#1「木枯らしの子」

 県立彩萌第一高等学校の教室の片隅で、葉群紫月は教室内全体の様子を虚ろな瞳で眺めていた。

 教卓に近い位置で男女五人が騒がしく何かを話している。何の話題かは別に興味は無いが、あれが世に言う『リア充』のグループで、スクールカースト最上位に君臨するエリート予備軍であることはまあまあ理解している。

 出入り口に近い席ではPSPを両手に卓を囲む三人ぐらいのオタク集団がポリゴン世界のモンスターを協力プレイでハントしている。今日はバイトが休みだから俺も混ぜて欲しい。あ、そういやPSPを家に置いたままにしてたんだった。

 仕方ない。今日は寄り道せずに帰宅して今日出された課題を終わらせちゃおう。

あゆちゃんって、何でそんなにスタイルがいいの?

 リア充集団の女子が、対面している一人の女子に問いかける。

あたしなんて、最近ウェスト絞ろうって努力してんのにさ、全く痩せなくて……

東雲あゆ

ウェストを絞る?

 話題の的、東雲あゆ(漢字表記は東雲東風)は、天井に視線を泳がせた。

東雲あゆ

誰かに雑巾みたく絞ってもらってるの?

ぶはっ、超ウケる

 あゆの発言をギャグだと思ったらしい、取り巻きの連中が一斉に噴き出した。

それで痩せたら誰も苦労しないよー

東雲って本当に冗談が好きなんだな

だよなー

 至極常識的な反応だった。しかし、こちらから言わせれば、ギャグと思われたその発言はある意味天才的な皮肉に聞こえる。勿論、彼女に悪気が無いのは明らかだが。

つーか、東雲さんって彼氏とかいないの?

 ムードメーカーらしき女子が妙な方向に話題を変える。

東雲あゆ

いないよ? 何で?

じゃあ、夏休みとか何してたの?

東雲あゆ

夏休みに彼氏って出来るもんなの?

 これにはさすがにリア充集団の男女も絶句する。

 ふむ、たしかに。彼女の疑問にも一理ある。高校生と大学生によくありがちな話だが、恋人は夏休みにコウノトリが運んできて当たり前みたいな神経の連中が割と多い気がしてならない。この例えを借りるなら、モテない連中は皆、コウノトリは猟友会に射殺されているようなものだと苦言を呈したい。

 いち早く驚愕から醒めた女子が訊ねる。

……あゆちゃんってさ、男子から告白とかされたことは無いの?

東雲あゆ

無いよ。何で?

何でって……文化祭のミスコンにも入賞した奴が何を言うかっ。彼女候補として他の男子から引く数多でしょうに

 今度は彼らの疑問に共感した。

 小麦色の肌にすらりとした健康的な手足を持ち、端正かつ愛嬌のある小顔を持つ彼女は、どことなく愛くるしい猫なんぞを連想させる。基本的に誰とでも分け隔てなく接し、無邪気という三文字をそのまま性格として体現する彼女を、大抵の男達は恰好の標的として見るだろう。

東雲あゆ

ほお。みんな、そんなに私が好きなのかー。照れちゃうなー

 当の彼女がこうも無自覚なのは少々問題な気もする。

 紫月が軽く呆れ返っていると、こちらの視線に気付いたらしい、あゆが一定のテンポでステップを踏んでこちらの正面に躍り出てきた。

 何の用ださっさと失せろと思った矢先、あゆは次の瞬間、信じられない発言をした。

東雲あゆ

葉群君。
君は私のこと、
どう思う?

葉群紫月

は?

ちょっと!?

 ムードメーカー系女子が慌てて仲裁に入ってきた。

うぜぇ。

あんたって子はいきなり何てことを……

東雲あゆ

いや、だって。みんなの言ってることが本当なのか、ちょっと試してみたくなっちゃって

だからって葉群君はちょっとやめた方がいいって……!

 失礼な奴だ。

俺のどこが駄目なの?
 
