枕元を照らすためのちいさなランプでは、森の奥までうかがい知ることはできなかった。

そんな頼りない明かりを手に、コーラルはゆるやかな足取りで森を散策していた。

雨足はまばらになり、レインコートを脱ぎたくなるようなものだ。さほど地面はぬかるんでいなかったが、それでも足元を取られないよう慎重に歩いていた。

ラトゥスが往復してできたのだろう獣道に沿って、コーラルは歩を進めていた。
ランプで木のうろをのぞき、うなだれる草花の露を指先で払ってやる。

暗い夜の森を歩いているだけなのに、コーラルの気持ちは高揚していた。

とても楽しい。

頬をゆるめた表情のまま、コーラルはランプを片手に家の方を振り返った。

前回の散歩のときより、わずかに距離を稼いでいる。
なんだか誇らしくなっていた。

コーラルはさらに進むか考えた。

へとへとになるまで歩いたら、どんな気分かしら


もっと先へ、と足を踏み出そうとしたコーラルは、雨がすっかり上がっていることに気がついた。

あ……ぜんぜん気がつかなかった……


これは雨の間だけ、と自分で決めた散歩だった。

帰る……?


もうちょっとだけ、外にいたかった。

雨の間、ではなく、夜間だけ、といっそ取り決めを変えてみようか。

コーラルは大樹の影でしばし迷った。

迷い、結局家へと引き返すことにする。

散歩は楽しいが、慎重さを失ってはいけない、と胸のうちで自分をいさめていた。

ただでさえこの雨のなかの散歩は、ラトゥスに内緒にしているのだ。
暗い森を歩きまわり、なにかあってからでは遅い――引き返す自分のなかにある未練に、コーラルはそんないいわけをする。

また、くればいいんだもの


独白のあと、コーラルは物音を聞いた気がして足を止めた。

耳をそばだてるが、なにも聞こえない。
なにか動物が動いたのかもしれなかった。

動物……? 今度は、パンでも持ってきてみようかしら

森にひそんでいる野生の小動物が、一体どんなものかわからないが、餌づけして仲良くなれたら楽しいかもしれない。

コーラルは被っていたフードを取り払った。

雨は上がっていた。

しっとりした夜気にコーラルは息を落とし、未練がましく森を振り返った。

「明るい昼のうちに歩いたら、森はどんな顔をしているのだろう。

いくら森に村人が立ち入らないといっても、コーラルの家は深部にあるわけではない。
明るい昼の間ともなれば、誰かが森に入ることも考えられる。まして、家にひとが住んでいると知っているのだ、訪ねてくる可能性も十分あるのだ。
人目のある時間帯は、コーラルは家でおとなしくしていた方がいい。

――邪眼の娘が住んでいると知ったら、きっといやな顔をする。

いやがるだけならまだしも、場合によってはひどいことをされるかもしれない。
親元を離れ、自分の目の色を怖がらないラトゥスと暮らすうちに、コーラルは自分を甘やかしてしまっていた。

雨の夜だからと外出するなんて、生家にいたときには考えもしなかったことだ。

両親たちの憂い顔を思い出してしまったコーラルは、気持ちを引き締めようとした。

雨だからといって、邪眼持ちがおもてをふらふら歩くなんて――きっと、よくないことだ。
だが胸のうちで自分を叱責すると同時に、散歩くらいいいじゃない、と愚痴っぽいつぶやきもこぼしていた

月明かりもあるため、手元のランプを消すか迷った。

夜の散歩って、私だけなのかしら

夜に出歩くものは、このあたりにはいるのだろうか。
そう考えてみるが、コーラルは近隣住人の数もよくわかっていなかった。

自分とおなじく、雨の夜を楽しむひとがいるなら、きっとそれは楽しい偶然だろう。

しかしこれは、コーラルにとってひそやかな楽しみだった。
存分に楽しむために、できればそんな相手などいないでほしい。

コーラルは首をめぐらせた。

夜の森はあまりに暗く、ほかに動く明かりは一切なかった。

やっぱり、誰もいないわよね

もし自分のように明かりを手に誰かが歩いていたら、きっとすぐわかる。

生家のあった国の中央、屋敷の並んだ一帯では、夜半にひとが出歩くことはさして珍しくなかった。
行商のものが行き、警邏の役人が行き、酒精に気をよくした酔漢も行く。

森はとても静かだ。

雨で湿った土は、コーラルの足音を吸収してくれた。

家に近づいたコーラルは、ランプの火を消す。
窓のなか、ひっそりとした明かりがあった。
出かける前に、コーラルが用意しておいた明かりだ。

そっとドアを開け、コーラルは足音を忍ばせて部屋に戻った。
靴についた泥を始末し、雨具を始末し、休む前にコーラルは窓から森を眺めた。

空はすっかり雲が切れ、こうこうとした月光が降り注いでいる。
あんなに暗かったのが嘘のようだ。
窓からうかがった森の姿に、明かりなどなくても不自由しないのでは、と思ってしまう。

雨のなかではなく、ただ夜間の散歩に出てみたい。

もし散歩が明るい昼のうちなら、その眺めはいったいどんなものだろう。

コーラルはため息をつきながら、部屋の明かりを落とした。

屋敷を出てから、どうやら自分はひどくわがままになったようだ。

以前はこんなにおもてに興味を持たなかったのに。
生家の周辺はにぎやかで、様々なものがあった。それらにコーラルは興味を持てずにいたのに、なにもない森への好奇心は強い。

だれも、いないものね


自分が迷惑をかけてしまうような相手が、まったいない場所なのだ。

現金なものだ、とコーラルは自嘲気味にすこし笑った。

カーテンを閉じベッドに身を横たえると、コーラルはあっという間に眠りに落ちていた。

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