魔法陣に映し出されたのは、草木に覆われた風景だった。
魔法陣に映し出されたのは、草木に覆われた風景だった。
視界のほぼ中央を走る道は自然のままの山道といった感じで、多少は踏み固められているものの、それ以外には石を敷き詰めたり階段状に加工されたりといった手は加えられていない。傾斜がやや急な坂道だ。
映し出されている風景はその上下に伸びる坂道を、斜め下から上へ見上げるような構図になっていた。
道の両脇にはたくさんのオークの樹が群生している。
この景色はそんな無数のオークの樹の中の一つが、今現在見ている光景のはずだった。
坂道の上のほうを見ると、道は途切れて樹のないひらけた空間が広がっていた。そこがどうやら山の頂上らしく、そこより上は何も見えない。
頂上には所々に下草の生えた赤茶けた地面が広がり、その空間の中央付近に、平たい岩がひとつ、ぽつんと鎮座している。
あ、この風景……
『妖精の丘』だと思います。
ノイエスラント北部の
妖精の丘って、
観光地の?
ええ、
私の生家からもそう遠くないので、行ったことがあります。
あの頂上にある平らな岩。あれは、妖精王オベロンがこの地を訪れる人間が憩うために設置したベンチです
妖精の丘というのは、北ノイエスラントの有名な観光地だ。その名の通り、妖精たちが住んでいる。
ここが観光地になっているのは、丘の頂上からの景色が素晴らしいからだけではなく、ひょっとしたら妖精に会えるかもしれないというのも理由の一つなのだが、妖精はごく一部の変わり者を除いて人間に姿を見られることを極端に嫌うため、実際に妖精が目撃されることはめったにない。
それでも近隣の村々では、時折妖精の仕業と思われる不思議な出来事がしばしば起こるという。
寝ている間にいつの間にか家事が済ませてあったり、逆になにかひどいいたずらがされていたり。そんなとき、地元民たちは姿の見えない妖精たちの痕跡をそこに感じ、妖精たちが自分たちに害をなさず、益になることをなしてくれるように、部屋の片隅に彼らの好物のハチミツをこっそり供えたりする。
そんな風に、妖精と近隣の住人とは、何千年も前から緩やかな共存関係を築いてきた。
妖精は一応魔王配下にある魔物の一種なんだけれど、村人が妖精からちょっとしたいたずらを受けたり、逆に村のいたずら坊主がちょっと妖精の丘を荒らす程度のことはあるにせよ、それ以上の二種族間の衝突は起こったことがない。
むしろ、人々は妖精に対し、素朴な信仰とも言えるような畏敬の念を持って、一定の距離を保ちつつその存在を邪魔しないよう、尊重しながら生きているのだ。
その妖精の丘が、あたしらに何の関係があるんだろ
そう思いながら映像を見つめていると、麓のほうから数人の男女が山道を登ってきた。
戦士らしい風体の男を先頭に、天上教の法衣をまとった男女一人ずつ、それにメレクの巫術師が着るローブで身を包んだ男が一人。
巫術師の男以外の全員に、あたしは見覚えがあった。
勇者ヴァルター、シスターマルガレーテ、聖騎士オットーだ。彼らはエリザの代わりに巫術師を補充し、魔都オズィアへと向かう途中でこの妖精の丘に立ち寄ったのだろう。
だが魔王討伐隊が妖精の丘なんかに何の用があるんだろう。そう訝しんで見ていると、グレーテルとオットーがなにやら祈り始めた。
神の奇跡を請う祈りの言葉の詠唱が、二人の口から同時に紡がれる。流麗な韻文で綴られた祈りの言葉は、さながらハーモニーのように美しく絡み合い、二人の発動した奇跡の力に相乗効果をもたらす。
これ、解呪の奇跡だ
二人の神官による解呪の奇跡の効果は強力で、周囲の魔法的効果をすべて打ち消してしまう。
妖精が普段人間の目に見えないのは、魔法の力で人間の目を欺いているからだ。その効果が打ち消されたわけだから、当然、見えていなかった妖精たちの姿が白日の下にさらされる。
ネコに似た妖精ケットシーは、見えていないことを幸いと、頂上の岩のベンチに座って、口を顔いっぱいの半月状に広げてにやにや笑っていたが、不可視化の魔法が解けたことに気付くと、驚いた表情で勇者たちを見た。
クロッカスの花の周りを三・四匹で飛び回っていたピクシーたちは、木の葉を巻き付けただけの、肩も太ももも露出した格好が恥ずかしいのか、両腕をかき抱きながらそっと草むらへ隠れた。
その他、様々な種類の妖精たちが、「なんだなんだ」という表情を浮かべて勇者たちを窺っていた。
惨劇が起こったのはそのすぐ後だった。
ヴァルターはゆっくりと頂上の石のベンチに近づくと、何の前触れもなしに、いきなり抜刀してケットシーに切りつけた。ケットシーの白い体毛が血で染まる。
オットーも素早く剣を抜きはらうと、手近にいたブラウニーを横薙ぎに薙ぎ払う。巫術師は素早く呪文を詠唱すると、火球を作り出し、今しがたピクシーたちが逃げ込んでいったあたりを攻撃する。
彼らは各々、一人屠ってはまた一人と、凶行を繰り返していく。妖精たちは突然襲ってきた理不尽に、クモの子を散らすように逃げ惑う。
な、何?