懐の十手で
叩き殺してやろうか。

東雲あゆ

何で? 葉群君ってそんなにヤバい人なの?

ヤバいっていうか……そういう奴らとつるんでるって噂が……
ていうか、明天女子高の子を手籠めにして遊んでるっていうし、
ヤクザみたいな奴とも黒い繋がりが……

葉群紫月

聞こえてるぞ

 紫月がようやく反応をしめすと、彼女はしゃっくりみたいな呻きを上げる。

葉群紫月

ヤバい連中とつるんでるのは否定しないけどな

 主に黒狛探偵社の連中だ。たしかに、世間一般的な高校生の観点から見ると、彼らはある意味に於いてトップクラスの危険人物達にカテゴライズされる。揃いも揃って良識人ではあるのだが、蓋を開ければ軍隊一個小隊を壊滅させかねない精鋭揃いだ。

 でも、それ以外の奴ら――貴陽青葉と火野龍也に関する憶測だけは許容出来ない。

葉群紫月

明天の子もヤクザみたいな外見の奴も普通に俺の友達だ

そ……そう……なんだ

葉群紫月

面白い奴らだから、今度紹介してあげようか?

え……遠慮します

葉群紫月

そう。じゃ、また明日

 紫月は何食わぬ顔で教室を出て、真っ直ぐ昇降口まで降り、靴を履き替えて外に出た。

 特に待ち合わせている友人がいる訳ではないし、そもそもこの学校では未だに友人を一人も作っていないので誰かと歩幅を合わせる必要も無い。このまま何も考えず帰宅するか、もしくは明天女子校の近くで青葉を待ち伏せするか、あるいは最近新しく出来たもう一人の友人と帝沢付近で時間を食い潰すか。迷うところだ。

 歩きながらぼんやり考えていると、紫月はふと、後ろを振り返った。


 なんか、
少し離れた位置から、
こっちをめっちゃガン見
している奴がいる。

東雲あゆ

じー

葉群紫月

……………………

東雲あゆ

じじー

 口にせんでも、じっと見つめられているのはよく分かった。

葉群紫月

東雲さん。何か用?

東雲あゆ

まだ質問の答えを聞いてない

葉群紫月

残念ながら俺にはもう心に決めた相手がいるもんで、
君の容姿を見ても感じるところなんて特に無いからまともな答えを得られないと理解したなら早々に諦めろ、以上

 とりつく島を与えてやる気は無い。何故なら、あまりこの学校の連中とは過干渉を起こす気が無いからだ。自分の正体を知る同年代の人間をあまり増やす気にもなれない。

 だが、思ったよりしつこい性質だったらしい、あゆが再びこちらの正面に回り込んだ。

葉群紫月

東雲さん。あんまりしつこいと如何に君が可愛くても男はドン引きするぞ?

東雲あゆ

いいじゃん。
もしかしたら
童貞卒業できる
かもよ?

葉群紫月

いま段階をいくつ
すっ飛ばした!?

 世の女子高生はこうも貞操観念が緩いものなのだろうか。というか、あどけない顔をしていきなり破壊力抜群の一撃をぶちかますとは、こいつはもしかしたら青葉と同等かそれ以上の際物かもしれない。

 あゆはこれまた何事も無かったかのように振舞う。

東雲あゆ

冗談冗談。びっくりした?

葉群紫月

ああ、そうね。これが冗談じゃなかったらいますぐ襲い掛かってるくらいには

東雲あゆ

すげぇ。そっちはそっちで
グレネードランチャー並みに飛躍したよ

葉群紫月

男なんてのはそういう生き物デス

 あれ? なんか俺、普通に会話しちゃってる? どうすんの? このまま馴れ馴れしくしていると、また俺の周囲に変人が一人増えちゃうよ? ――などと思いつつも、決して忌々しい気分にはならなかった。自分も人のことは言えないからだ。

 紫月が内心でやや戸惑っていると、ポケットのスマホが微弱に震動する。

 メールだ。送り主は紫月の後見人である池谷杏樹で、用件の欄には『ロールケーキ買ってきて!』という気の抜けた一文が記載されている。
 詳細はこうだ。

池谷杏樹

最近新しく彩萌第一の近くに出来た
スイーツのお店で発売された新作ロールケーキがめっちゃウマそうなの!
帰りがてら買ってきて!

