あたしたちは勇者を探して、砂漠の入り口までやってきていた。
結局、砂漠に立ち入る羽目になっちゃったね
あたしたちは勇者を探して、砂漠の入り口までやってきていた。
行く手は見渡す限り砂、砂、砂。
砂以外の物はなにも見えない。
繁栄王と呼ばれた三代前のグラマーニャ王がこの砂漠に一個中隊からなる調査団を派遣し、何か開拓可能な土地や、砂漠を挟んだ周囲の諸都市を結ぶ交易ルートなどをひらくことは出来ないかと模索したことがあるのだが、何日歩いても砂ばかりの風景がどこまでも続き、北側・東側はそのまま海に遮られるまでずっと平坦な砂の大地で、オアシス一つあるわけでもない。
当然開拓可能な土地などないし、諸都市を結ぶルートに関しても、砂漠を迂回した方が効率が良い、という結論になった。
その調査隊が遺した記録によると、バシリスクはあたし達がいる位置からもう少し奥へ行ったところ、極度の乾燥地帯に適応した低木がまばらに生えているあたりに巣を作っているらしい。
ちなみにその調査隊、百数十人で出発したのだが、無事帰ってきたのは数名だった。死者のうち飢えや渇きにより死亡したものは五十名ほどで、その倍以上の人数がバシリスクに殺された。それほど危険な魔物なのである。
とは言っても、そんな調査隊がたまに来る以外は、この砂漠に人なんか来ない。
バシリスクと人間は棲み分けできてるんだ
人間の生活の脅威となるわけでもない魔物を、経験値稼ぎのために殺してまわる、ヴァルターをそんな「勇者」にしないために、彼らを止めなければならない。
それにしても砂漠って、何も目印になるものがないから確実に迷うっすね。
何か道に迷わない為の対策とかないっすか?
荒野の狩人なめんな。
……と言いたいところだけど
あたし達荒野の狩人が狩りをしていたドネイル川東岸の荒野も何もない平原だったが、そこで道に迷わず狩りをできたのは、先祖代々受け継がれてきた、わずかな目印から現在地を知る術を父から叩き込まれたからで、初めて来る砂漠では通用しない。
あたしは南の方に見える、綺麗な円錐状の山を指差した。
あの山が見えなくなるほど奥地に入り込んだら、あたしでも帰り道はわかんなくなる。
あの山が見える範囲でヴァルターを捜索して見つかんなかったら、残念だけど諦めましょ
バシリスクは救いたいけれど、あたし達も死ぬわけにはいかない。すでにヴァルターが捜索困難なほど奥地に行っているならば、バシリスクはあきらめて、彼らの次の目的地――おそらくザンクトフロスあたりだろう――へ先回りするしかない。
できればその前に、彼らを見つけたいけれど……。
あっつい……
なんでこんな暑いの……
王都から魔王討伐隊として旅をはじめて以来、随分北の方まで来たわけだから、どんどん涼しい地域に移動しているはずなのに、この砂漠に限っては王都など比較にならないくらい暑い。
雲ひとつない空に浮かぶ灼熱の太陽はじりじりとあたし達の身を焼く。手の甲で汗を拭うと、ざりっと嫌な感触がした。細かい砂が風に舞い、汗で肌にまつわりついていたのだろう。
あ、あれ。
メレクトカゲです
エリザが急に、砂漠の一点を指さした。
見ると、手のひらサイズの緑っぽい小さなトカゲが、砂の風紋の陰に隠れるように身を潜めていた。
メレクトカゲ?
メレク神の使いなの?
いえ、そうではないんです。
単に、姿がメレク様に似ているから名づけられたらしいです
そう言われてみると確かに、そのトカゲは頭に大きな二本の角が生えていて、牛の頭を持つメレク神に似ていなくもない。体も全体的にトゲトゲしていて、メレク神の着物のゴテゴテした飾りを思わせる。あくまで、言われてみれば、だが。
昔から北の砂漠にはメレクトカゲという生き物が住んでいるという伝承があったのですが、もちろん私の周りには実際に砂漠に行ったことのある人はいませんでしたので、真偽は誰も知らなかったんですが……。
本当にいたんですね
もう少し近くで見ようと、エリザは足を忍ばせてトカゲに近づいていこうとする。それをあたしは右手で制した。
待って!
