさくする。
しかし彼らはコーラルを笑っていなかった。

馬鹿げている、と笑っていた。
そんなわけないだろう、と。
瑞祥だろうに、と。

ドゥルザ医師の家で涙をこぼしたコーラルの言葉に、ライオネスは困ったような顔をした。

ここでは赤い瞳は疎まれないはずだ

そう彼はその場で説明してくれたが、いきなり信用できるものではなかった。

だが彼の言葉のとおりになっている。

村は国境に近く、どちらかというと文化は隣国ザロイのものだった。

コーラルが暮らす家のあるデュカの森は、元々魔女の持ち物だ。

魔女は狩りの女神に仕えていた。
女神は兎を飼い慣らしており、兎とおなじく赤い瞳は女神に愛されている証明らしい。

聞かされたコーラルには、ずいぶん迂曲した解釈に感じられた。
それが顔に出ていたのかもしれない。

村だと、当たり前のことだよ


ライオネスは微笑み、コーラルを連れて往来に出ていったのだった。

村の面々と向き合うなか、ドゥルザ医師が合流する。彼にも手短な説明がなされ、ずっとコーラルは緊張していた。なんだか泣きたくなっている。

なんだ、それじゃあずっとうちんなかに閉じこもってたのか?


周囲にいる誰が放ったかもわからない声に、コーラルはうつむいたままうなずいた。

事情が事情だから、彼女はひとの目を見ないよう、気をつけて暮らしてたんだって

ライオネスがはさむ言葉に、周囲のひとびとが息を落とす声が呼応した。

まあ、こんなおそい時間に話しててもなんだ、またあらためればいいだろう

手を叩きドゥルザ医師が一声発すると、人垣はそれぞれがうなずき崩れていった。

ぞろぞろと散っていく村の顔のいくつかが、コーラルを何度か振り返った。
彼らの視線につられるように、コーラルはそちらを見た。

目が合う。

ひとと目が合って、コーラルはどうしたらいいのかわからない。

相手は微笑み、手を振る。
手を振り返そうとしたが、コーラルの身体は棒を飲んだように動いてくれなかった。
立ち去るひとびとをどこか呆然とした気分で見送ったコーラルは、ドゥルザ医師にいわれるまま歩きはじめた。
通りを行き、医師とライオネスは村の店を説明してくれる。
三月に一度は外から行商の一団が来て、たいそうなにぎわいを見せるそうだ。
そこに並ぶジャムがうまいのだ、と強面ながら医師は相好を崩した。

医師の家に戻ると、ラトゥスは眠っていた。

あんたも泊まっていけ。ベッドならある


コーラルは首を横に振った。
医師の元にいられるなら、ラトゥスのことは安心できる。
思いがけずひとと接触して、コーラルは疲れを感じていた。慣れた自分の部屋で、ひとりでゆっくり過ごしたかった。