葉群紫月

俺、今日休みなのに

 紫月の表向きの仕事は探偵事務所の小間使いだ。だから社長である杏樹からよくパシリにされるのだが、まさか休みの日にお遣いを頼まれるとは思ってもみなかった。

 まあいいだろう。問題の品物を会社に届けて、すぐ帰宅すれば良いだけの話だ。

 スマホをポケットに仕舞い、紫月は改めて周囲をぐるりと見回した。気づけば人気の無い学校の裏手まで来てしまっている。さっきまであゆを振り切ろうとして歩いているうちにここまで辿り着いてしまったらしい。

 それにしても、どうしよう。面白そうな奴を見ると放っておけないという悪い癖が、東雲あゆという新たな変人を前にして再び発動しようとしている。

葉群紫月

東雲さん。とりあえず、学校出る?

東雲あゆ

うん

 とりあえず帰ろうと一歩足を踏み出し――爪先の手前に、黒光りする硬質の何かが突き刺さった。

葉群紫月

……クナイ?

東雲あゆ

これ、まさか……

葉群紫月

? 東雲さん、これが何かご存知で――

 地面から引き抜いたクナイを矯めつ眇めつして首を捻っていると、今度は薄暗い影が自身を覆い尽くしていることに気付いた。

 ふと見上げると、紫月の網膜にとんでもない映像が焼き付けられる。

葉群紫月

ぐぼっ!?

 全てを悟った時には何もかもが遅かった。ついさっき視界一杯に広がっていた暗黒にも似た何かが、紫月の鼻面を土台に軽々と頭上に跳躍したのだ。

 普通に痛い。一戸建ての二階の窓から花瓶でも落とされた気分だ。

ぐわっはっはっはー!

 手近な木の上に降り立った人物がしゃがれた嬌声を上げる。

あゆ! また遊びに来てやったぞいっ!

東雲あゆ

お祖父ちゃん!

 何から突っ込んだら良いか分からないが、あゆからお祖父ちゃんと呼ばれたその人物の格好は、少なくともこの時代においては場違いも良いところだった。

 簡潔に説明するなら、あれは深い紺色の忍装束である。あんなものをこんなところで着てハッスルしちゃうような人間は、大抵の場合、二種類に分けられる。

 病的なコスプレイヤーか、あるいは本物の変態である。

葉群紫月

何なんだ、あの爺さん?

あゆ!
最近のお前はたるんでおる!

 紫月をガン無視して、変態忍者があゆを指差して喚き立てる。

最近帰りが遅いから何をしているのかと思っていたら、
まさかそのような冴えない洟垂れ小僧と人気の無い場所でしっぽりしけこんでいたとはな!
見損なったぞ!

 関係無いのに酷い言われようだった。涙が出ちゃいそうだ。

東雲あゆ

だからって学校まで乗り込んで直接奇襲しに来なくたっていいじゃん!

だってだってぇ!
あゆが最近ワシに全然構ってくれないから寂しいんじゃよぉ!
毎日毎日寂しさで身悶えしとるんじゃよぉ!

東雲あゆ

どんだけ寂しがり屋なんだよ!

 何だか知らんが、二人は言い争いに夢中のご様子だ。この隙にとっとと退散した方が良いと、紫月の本能が悲鳴の如く大合唱している。

 可能な限り音を立てないように立ち上がり、彼らに背を向けて抜き足差し足でこの場から立ち去ろうとするが、

ぬっ!? 待たれよ、そこの若いの!

 気付かれた。さっきまで眼中に無かったんじゃねーのかよ。

貴様か!
あゆをたぶらかして、
その純潔を無惨にも引き裂こうとした
肉棒野郎は!