足元を見て
ちょうどあたしのすぐ前の地面に、進行方向と平行に一本の直線が刻まれている。長さはちょうどあたしの一歩の長さくらい。その線の左斜め前と、右斜め後ろにも同じような直線が一本ずつ。
それだけではない。その奇妙な直線は、左右それぞれはるか先まで、やや斜めに等間隔を置いて無数に続いていた。
バシリスクの足跡だよ
あたしも現物を見るのは初めてだが、昔の調査隊の遺した記録によると、バシリスクは足がないため、体を左右に大きくうねらせて、斜め前へと進むのだそうだ。そしてその方法で移動したとき、砂の上にはこんな直線が点々と残るのだという。
この跡の主がどのくらいの大きさかは想像するしかないけど、たぶん子供じゃないかな
バシリスクは大人になるとあたしの身長の三~五倍ほどの長さになる。それほど大型のバシリスクが体を大きくくねらせたら、もっと大きな跡が残るんじゃないだろうか。これはたぶん、あたしの身長くらいの長さの、小型のバシリスクだ。
子供のバシリスクがいるってことは、近くに巣があるってことだよね。生息地はもっと奥のはずなのに
バシリスクは蛇に似ているが、翼を持ち首や胸のあたりにも羽毛が生えている。そのためか生態に鳥っぽいところもあり、鳥が雛を巣立ちまで育てるように、子育てを行う。
子供のうちはバシリスクは親から餌をもらって育つ。ある程度大きくなれば巣の近くで少し狩りの真似事をすることもあるが、巣からそれほど離れることはない。
つまり子供のバシリスクの足跡があるということは、この辺はバシリスクの巣の近くだということを意味する。
え? この辺にバシリスクの巣があるっすか? じゃあ一刻も早く逃げないと。巣に近づいたことを親バシリスクに感づかれたら……
ヘカテーの危惧は、恐ろしいことに現実となった。
あたしのすぐ脇の砂が蠢きだしたと思うと、砂の中に隠れていたバシリスクがその姿を現した。
文献によると大人のバシリスクの全長は人間の三~五倍ということだったが、恐怖からかあたしにはもっと大きく、あたしの身長の十倍に近いくらいに見えた。
鋭い牙を持つ口を全開に広げながら、ニワトリに似たトサカを持つ頭をゆらゆらと左右に振る。これは他の蛇もやるから知ってる。襲い掛かる前の予備動作で、視点を左右に変えることでより正確に獲物との距離を測っているのだ。
エリザ! ヘカテー!
逃げるよ!
こうなってしまえばもう、あたし達にできることは逃げることだけだ。魔物を殺さないというポリシーは、自分と仲間の命を守るためならば曲げてもいいと思っているのだが、そもそもあたし達はヴァルター達からバシリスクを守るために来たのだ。そのあたし達がバシリスクを殺すのは避けたい。
てゆうかそれ以前に、こんな大きな相手との戦闘はかなり分が悪い、という現実的な問題もある。
砂に足を取られながら、全速力で逃げる。バシリスクは、砂に潜っていた時には小さく折りたたんでいた翼を広げ、二、三度羽ばたくと空へ舞い上がった。
低空を羽ばたきながら虎視眈々とこちらを狙うバシリスクの視線を背中に感じ、あたし達は必死で駆ける。幸いにしてここは砂漠の入り口付近だ。砂漠の外まで逃げ切ることができれば、砂漠を住みかとするバシリスクは追ってこないはず。
あたし達三人は全力で来た道を戻るけれど、ついさっき砂漠に入ったばかりのはずが、なかなか脱出できない。
ようやく砂漠の外の、下草の生えた緑の大地が彼方に見えてきたころ、急にあたりが暗くなって、つい振り返ったあたしは、戦慄した。
バシリスクがこちらをめがけて一直線に滑空してきていたのだ。あたりが暗くなったのは、バシリスクの巨体の陰に入ったからだった。
まずい!
