第4話 指蠢くは閨の陰
第4話 指蠢くは閨の陰
ピック、クララの具合はどうなんだ
立ち上る湯気と水音の中で、わずかに反響して届くルクス隊長パオ・フウの声。
共用シャワールームの隣あった個室で、
二回目の手術を終えて丸三日。
まだ意識を取り戻しません
薄い板を挟んだ向こう側から、ピクシー・ボブは答える。
ルクス機動歩兵部隊リーダーとして、ピクシーがパオの元で戦い続け、もう五年になる。
彼女がピクシーのことをピックと呼ぶようになったのは、いつごろからだっただろうか。
そうか
短くそれだけを答えて、パオはまた黙り込む。豪放な性格を表すかのような、少し太めでくせ毛の髪をわしわしと洗う音が、壁越しに聞こえる。
夜半のCAT西ボリア支部基地、ルクスベースの居住ブロック。
クララをはじめ多くの負傷者を出したショッピングセンターでの戦闘以来、ルクスの戦士たちの間には重い空気が漂っていた。
満足な武器を与えられないまま戦いに臨み、あわや命を失う寸前の重傷。
納得できる者など、いるはずがなかった。
クララたちが対峙した特殊なモル型アーデルは、コマンドギアを用いて追撃を行うも逃走。
連れ立って行動していたミモル型アーデルたちも市街地を離れた時点で離散し、最終的に捕獲できたアーデルは一体もいなかった。
ふざけんなよ!
なんであいつら相手に手加減してんだよ、お前ら!
ちゃんと退治しないと、また襲ってくるんじゃないの!
疲弊した部隊で深追いをするわけにいかず、やむなく撤収するピクシーたちの背に野次が飛んだ。
ショッピングセンターの外へ避難し、ひと所に固まっていた市民が、ルクスの戦士たちに口々に不平を言い始めたのだ。
落ち着いて下さい。
おっしゃることはごもっともです
ですが、アーデルを効率よく撃退する為にも、あれの生態を研究する必要がある時期なのです。
皆さんの安全は、我々が必ず守ります。
どうか今は、ご納得頂きたい
連合によるアーデル捕獲命令が下り、通常火器を没収されてから、すでに二週間。
アーデルたちに対するルクスの戦士たちの戦いが今までと明らかに異なることに、彼らは気付いていた。
自分たちを喰らわんと襲い掛かるアーデルを、ルクスの戦士たちは何故か非殺傷武器を使って捕えようとしている。
通常火器での戦闘時より明らかに手間取り、アーデルを取り逃がし被害を広げてしまうことさえあった。
たとえ守られる側であろうと、黙ってはいられなかったのだ。
守りますったって、
現に襲われてんじゃないの!
もう少しで娘が殺されるところだったのよ。
あんな危ないけだもの、生かしておく必要ないじゃない!
さっさとやっつけなさいよ!
不満にざわつく市民たちの前で、ピクシーは深々と頭を下げた。
何故自分がこうまでして、連合の理不尽な命令を、あのミスティをかばうような真似をしなければならないのか。
ぐっと握った拳に、怒りが溜まっていく。
だが、それをぶつけるべき相手は、ここにはいない。
ピクシーは小さく震えながら、
――申し訳ありません
それを悟られまいと、ただただ誠実に頭を下げ、市民の罵声を一身に浴び、ルクスへと帰ってきたのだ。
いや、ただひとり。
お姉さんを助けてあげてください、お願いします!
クララが己の腕を失ってまで守り切ったあの少女だけは、撤収のしんがりを務めたピクシーに向かって、深く深く頭を下げた。
少女の純粋な願いそれひとつで、ピクシーの溜飲はひと息に下がった。
大丈夫だ。
私たちの戦いは、決して間違ってはいない。
わかりました。
必ず助けて、あなたの無事を伝えておきますよ
子供への言葉遣いがわからないまま、ピクシーはぎこちなくそう言って、支部へと戻ってきたのだ。
悪いなピック、苦労かけて。
この詫びは......
いえ、それよりも
すまなそうに言うパオの謝罪を、ピクシーは普段と変わらぬ平易な声で遮り止める。
本当にピクシーは気にしてはいない。
現場のリーダーとして自分がすべきは、ルクスの戦士を守ることなのだから。だが。
当面、マーメイも戦闘に出られないでしょう。
アーデル捕獲命令の違反とやらで、軍法会議もなく連合から懲罰房入りが言い渡されました。
もう少し、ミスティにかけあってはみますが......
どのくらいだ
一か月と
長すぎる。
あいつひとりで今までどんだけアーデル退治してきたと思ってるんだ。連合さまは
クララたち機動歩兵部隊が支部へ帰還した直後、マーメイはミスティ直属の部下たちに拘束された。
通信記録から明らかになった、ミモル型アーデルとの直接戦闘による殲滅。
隊長であるパオを差し置いてミスティが突きつけた処分令状は、報告を受けた連合からミスティのもとに直接送信されたものだった。
ええ。通常火器没収のせいで、ただでさえ火力が心もとない機動歩兵部隊です。
そこにマーメイを欠くのはあまりに痛い。現状でもし、今回のような規模の襲撃があったら......
