姫様できましたぞ

烏月の声に呼ばれるより早く、璃朱の鼻腔に味噌のいい匂いが漂ってきた。生唾を呑み込みながら彼女は広間へと足を踏み入れる。
六人が座るのにちょうどいい足の低い机。その上にはもう既に料理が並べられていた。烏月は手際よくご飯をよそい狛に配膳させている。自分も手伝おうと璃朱は腕を伸ばしたが、それよりも早く烏月の手がそれを制した。

姫様は座っていてください。この茶碗で終わりですから

じゃあそれ、わたしのってことじゃ駄目ですか?

姫様のはもう既に狛が運びましたゆえ、それともこれがよろしいですか?

あ、いいです

話しが平行線になりそうだ、と璃朱自ら折れた。手伝わせてくれ、といえば話は早いだろうが、きっとまた『姫様のお手を煩わせるわけには云々』と返ってくるのは分かっていた。

平等がいいんだけどな……

動きたくない、働きたくない、やる気ない、と叫び続ける七瀬だったら喜んで璃朱の立ち位置を受け入れるだろうが、彼女にとっては自身が何もできない者のように思えて嫌だった。

戦うことはできないけど……

だからこそ料理でも洗濯でもやらせてと思うのだが、いつも烏月がやってしまい、璃朱には指一本触れさせない。

頼む前にやっちゃおうかな……場合によっては姫様命令とかでねじ伏せて、やりたくないけど

箸を指に挟んで『いただきます』とこぼす。

どちらせよ施行するのは今度、と豆腐とわかめの味噌汁を口に運ぶ。出来立ての料理が目の前にあるのに、考え事していて冷めてしまったなんて調理をした烏月に悪い。

やっぱり美味しい

それはようございました

狛と一緒にがっついていると、欠伸を噛みしめながら七瀬が入ってくる。朝食にしては少し遅い時間だが、それでも今の今まで寝ていたらしい。寝癖を掻きながら豆腐をつっつく。

烏月、醤油

そこにあるでしょう。自分でお取りなさい

あー? 姫だったら取るじゃん。俺にもその動きみせてくれよ

姫様は姫様ですから

ケチくせー

璃朱は二人の会話を聞かないフリして切り身を口に運ぶ。下手に手を出したら烏月に小言を言われかねない……七瀬が。

ぶつくさとこぼし続ける七瀬の隣を空けて灯黎が座ろうとするが、一番最後に来た三冴に間を詰められる形となり舌打ちをこぼした。これで全員。いつもの定位置だ。

間が嫌なら最初に来るか最後に来ればいいのに

大体来る順番もいつもどおり。何故か灯黎が狙ってもいないのに間になる。璃朱の前でもあり、こんな綺麗な顔を拝みながらご飯を食べるのって女子にとっては幸せなことかな、とも最初の頃は思っていたが、一週間も過ぎてしまうと見慣れてしまったところがある。それでもやっぱりまじまじと見つめると美しい。

ふと、灯黎が目線を上げた気がして、璃朱は慌てて白米に目線を落とした。

てか、烏月さーん

黙って食えませんか?

しんみりと食うよりかはわいわいしてた方が楽しいだろ

その口ぶりからは苦情しか感じられませんがね

まぁそーですけど

俺に動け動け言いますが、灯黎さんとかはどーなんですかねー?

何故、俺の名が出る

だってお前だって部屋に引きこもってばっかりじゃん、かと思えばいないし?

自分の身の回りのことはやってるつもりだ

じゃあ部屋では何やってんの

読書だ、真面目な、な。春画ばっかり読んでるお前とは違う

おまっ……!

図星か?

否定してないもんねー。姫ちゃん危ないからこっちおいで

お前の方があぶねぇだろうが!

七瀬は立ち上がり箸で三冴を指す。
唾が飛び、灯黎は凄みのある顔でそれを払った。

もう嫌だ……この席……

なーにやってんだ?

裏庭で狛がしゃがんでいる。
七瀬は腰に手を当てて、上からそんな彼の様子を覗き込んだ。
ちらりと向いた狛は、何も言わないまま手元だけを懸命に動かし続ける。

返答したっていいだろ

うるさい、あっちいってすけべ野郎

おいこら待て、そのあだ名誰が言った

こめかみに青筋が立ったが、狛は気にも止めない。
また一輪花を摘んで、その茎を手に持つ編んだ花々に括り付ける。

花冠か?

見れば分かるでしょ

作りはじめたばっかみてぇだから、見てもわかんね

頭を掻きながら七瀬はその場にしゃがみこんだ。

足元にはちらほらと白詰草が咲いている。しかしそれほどの量ではない。

冠作れる量か?

渡す相手なんて一人しかいない。その頭は小さいが、それでもそれなりの白詰草は必要だ。

腕輪や指輪なんて発想はないんだろうな

王の冠。貴王姫である彼女は頂点に立たなければいけない存在だ。そして今は、七瀬を含めた五人の姫であり、王だ。
冠こそ相応しいと狛は思っているのだろう。

何、してるの?

