ここは暗い
怖い
誰かが追ってくる
……本当に追ってくるの?
逃げなきゃ
どこに行くの?
わたしは……なに…………

目を開けば天井に覗き込む顔。幼い彼の顔は感情の起伏が薄いのか、無表情ながらも心配しているようであった。

璃朱(りしゅ)は瞼を弛緩させ、ぼんやりとした頭のまま身体を起こした。

あれ……わたし、何してたっけ……?

何かをしていた気がする、夢の中でだったが。

今は布団の上。真白い掛け布団からは太陽の温もりが感じられる。
そっと布を指でなぞっていると、そっと手をとられた。

目が、覚めたんだな

は、はい……!

目が、綺麗

手をとった相手はいかにも美形と言われそうな男だった。紅玉のような瞳が璃朱を離そうとはしない。
しかしながらこんなに綺麗な男に見つめられていると背筋がぞわぞわとして落ち着かない。璃朱が美形を嫌っているわけではない。綺麗すぎるのだ。そして近い。
まるで何かを見透かそうとするその瞳にただ狼狽えていると、第三者の手が間に入ってきた。

近いですぞ、灯黎(とうらい)

それは悪かった

悪びれる雰囲気をまったく感じさせない言いぐさで手を離す。

璃朱がほっと息を吐き出すと、さっきの幼子が布団の上に乗っかってきた。じっ、と彼女の顔を凝視する。

えっ、と……

この人が、今度の貴王姫様?

き、おうひめ……?

そうでございます。お目覚めしたばかりでまだ混乱しておりますでしょうが、ゆっくりとお話を聞いていただけると幸いです

そ、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ

彼が深々と頭を下げそうになり、璃朱はそれを手で制する。背中のぞわぞわ感が、灯黎の時と種類は違えどまた襲ってきた。
何となくだが、自分に畏まらないでほしいと璃朱は思う。

まだ何も分からないが。

そうだ、わたしは何も、分からない

ぐるりと辺りを見回す。ここがどこなのか、さっき幼子が口にした『貴王姫』が何なのか、全くもって分からない。唯一、今分かることは自分が璃朱であることと、今この場には自分を含めて六人しかいないこと。
残り二人は窓の縁に座り外を見ているのと、壁に寄り掛かってにこにこと笑っている。笑顔の方に顔を向ければ、手を振られた。

良かった、女の人がいる

残念、俺、男でーす

!?

見事なまでに騙された。

喋らなければ女だと言いとおせそうな彼は、おもむろに立ち上がると、足音もなく璃朱に近づいてきた。立ち振る舞いも実に女性らしさがある。

さっき目が合った瞬間、女だと思ったでしょ? ま、いいんだけどね

その恰好してるのが悪い

いいじゃん、誰も迷惑かけてないし

似合ってなかったら斬り伏せてた

それはお褒めの言葉だと受け取ります。俺の名は三冴(さんざ)。あ、君のことは姫ちゃんって呼ばせてもらうね

喋るな、黙ってろ

黙ってろって指示するなら、これからの説明全部灯黎にやってもらうけど?

三冴の言葉に灯黎は喉を詰まらせる。綺麗な顔を歪めてそっぽを向いた。
説明する気は皆無らしい。

そっちの赤毛も説明する気ないでしょ?

三冴が向く先、窓にいる人物は顔をこちらに向けず、片手をやる気なく振った。説明はどうぞ任せます、と言わんばかりだ。

とりあえずちゃっちゃっと説明始めますか。あ、分からないことがあったら挙手して気軽に質問してね

じゃあ、はい

何かな、姫ちゃん

あなたって……本当に男、なんですよね?

あ、そこ気になる? 触る?

行動に移したら叩き潰しますぞ

ちょっと冗談、その刃物しまってー!

と。俺は普通に男です。仕え人がいれば女人もここにいたと思うけど、何せ小さな家城だからね。ここにいる奴らで全員なんだよ

料理などは私がやりますゆえ、姫様には何不自由ない生活だと思いますぞ

こいつの料理、見た目に反してほんと美味しいから期待していいと思うよ

はい、ではわたしは何をすれば

お姫様はずっと居ればいいよ

幼子の言葉に一瞬だけ静寂が訪れる。誰もが呼吸をとめたかのように動きさえしない。
灯黎がゆっくりと顔を上げる。その瞳はがらんどうに見えた。綺麗な瞳ががらんどうのまま璃朱を射抜く。

そうだね、居てくれないと困る

三冴の言葉に意識が現実に戻る。
先ほどまでの風景が全て幻想のように感じ、璃朱は布団を強く掴んだ。

大丈夫、感覚はある。ここはまやかしなんかじゃない。

姫ちゃんは居なければいけない存在だ。俺達にとってね

それって、ここにいる人達だけ?