やられる!
そう思ったとき、右側からなにか人影らしきものが物凄いスピードでやってきたかと思うと、そいつはバシリスク目がけて跳躍した。
人影とバシリスクのシルエットが交差した瞬間、バシリスクの喉元から血が噴き出した。空中をすべるようにまっすぐこちらへ滑空していた巨体が、急に墜落する。
あたし達を救ったその人影の正体は――
……
勇者ヴァルターこと、ヴァルター・フォン・ランベルト氏だった。
ヴァルター!
急な邂逅に驚いている間に、どこからか火球が飛んできて、手負いのバシリスクを攻撃した。ヴァルターの仲間の巫術師の仕業らしい。
間もなくオットーも駆けつけ、こちらが止める間もなく、ヴァルターと二人がかりでバシリスクに止めをさしてしまった。
近くで子供のバシリスクも見かけた。
子供と言えど経験値はそこそこもらえるから、必ず見つけて退治しよう
あたし達に「久しぶり」の一言もなく、彼は仲間たちにそう指示した。
待ってください
エリザが勇者を呼び止めた。しかし彼は首だけを動かしてエリザの方に顔を向けたものの、つい十数日前まで生死を共にしていた仲間であるエリザを、関心なさげに見ている。
この砂漠は基本的に人間は立ち入りません。この砂漠だけを行動範囲とするバシリスクを退治する理由はないはずです
……過去の文献によれば、この辺りはバシリスクの生息域じゃないはずなのに、バシリスクの巣があった。
長年退治されず野放しにされたせいで数が増え、生息域が広がっているんじゃないのか?
何の感情もこもらない声で、淡々と彼は言った。
このままバシリスクが増え続けたら、今後砂漠の外にまで生息域を広げる可能性だってある。駆除は必要なんだ。
でもそんなの口実で、ヴァルターは経験値が欲しいだけじゃん
あたしが反論すると、彼の興味なさげな瞳はやはり興味なさげなまま、あたしの方に向けられた。
あたし知ってるんだよ。
妖精の丘で、全く人間に害意を持っていない妖精たちをたくさん殺したこと。あれも『駆除は必要だった』って言うつもり?
何事にも無反応だったヴァルターが、「妖精の丘」というフレーズに一瞬だけピクリと身じろぎしたが、すぐにあたしから視線を外し、仲間たちの方へ向き直った。
これで子バシリスクを誘い出そう
ヴァルターは腰の革袋から、羽毛のむしられた鳩を取り出すと、あたし達から少し離れた場所にそれを置いた。そして自分はその鳩から少し距離を置いて風下に伏せ、じっと獲物を待った。グレーテルたちも、ヴァルターのそばに伏せる。
あたし達はどうしたらいいかわからず、遠巻きに彼らを見守っていた。
ほどなく、鳩のにおいにつられて、小型のバシリスクが体を左右にくねらせながら這いよって来た。大きさは先ほどあたしが予想した通り、あたしの身長くらいだ。
バシリスクが鳩を丸のみした瞬間を狙って、ヴァルターが剣を構えて飛び出した。
やめてください!!
エリザが、バシリスクをかばうようにヴァルターの進路に立ちふさがる。
しかし駆け出したヴァルターは急には止まれず、エリザと衝突し――
きゃっ!
二人の体がもつれ合った拍子に、ヴァルターの剣がエリザの脇腹辺りを切り裂いた。
エリザ!!
慌ててあたしは、エリザに駆け寄る。
幸いにして傷はそれほど深くはなかったが、その後聞こえた勇者の一言が、あたしを本気で怒らせた。
バシリスクはどっちへ行った?
仕留めないと
エリザを斬ったのは事故みたいなものだとしても、怪我をさせてしまったかつての仲間を気にもかけずにバシリスクを探すこいつが「勇者」?
気がつくとあたしは、怒鳴るように叫んでいた。
ヴァルタぁ!
許さない!!
(続く)