1時間後。

 俺と敦子は、株式会社サンパヰに向かった。

 場所はショッピングモールのすぐ近くだったが、敦子が変装したいと言ったからだ。

どう? ちゃんと鷹司さんっぽい?

いや、まあ……

なによっ

 敦子は、ぷっくらとほっぺたをふくらませた。

 俺は懸命に笑いをこらえてこう言った。

結構似合ってると思いマスヨ

なによ突然敬語になっちゃってえ

だって

 敦子は、美由梨っぽく変装したと言うけれど。

 実際のところは、ただのギャルである。

 というより、俺には敦子がこれ幸いと、高校生っぽいファッションをめいっぱい楽しんでいるようにしか見えなかった。

 それくらい敦子は張り切っていた。

 活き活きとしていた。

 はしゃいでいた。

 痛々しいと、言い換えてもいい。……。

さて。サンパヰの社長が事務所にいることは、倉庫の防犯カメラで分かってる。いろいろ考えたがアポ無しでいきなり行くとしよう

そのほうが高校生らしいから?

気の利いた高校生なら、ネットで調べてアポぐらい入れると思うけどね。まあ、いきなりのほうが傲岸不遜な美由梨らしいよ

なるほどね

ちなみに、俺は近衛市長の息子を演じるが、相手の反応をみて臨機応変に設定を変えるつもりだ

分かったわ

それと、サンパヰに商談を持ちかけるのは、あくまで美由梨だ。だから最初は敦子が話を進めて欲しい。俺は折をみて罠を仕掛けにいく

了解

 敦子はそう言って、クスリと笑った。

 ギャル・ファッションの敦子は、どんな仕草もいちいち面白い。

 俺は懸命に笑いをこらえながら、しかし、こらえきれずにニヤニヤしながら歩いていた。

 そしてしばらくの後、俺たちはサンパヰの事務所を訪れた。

 事務所は、倉庫脇にある大きめのプレハブ家屋だった。

 俺は事務所に入ると、いきなり用件を言った。

 すると応接室に通された。

 応接室で待っていると、あわてて社長がやってきた。

すみません遅くなりまして

いえ

本日は、お忙しいところをわざわざお越しいただき、大変恐縮しております。私、株式会社サンパヰの社長をしております算田(さんだ)ともうします

鷹司ホールディングスの美由梨ですわ

ボクは近衛です

鷹司のご令嬢と近衛市長のご子息がどういったご用件で?

 算田社長は、上目づかいで俺たちの顔を交互に見ながらそう言った。

 俺は敦子を、ちらりと見た。

 すると敦子は美由梨っぽい口調でこう言った。

私、今年から高校生になりましたのよ。それでお父さまの期待を裏切らないよう、ビジネスを実践から学ぶことにしましたの

はっ、はあ

鷹司ホールディングスは、飲食業にも注力しています。私は『鷹司ケータリング・サービス』の役員になりましたのよ

そっ、それで鷹司ケータリング・サービスの役員さまが、弊社にどういったお話を?

明日、近衛市長の再当選祝賀パーティーがあります。場所は、鷹司家の広大なお庭。食事はもちろん『鷹司ケータリング・サービス』。それを仕切るのは、私、鷹司美由梨よ

はあ

明日は月曜ですけれど、お父さまにお願いをして特別に学園をお休みにしてもらいました。ああ、お間違えなく。私が休むのではありません。明日は『学園がお休みになる』日ですわ。たしか、緑園記念日とかいう祭日を急遽創ったのです

はは、ははははは

 算田社長は、ぎこちない笑みでかたまった。

 話がまったく見えてこないからだ。


 まあ、それは作戦通りである。

 しかし、それにしても美由梨そっくりの支離滅裂なしゃべりかただった。

あの、それで鷹司さま?

なんですの?

 敦子はそう応えただけで、それっきり何も話さなかった。

 その憎たらしい笑みが、ひどく美由梨に似ていた。

ええっと……

 算田社長はジレた。

 救いをもとめるように俺を見た。

 俺は、わざとらしくため息をついた。

 それから身を乗り出してこう言った。

社長。これだけ美由梨が言っているというのに、あなた、まだ分からないのですか?