鋭いね。そう、姫ちゃんに居て欲しいのは俺達だけ、なんだ

三冴は璃朱から目線を外し、窓辺にいる赤毛――の向こう側、窓の外を凝視する。
ここの部屋は高い位置にあるのか、青空とそこを横切る朧雲しか見えない。

姫ちゃん、この世界は姫ちゃんのような『貴王姫』が何人も存在する

貴王姫は一人しか存在できない。だから俺達は狩る

姫ちゃんを怯えさせるような言い方しないでよ

っていっても、これからいうことは物騒なことだからびっくりしないでね。大丈夫、姫ちゃんのことは俺達が護るから

三冴が膝をつき璃朱と目線を合わせる。
と、璃朱の視界がぶれた。強く掴んでいた布団の感覚が失せる。

姫取合戦っていってね

三冴の声がどこか遠い。

……ひめ、とり、合戦……

彼の言葉をどうにか反芻した瞬間、まるでそれが引き金だったかのように映像が眼前に浮かび上がった。

誰もが倒れていた。胸が浅く動いている者もいれば、もう既に動かない者もいる。
璃朱は息を呑んだ。
死に瀕し血に塗れた者達は、先ほどまで話していた者達だった。
赤毛の彼が苦しい息を吐きながら、刀を支えにして這っていく。

悲劇を体現化するその光景に璃朱の身がぐらつく。そのまま倒れそうになったところを烏月が支えた。

あ、ありがとう……ございます

言葉を吐き出すと、先ほどまで見えていた惨劇は跡形もなく飛散した。

目覚めたばかりですから疲れが出てきたのでしょう。後日改めて説明しましょうか?

いえ、もう大丈夫です。そのまま続けて下さい

本当に無理だったらすぐ横になっていいからね。手を出す奴がいたら俺がボコボコにするから

……信用ない言葉吐いてる

んー? 何か言ったかな?

喧嘩している暇がおありならさっさと説明を終わらせてください

分かってる

この世界にはいくつもの城があって、そこには絶対一人の貴王姫がいるんだ。もちろんここにも

三冴は人差し指を璃朱に突きつける。

世界は一人の貴王姫を選出したいみたいなんだ。だから俺達は君になってもらうために君を護るし、他の貴王姫を狩るために姫取合戦……まぁ城の略奪かな? そんなこともする

それって……戦うってことですよね……

うん

さっきの映像が脳内を駆け巡って、璃朱は口を手で覆った。

やはり休みましょう

……戦わない選択はないのでしょうか

そんなものは、ない

例えば私達は籠城するとか……手を出さなければ向こうからくることもないのでは……

いぃねー

手のひらを打ち合わせる音に顔を上げれば、今まで窓を向いていた青年がこちらに歩いてきていた。

俺、その案大賛成。だってやる気ないし

璃朱の前に赤毛の青年は恭しく立ち膝をし、小首を傾げて覗き込む。

姫とは仲良くできそう。俺は七瀬だ、よろしく

よ、よろしくお願いします……

何となく手を差し出したが、七瀬は見えていなかったのか、くるりと背を向けてさっきの定位置に戻っていった。しかし顔はもう窓の外を見ない。窓枠に手をついてにやりと笑いながら璃朱を見ている。

行き場をなくした手を璃朱は握った。

とにかく私が倒れなければいいんですよね

そうだね。君はこの城の核だからね

それから、私は皆さんにも倒れてほしくはありません……だから、籠城しましょう、皆さん

あの幻想が現実にならないように。

璃朱が頭を下げると髪がさらりと音を立てた。

……俺達は弱小の城だからね。この外には俺達のような戦う奴や仕え人を何百人も従えた貴王姫がいるからね……得策かも

きっと今は誰の目に触れてもおりませんゆえ、存在自体を隠し通せるかもしれませぬな

お姫様がそう言うなら、ぼくはそれでいい

…………

じゃあ、決まりだな。これで働かなくてすむぜ

籠城といって働かないという解釈はございませんぞ。姫様のため家事や訓練など様々な

やめてくれよ、そういうの。俺はゴロゴロ寝てたい

働かない者食うべからず、ですぞ

飯は食わせてくれ

なら働くことですな

うぇ……

とりあえず、いったんは説明終わり。で、いいかしら

はい

何か質問あれば気軽にきいてね。ちゃんと答えるから、あ、七瀬はどうか分からないけど

そう……みたいですね

そこ肯定しちゃう?

信用なくなりましたな。姫様、とりあえず今はゆっくりお休みください。目覚めたばかりですので

目覚めたばかりって、私ずっと寝てたの?

記憶を手繰り寄せようとしたが、やっぱり上手く思い出せない。無理矢理に思い出そうとすれば、色んな記憶が一気に押し寄せてきそうな気がして、それ以上踏み込む気になれない。

璃朱の質問に皆、互いに瞳を交える。

出現、したんだ

え?

青白い渦が突然現れて、それが消えたらお前が横たわっていた

それ以上のことは知らない

とにかく、貴王姫ってことは皆すぐに分かったから、丁寧に扱ってあげたよ

お姫様、目覚めてよかった……

ほんとにね

まーとりあえずいいんじゃね? 俺のために倒れないでくれよ姫

俺達のため、でしょ?

おどけてみせていた彼は、次の瞬間真顔になり膝をついた。

この三冴、姫ちゃんについて行きましょう

申し遅れました、烏月(うづき)と申します。何なりとお申し付けください

狛(はく)

灯黎だ……

なんか愛想の悪い奴らもいるけど、とにかくよろしくな

また手を出してみたが、やっぱり七瀬は握らない。

璃朱は首肯にて、彼らの意思を受け取った。

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