葉群紫月

なるほど。東雲さんって処女だったのか

東雲あゆ

そこじゃねーだろ!

許せん! この場で八つ裂きにしてくれる!

 何を早とちりしたのか、忍者の爺が一足飛びに木の頂上から飛び上がり、宙で一回転して右手を一閃させた。

 彼の手元から放たれた黒い三つの手裏剣が一直線に紫月の額を目掛けて飛んでくる。

 身を屈めて手裏剣を見送ると、爺は腰の後ろから短刀を引き抜いて頭上から真っ直ぐ降下してきた。

 どうやら、本気でこちらを殺害するつもりでいるようだ。

 ようやく自らの生命の危機を悟った紫月は、頭上から下った短刀の切っ先を、さっき拾ったクナイでしっかりと受け止める。

 爺はクナイと接触した切っ先を支点に再び飛び上がってバック宙を決めて着地すると、およそ人間の規格では有り得ない速力で真っ直ぐこちらの懐に踏み込んできた。

 紫月のクナイと爺の短刀が再び接触して、小競り合いを始める。

おのれ若いの……!
よもやラスト忍者と謳われたこのワシの初撃を凌ぐとは……
まさか貴様、伊賀者か?
それとも甲賀者か?
言え、貴様の所属流派は何処だ!

葉群紫月

人の話を聞く前に凶器を飛ばしてきた奴に教えることは何も無い……!
何でもいいからさっさと俺の前から消え失せろ!

言ったな? よかろう。五秒間だけ念仏を唱えるがいい

葉群紫月

人の話を聞け

五秒経過。ブチ殺す

 瞬転、両者刃を払って距離を取り、再接近。本格的な斬り合いに突入した。

 爺が繰り出す神速の太刀捌きには舌を巻く。逆手に携えた剣を必要に応じて順手に持ち替えて放つ切っ先の軌道は、プロで活躍しているバトン体操の選手も真っ青な技術の象徴とも言える。

 目で追って捌くのがやっとだ。しかも一撃がやたら鋭い。気を抜いたら本当に殺されてしまう。

 というか――

葉群紫月

だから、一旦落ち着け!
俺はお孫さんの彼氏でも
肉棒でもありませんっ!

頭のてっぺんから爪の先までまるで説得力が無いわ!
それともこの程度で音を上げたか?
いまどきの若者は情けない
――のぉっ……!?

 剣速が急に落ちたかと思ったら、何故か爺が空いた片手で胸を押さえ、その場で膝を突いて蹲ってしまった。

ぐぉおおっ……
心臓の持病がぁ……!

 お前が先に音を
上げるんかい。

東雲あゆ

お祖父ちゃん!

 さっきからおろおろと二人の攻防を見守っていたあゆが、行動不能になった祖父の傍に駆け寄って背中をさすり始めた。

東雲あゆ

もうっ! 無茶しちゃ駄目だって何度も言ってるでしょ?

す……すまんな。お前の彼氏が目の前にいると思ったら……つい

東雲あゆ

あの人はただのクラスメート!
彼氏なんかじゃありませんっ

 事実だが、その言われ様はちょっとショックだ。というか、可愛い孫娘に彼氏がいると判明した時点で殺人未遂に及ぶような変態忍者爺を野放しにしておくなんて、この日本という国はなんとまあ狂人に優しい犯罪者の温床なのだろう。同じ日本人としてちょっと恥ずかしい。

 紫月は自然とこびりついた薄ら笑いを隠そうともせずに告げる。

葉群紫月

あのー……お取り込み中のところすみませんが、僕はこれで帰らせてもらいますんで

東雲あゆ

あ、待って――葉群君っ!

葉群紫月

世の中には三十六計逃げるに如かずという諺がある。俺達も高校生だ。意味くらいは理解しているだろ?
そういう訳だ。アディオース!

 紫月は持っていたクナイを地面に刺し、有無を言わせずにその場から全力疾走して学校の外に飛び出した。

『通りすがりの探偵』編/#1「木枯らしの子」 その一

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