なんで?
それ以上言葉が出なかった。
魔王討伐隊の目的は、魔王の討伐と人間に害をなす魔物の排除だ。有史以前から人間と共生してきた妖精を攻撃する理由がわからない。
エリザは、あたし以上のショックを受けているようだった。以前の虐殺事件で、誰よりも心を痛めていたエリザのことだ。再び同じようなことが繰り返されて、その心中はどれほどの苦痛に苛まれているだろう。
この映像を見せてくれているヘカテーも、あまりのことに気が動転しているようだった。無理もない。ドリアードと妖精族は近縁の種族だから、彼女にしてみれば同胞が殺されているようなものだ。
お待ちください!
阿鼻叫喚の惨劇が続く妖精の丘に、毅然とした声が響き渡った。見ると、空中にスイカ大の炎の塊が浮かんでいて、それが声を発しているようだ。
炎は勇者に近づいていき、そして名乗った。
貴殿の名声は聞き及んでおります勇者殿。
わたくしはオベロン王配下で宰相を務めておりますウィルオウィスプと申します。
王はただいま、所用により魔都オズィアに長期滞在しており留守ですので、王に代わり宰相のわたくしが応対いたします無礼をお許しください
口上を述べた後、ウィルオウィスプの炎がゆらりと下方にゆらめいた。それが彼なりのお辞儀であるらしかった。
何故この様なむごい仕打ちをなさるのですか?
ご存じでしょうが我らは貴殿たち人間とは共存関係にあります。
時々小さなもめ事は起こりますが、その度に和解してまいりました。今現在は、些細なもめ事一つたりとも、わたくしどもの方では把握しておりません
ウィルオウィスプは饒舌な妖精だった。勇者たちが不気味な沈黙を守ってる中、一方的にしゃべり続ける。
もしも我々の身内が人間に迷惑をかけたのならば、このウィルオウィスプが責任をもって事の次第を調査いたしましょう。
調査の結果我々に非があると分かれば、犯人を貴殿らに引き渡すこともお約束いたします。
とにかく我々、妖精族の総意としては、人間に害意はございません。その事を信じていただき、この様な暴力は停止していただきたい。
ヴァルターはウィルオウィスプの言葉を聴いているのかいないのか、よくわからない表情で、抜き身の剣を持ったまま立っている。
……ウィルオウィスプか。
ちょうどいいな
ちょうどいい? このウィルオウィスプに何か御用でしょうか?
わたくしに出来ることならば、ダンジョン内での松明の代わりでも何でも引き受けましょう。
……これ以上我々に危害を加えないと約束していただけるのならば、ですが
いや、そういうことじゃないんだ
と、次の瞬間、ヴァルターはいきなり、目の前で燃え盛る炎の塊を縦に真っ二つに切り裂いた。
さっきまでウィルオウィスプだった火の玉は、強風にあおられた蝋燭のように消し飛んだ。
ウィルオウィスプを倒して得られる経験値は三〇〇。
ちょうどレベルが上がるって言ってるんだよ
宰相だというウィルオウィスプを殺されたことで、妖精の丘には今まで以上の緊張が走った。
……おのれ
おのれぇ……
植物に擬態していたマンドラゴラが、顔だけを地面の上に出し、恨めしげな声をあげた。
白磁のようにきめ細かい肌の顔は、怨嗟に満ちていた。形の良い眉は限界まで引き絞った弓のように剣呑な角度を描き、額には怒りのあまり血管が浮き出ていた。白い肌に良く映える赤い唇は、その奥でギリギリと噛みしめられる歯のために歪んだ形をしていた。
このままで済むと思うなよ。
我らが王オベロンさまと、王妃ティターニアさまが必ずや仇を取ってくれるであろう。
王たちは今、魔都オズィアにいる。
魔王さまと協力して、必ずや勇者たちに死の鉄槌を下してくれるであろう!