明日、あらためておうかがいいたします。それまでラトゥスをお願いいたします

ああ、わかった。わかったが、ばあさんとあんたの関係を聞いてもいいか? 孫じゃなさそうだな


そこについては、まだライオネスにも説明していなかった。

……私はハミンズ家のものです。こちらで私が生活することになったので、ついてきてくれました

ああ、あんた貴族さんか


なるほど、とつぶやいたドゥルザ医師の声に、赤い瞳を開示したときには一切なかった含みを感じた。

確かにあそこは貴族さんの持ちものだったな。でもよくこんなへんぴな村にきたもんだ

あの、弟に縁談があって……私がいると、その……障りがある可能性が……

なんだ、あんた厄介払いされたのか

コーラルは目を見開いた。

違う――自分から、屋敷を出た。

そういい返しそうになった。
しかし誰にも止められなかったことを、ほかならぬコーラル自身がよく知っている。

思い出してしまうと、言葉がのどで凝った。

先生、そのいい方はないでしょう。コーラルさん、帰るなら送るよ


ライオネスが割って入り、医師は気まずそうに口をもごもごと動かした。

……すまんな、口が過ぎた

いえ……お気になさらないでください


もう一度ラトゥスのことをお願いします、と念を押し、コーラルは医師の家を辞退した。

道行き、ライオネスはコーラルに歩調を合わせてくれた。

村で、もうすぐ祭りがあるんだ

そうなんですか


生家にいたとき、祭りのパレードが往来をいくのをカーテンの影から眺めたことがある。
あれは楽しいひとときだった。

みんな準備で忙しいし、もし手が空いているなら……手伝ったらどうかな


顔を上げかけ、コーラルの動きは止まった。
まだ相手の顔を見ることなどできそうにない。

もしこのあたりに住むなら、顔を売っておいた方がいいよ。なによりみんな忙しくてきりきり舞いだろうから、喜んでくれるんじゃないかな

私にできることが、あるでしょうか

あるかどうか、訊いてみればいい


明るいライオネスの声に、コーラルは彼の顔を見たくなっていた。
こんなに穏やかな声で話すひとの顔は、きっと優しいものに違いない。

ゆっくりコーラルは彼の顔を見上げた。

彼もまた、コーラルを見ていた。

目線が合ってしまい、コーラルはあわてて顔を逸らした。

ライオネスがかすかに笑うのを耳にする。

いままでにきみの目を見ておかしなことになったひとって、ほんとにいるの?


コーラルはぎくりとした。

目のことでいままで大変だったと思うけど、しばらく肩の力を抜いて……なにも気にしないでいてみたらどうかな

脳裏でコーラルは、めまぐるしく過去に出会ったひとびとのことを考える――あまりに少ない。

家族、親戚、屋敷で立ち働くもの、家庭教師。
勘定しきれる数しかおらず、外出の経験もほとんどないコーラルには、友人らしい友人はいなかった。

まさか突然こんなふうに外出し、異常ではないといわれ、誰かと肩を並べて歩くことになるなんて想像もしなかった。

足元に落ちていたコーラルの目は、あたりの地面に明らかにひとの立ち入った痕跡をみとめていた。
ライオネスが持参したランプは、強い明かりを保持している。
首を左右にすれば、あたりの草木には鎌で刈られた跡があり、踏み固められた地面の方が広い。

ほら、見えてきた。けっこう近いよね、こんなところで知らないまま誰かが暮らしてるって、けっこう驚くなぁ


見えてきた家は闇に沈んでいる。
しかしコーラルは我が家を前に、ほっと安堵の息をついていた。

家を目前にし、コーラルは村の方向をうかがった。森の家から村に向かった夕方、距離があると感じたものの、いまはさほど遠い気がしない。
村人たちは、森のどのあたりまで日常的に足を踏み入れているのだろう。
カーテンの奥でコーラルは暮らしていたが、気がついていないだけで家の近くに誰かきていたかもしれない。

明日、迎えに来るよ

え――あの、私ひとりでも

いや、ひとりで村に入るより、俺が案内する方が、話のとおりがはやい場合もあると思うから


ライオネスの申し出を固辞する理由も思いつかず、コーラルは甘えさせてもらうことにした。

ライオネスさん、ありがとうございます

さん、なんて名つけないでいいよ

では、私のことも

いいのかな

ええ、コーラルとお呼びください

うん……じゃあ、コーラル


いざ名前を呼ばれてみると、なんだか気恥ずかしかった。
名を誰かに呼ばれたのはいつ以来か、と気持ちが後ろ向きになりかけてしまう。
コーラルは笑顔を心がけライオネスを見返した。
努めて笑顔を浮かべるのも、屋敷でコーラルがよくしていたことだ。
屋敷と違うのは、笑顔を向ける相手がいて、受け止めてもらえるということ。

おやすみ、コーラル

はい、おやすみなさい、ラトゥスをよろしくお願いいたします

ライオネスが森から出て行くのを見送り、コーラルは家のドアを開けた。

よく知った木のにおい、慣れ親しんだ家の気配に包まれると、コーラルは自分の疲労が大きいことを自覚した。

村を訪れただけなのに、コーラルは自分の暮らした家をやけにちいさく感じた。

対して、世界はあまりに広い。

村の向こうにも、世界は広がっている。その先も、そのまた先も。

倒れこむように、コーラルは自室のベッドに横になった。

目を開けていられず、瞑目すると今日視線を合わせた村の面々の顔がまぶたをよぎっていく。
彼らの目に興味や好奇心はあったものの、ひとつも嫌悪や忌ま忌ましさは浮かんでいなかった。

邪眼のはずなのに。

自分の目は悪いもののはずなのに。


戸惑いが胸に広がったが、それと対峙するより先にコーラルは眠りに落ちていた。

夢も見ないような、深い眠りだった。

ep5 ひとびとに囲まれて

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