民衆の声と連合の命令の板挟み。戦力の低減と反比例するように増す、恐るべきアーデルの力。
冷静に分析すればするほど、絶望がはっきりと見えてくるばかりだ。
何かの手を打たなければ、だが、どうやって。
ピクシーだけではない、ルクスの戦士たちの胸中に等しく重く、不安と焦りが募る。
沈黙の中で、わずかにシャワーの音がゆるむ。
スポンジと泡が素肌を包む、さやさやとした音。
身体を磨きながら、何を言うべきか、今後どうすべきかを考えこむピクシーに、
やっぱり、直接行ってくるわ
パオはきっぱりと言った。
パーリアの議会西ボリア分室、
ですか
ああ。捕獲を諦めるか、でなきゃちょっと手を貸してもらうか。
どっちかの要求が通るまで、今度は代表の椅子に座り込みでもしてやろうかって ね
ですが......
なんだ、また減俸の心配か?
いえ、その。
最近少し、向こうへ出向くことが多いのではないかって
マメに顔見せといて損はないさ。
それともピック、何か私のこと、疑ってんのか
ち、違います!
そんなことは、決して!
慌てたせいでわずかに裏返ってしまった声が、シャワールームに響く。
そんなピクシーの様子にパオはおかしそうに笑って、
ごめんごめん、大丈夫だよ、冗談だ。
それよりもピック、ちょっとタオル取ってきてくれないか
急にそんなことを言いつける。
わずかに首を傾げつつ、ピクシーはシャワーを止め、軽くハンドタオルで全身の水気を拭ってから、脱衣場へ向かう。
洗面台の共用バスタオルを取り、パオのシャワールームをノックしようとしたその途端、薄い一枚板の扉が開いて、
わ、きゃっ!
パオがピクシーを、自らのシャワールームへぐいと引っ張り込んだ。
ちょっと、
隊長、こんなところで、
ん......っ!
素肌のままのピクシーを壁にどんと押し付ける。
パオの豊かな胸と、ピクシーの小ぶりな乳房が、ボディソープの泡越しに重なりふるりと揺れる。
しっとりと濡れたピクシーの毛耳に、パオは唇をすっと寄せて。
通常火器は没収される前にすり替えておいた。
ガレージのベラに頼んで、コンテナごとな
低く小さく抑えた声で、そうささやいた。
隊長......!
ピクシーははっと気付き、息を飲む。声を抑える。
そうだ、自分たちの会話に誰が耳をそばだてているかわからないのだ。
最高議会から送られた現在の副隊長、ミスティ・ブルーの着任と時を同じくして、ルクスベースはその施設の大半が、常に連合の監視下に置かれることとなった。
機動歩兵部隊の作戦効率改善を目的とした、メンバーの動線や行動の解析が建前ではあったが、その白々しさにパオもピクシーもあきれ果てていた。
シャワールームにはさすがにカメラこそないものの、どこから音声を拾われているかもわからない。
居住ブロックであれど、プライバシー保護もままならない。
そんな今の施設の状況が、ミスティを窓口とする最高議会と、パオがこれまで育て守ってきたルクスとの関係を、端的に表していた。
どうしても現場でアーデル捕獲ができそうになきゃ、連合もいずれ諦めるだろう。
ミスティに何を言われようと、お前たちは自分と市民の命を最優先に戦え。
命令だ
――はい
クララにやった手みやげのことも、いずれミスティあたりがつついてくるだろう。
誰だかまだわからんが、あれは連中が、この西ボリア地区を使って何かやらかそうと企んでいる証拠だ。
しばらくの間は借りておけ
耳元で伝えられるパオの指令は、今ひとつ要領を得ない。
本人もまだ把握していないのか、それともわざと隠しているのか。具体的に何を、どうするべきなのか。
だが、ピクシーは彼女に聞き返さない。
わかりました
鼻先が触れ合いそうな距離でパオの瞳を見据え、ピクシーはしっかりと応える。
彼女に任せてもらえたまま、その務めを果たすことを誓う。
捕食者アーデルの脅威と、それとの戦いを妨げる最高議会の意図。
自分たちの命を脅かす危機から、パオは身を挺して守ろうとしてくれている。
立ち向かおうとしている。
そう信じているピクシーにしてみれば、どんな指令であっても忠実に遂行するに値する。
彼女にとってパオ・フウとはそういう上司であり、またそれ以上に大切な、かけがえのない存在であった。
悪いなピック。
大変なとこ、任せっきりで。
この詫びは
ええ、そうですね
やはり申し訳なさそうに眉を曲げるパオから、ピクシーは視線を離さないまま、伸ばした手でカランをひねり、熱いシャワーの勢いを強くする。
そして、その手をそのままパオの背に回し、そっと自分の方へ引き寄せながら、
しっかりして頂きますよ、隊長
司令部でも現場でも見せない、上目遣いの意地悪な微笑みを見せて、パオの唇を強く吸う。
二人の素肌を流れて落ちる、白い泡と熱い湯が、落ちてしまったバスタオルを、じっとりと濡らしていく。