見てわかんね?

雑草取り

お前そろそろぶっ飛ばすぞ

七瀬が春画見せつけてきたって言いつける

馬鹿野郎! それだけはやべーからな! 俺殺されるからなあいつらに!

だからだよ

お前ふざけんなよ……

二人分の白詰草を摘む音だけが場の音となる。

黙々と手を動かしているといつの間に二人の距離は開いていた。七瀬が振り返ると、狛はぼんやりと天を仰いでいる。

早くやんねぇと日暮れるぞ

ねぇ七瀬

なんだよ

狛は立ち上がると膝に付いた土を払い落とす。

お姫様って……なんか不思議、だよね

は?

……なんかね、雰囲気が……たまに違くなる気がする

何だそれ? 誰かに言ったか?

ううん。なんとなく今、思っただけ

俺はそうは思わねぇけどな。いっつも見ればやれ家事やらせろー、だとか、家事やらせろーだとか……あいつそれしか言ってねぇな

烏月もやらせばいいのに

お? お前がそういうとは思わなかった

お姫様のやりたいことやらせればいいと思う。別に……姫取合戦じゃないんだし……

嫌いか?

…………

姫取合戦

お姫様に言われたらちゃんと戦う。それがぼくの存在理由なんだから

おーおーそれは大儀なもんで。ほんとに姫自体が姫取合戦を回避してくれて助かったわ

なんでだろうね

ん?

貴王姫にとって姫取合戦は何よりも大事な気がするのに……お姫様は……それよりもぼくたちのことを大事にしてくれた

私は皆さんにも倒れてほしくはありません

…………

あ、そうだ

まるで何かを思い出したかのように、狛はまた天を仰ぐ。吹き込んだ風が彼の髪を揺らした。

雰囲気、懐かしくなる時がある……

出来かけの花冠を優しく抱く。瞳を閉じ、風に身を任せる姿の背後には、誰かがその小さな体を受け止めているように七瀬には見えた。
母のような慈しみ。母体のような揺り籠。
それに今、狛は抱かれている。

…………

狛の唇が弛緩する。その単語は音にならなかった。

これ、わたしに?

自分を指差し首を傾げると、狛はその頭を固定して、花冠をゆっくりと置いた。

ありがとう

笑みを向けると、狛は小刻みに首を縦に振る。その頬はほんのりと桃色に染まっていた。

感情の起伏が薄いと思ったけど、表に出すのが苦手なだけかも……

もっと笑えばいいと思う。弟のように甘えてくれたら、それはそれで嬉しい。
でもそれは口に出さない。
きっと狛にそれを言ってしまえば、逆に彼は悟られないようにしてしまうだろう。感情を奥へと押しやって、諦観してしまった子のようになってしまう。
そんな、気がするのだ。

もうちょっと寄ってくれる?

手招きをすると素直に近寄ってくれた。璃朱は両手の人差し指を立て、それを狛の頬に当てる。

はい、笑顔

指で柔らかな頬を持ち上げる。
狛は驚いて全身が固まったが、璃朱の微笑みにゆっくりとちょっと不格好な笑みを浮かべた。

……あ、あの、お姫様……

なに?

あ……えっと、なんでもない

そっと上着を掴まれ、璃朱は指を離して狛の頭を撫でた。

…………あのね

似合ってる?

裏庭に咲いていた白詰草を全て集結させた花冠を被りながら、璃朱は一回転する。

あーはいはい、似合ってる

気のない返事をしながら去ろうとすると服を掴まれた。
一瞬だけ悪寒が駆け抜けだが、平常を装って振り返る。

これ、七瀬も手伝ったんでしょ?

誰に聞いたんだ?

狛に

…………あのね

そっと近づいた狛は、璃朱の耳元で囁いた。

だから七瀬にもありがとう

おう、そう思うなら俺の雑務なくしてくれない? 姫からの提案なら烏月も聞くと思うんだよ

言うと思った。多分それ言うと七瀬が怒られるよ?

うぇ……正座説教三時間はきっついな……

そっと服から手を離す。
七瀬はその場にとどまった。
璃朱は花冠を愛おしく撫でて、また一回転する。

懐かしい……か

璃朱を上から下まで見つめる。狛が言うような感情は生まれない。
貴王姫という枠に囚われた、ただの小娘だ。

みんなにも見せてくる

灯黎はやめた方がいいぜ。あいつ小馬鹿にするだけだぞ。それに春画読んでるかもしれねぇし

七瀬みたいな『すけべ野郎』じゃないから

そのあだ名お前か!?

……あ、三冴がそう呼べって

春画の言葉がでたら、の台詞をもごもごと口の中で転がしながらそそくさと逃げる。

やっぱりあいつの手引きかよ! あいつぶっ飛ばすまじで!

うるさいですぞ!

飛んできた説教の声に七瀬は壁を蹴り飛ばした。

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