吐き捨てるようにそう言うと、マンドラゴラは草の根に似た両腕を地上にまろび出し、腕の力を使って自分の全身を地中から引き抜いた。
そして大地に立ったマンドラゴラは、勇者たちが反応する暇を与えず、いきなり金切り声をあげた。
マンドラゴラがあげる金切り声は、聞いた人間を気絶させ、時には死に至らしめる効果がある。ただし引き換えにマンドラゴラ自身も死んでしまう。マンドラゴラにとって最後の切り札といえる、捨て身の攻撃だ。
この声を聞いたヴァルターと巫術師は、その場に倒れ伏してしまう。この機に乗じて、木々の上から様子を窺っていた斧を持ったブラウニー達が、彼らに切りかかる。頂上にある岩のベンチの影からも、手槍のような武器を持った毛むくじゃらの妖精が躍りかかってきた。
しかしグレーテルとオットーは気絶していない。天上教の神の加護によりマンドラゴラの声に耐性があるようだ。オットーが襲い掛かる妖精たちを切り伏せている間に、グレーテルがヴァルター達を気絶状態から回復させる。
回復したヴァルターと巫術師が攻撃に加わると、妖精たちは完全に劣勢に追い込まれた。ブラウニーは首を切り落とされ、ピクシーは火球に焼かれ、ケルピーは胴に深々と刃を突き立てられた。
妖精の丘に、ヴァルター達四人以外の動くものがいなくなるまでに、一時間とかからなかった。
意外と弱かったな。
こんな経験値じゃまだまだ足りない
……
剣についた血をぬぐい、鞘に納めながら言うヴァルターに、グレーテルは答えない。今回の妖精の丘襲撃に、グレーテルは乗り気ではなかったのかもしれない。
そんなグレーテルに構わず、ヴァルターはここでの用は済んだとばかりに、ゆっくりともと来た道を下って行った。
もう少し北に、バシリスクの生息地がある。
強敵だが、その分経験値は期待できる。行ってみよう
……わかりました
グレーテルたちもヴァルターに従い、丘を降りて行った。
全員が視界からいなくなると、魔法陣の燐光は終息し、映像は消えた。
……ねぇエリザ。
あたしにはまるでヴァルターが、敵意の欠片もない、人間に何の危害も加えていない妖精たちを、経験値目当てに虐殺した様に見えたんだけど、まさかそんなわけないよね
……悲しいこと、ですが……。
私にもそうとしか見えませんでした
魔王討伐隊が魔王を討伐するのは、魔王の力が強すぎると人間の住む地域まで魔物が勢力を伸ばしてきて人間と衝突するからであり、魔王討伐隊の根本的な目的は人間の生活圏からの魔物の排除だ。
だから討伐隊が魔都オズィアへの旅の途中で、各地域にはびこる魔物やその首領なんかを討伐するのも、大抵は近隣の住民に迷惑をかけている魔物だけにかぎられる。
そりゃあ、たくさん戦闘を重ねて経験を積み、強くならないと魔王には勝てないから、経験値を稼ぐためだけの戦闘をすることもなくはないけれど、今回のヴァルターは明らかにやりすぎだ。
大昔から人間と共存してきた種族を、その地域から根絶やしにするレベルで討伐するなんて、歴代の勇者たちを描いたどんな英雄譚でも聞いたことがない。まさに前代未聞だ。
あたし達、こんな奴を説得できるの?
こんな……悪魔を
あたしが自分の中の懸念をはっきり示すため、あえて『悪魔』という強い言葉を口にすると、エリザは険しい表情になって反論した。
冷静になってくださいアニカ。
あなたがつい十数日前まで一緒に旅をし、生死を共にしてきた勇者ヴァルターは、本当にどんな説得にも耳を貸さない、悪魔のような人物でしたか?
そう言われればもちろん、ヴァルターは悪魔ではなかった。
彼は身分も出身地も宗教さえ違う寄せ集めの魔王討伐隊をそれなりにまとめてきた。狩人は野蛮だとか、メレクの信徒は悪魔崇拝者だとか、何かと口さがないグレーテルをたしなめたことだって何度かある。
私は、彼がイーリス様の言っていたトイフェルに憑かれているのではないかと思うのです
……ああ、
そうかも
たしかイーリス様は、トイフェルに憑かれた人の特徴として、こんな事を言った。
・何らかの卓越した能力を持つようになる。
・社会の中で生きていくうえで重要な何かが欠損しているような不安定さを持つ。
ヴァルターはつい今しがた、妖精族の宰相ウィルオウィスプを一撃で消し飛ばしたが、ウィルオウィスプはそれほど弱い妖精ではないはずだ。ヴァルターには、少なくともあたし達と一緒に旅していたころのヴァルターには、彼を一撃で倒すほどの実力はなかった。
あたし達と別れてからの十数日間で、目ざましいまでに剣技が向上した。これは、トイフェルによって「卓越した能力」を授かったとは考えられないだろうか。
そして、明らかに以前のヴァルターと違う、冷徹な所業。
妖精族には人間や勇者に危害を加えるつもりがないと、ウィルオウィスプにどれだけ説得されようと、マンドラゴラからどれだけ怨嗟されようと、淡々と殺戮を続ける様は、まさに「生きていくうえで重要な何かが欠損」しているという表現がぴったりだ。
つまり、ヴァルターをトイフェルから救ってやらなきゃいけないわけね
急ぎましょう。
ヴァルターはバシリスクの生息地に行くといっていました。急げば、彼らが生息地につく前に合流できます。
そうと決まれば、急いだほうがいい。
魔物と戦う意思のないあたし達は、バシリスクの生息地に入るわけにはいかない。生息地に立ち入ればバシリスクが襲ってくることは避けられないからだ。
彼らが経験値のためだけにバシリスクを乱獲することを止めるためには、彼らが生息地に入る前に追いつく必要がある。
わかった。急ごう。
走るよ!
わわっ、
待って欲しいっす~
慌ててついてくるヘカテーを肩に止まらせて、あたし達は旅路を急いだ。
(続く)