え?

美由梨は、ケータリング・サービスの会社をまかされた。明日のパーティの食事もまかされた。そして今、こうして株式会社サンパヰの社長に会いに来ている。もちろん美由梨の父……鷹司ホールディングスのCEOは、学園の理事長を退いたとはいえ、未だ絶大な権力を誇っている

すみません、私にはどういうお話なのか、まったく見えてこないのですが

あなたの会社と取引がしたいと、美由梨は言っています

あの、具体的には?

美由梨がハッキリ言わないのは、ハッキリ言えないような内容だからですよ

 俺は精一杯のゲス顔でそう言った。

 算田社長は、突然、無表情になった。

 警戒したのである。

………………

 俺はしばらく沈黙を楽しんだ後、努めて明るくこう言った。

ところで社長。ここに来るとき、倉庫で小さな女の子を見かけたのですが、社長のお子さん、いや、お孫さんですか?

おっ、女の子?

ほらっ、赤い服を着た可愛らしい女の子です

いやっ

おや? こんな倉庫街をひとりで歩いていたから、社長のご家族かと思ってたのだが……違ったのか

…………

サンドイッチを食べてましたよ。業務用スーパーで売ってるような簡素な包装のサンドイッチをね

 俺はイジワルな笑みでそう言った。

 算田社長の表情を観察した。

 彼は愛嬌のいい笑みをしていたが、しかし、その額にはうっすらと汗がにじんでいた。


 ーーこの表情は、結ちゃんのことを知っている。

 ーーしかも、知っていてそのまま放置している。


 俺は断定した。

 怒りがこみ上げてきた。

 それは到底こらえきれるようなものではなく、またこらえる必要のない性質のものだった。

 俺の口調は自然と荒くなった。

ねえ、社長。お宅のお子さんじゃないのなら、警察に届けたほうが良いですよ。あれはきっと倉庫に住んでるよ

いやっ

なんで警察に連れていかないんですか?

それはっ

マズいでしょうねえ。警察なんかに連れていったら、倉庫のなかのことを全部しゃべられてしまう。たとえばサンドイッチやコロッケが、どこにあったのかとか

あなた、食品も扱っているんでしょう? 産業廃棄物を専門に扱う業者なのにさあ

………………

あの倉庫には、冷蔵冷凍設備があるようにはとても見えなかったけど、大丈夫ですかね?

…………ううっ

 算田の顔から血の気が見る見る引いていった。

 俺はしばらくその表情を楽しんだ後、ささやくようにこう言った。

だから社長、美由梨が来たんじゃないですか。鷹司ケータリング・サービスの役員の美由梨が

……もしかして?

美由梨は、あなたから食材を仕入れたいと言っている。すべてを購入したいと言っている。もちろん、ケータリング・サービス会社としては格安な値段で。産廃業者としては高額な値段でね

そっ、それは本当ですか?

 算田は大きく目を見開いた。

 ごくりとツバをのみこんだ。

 俺は微笑みながらこう言った。

契約を結べば、御社の食材はすべて鷹司のものとなる。そうなれば倉庫の管理にも鷹司が口を出す。……と言えば聞こえは悪いのだけれども。しかしそれは、鷹司が倉庫で起こった面倒をすべて処理するということだ

それじゃあ……

あの子にはもう、おびえなくていい。警察でも託児所でも好きなところに連れていきなよ

 俺はため息をつくようにそう言った。

 それから算田の背中を押すように強く言った。

鷹司ケータリング・サービスはデカいです。今以上に儲かりますよ

えっ、ええ

 算田が真剣な顔になった。

 彼は目まぐるしく計算をしはじめた。

 そんな彼に、敦子がやさしく微笑んだ。

 数分にも数十分にも感じられる時が過ぎた。

 やがて算田は言った。

あの、せっかくのお話ですがーー。弊社には鷹司さまのご期待に応えられるほどの実力はございません

はあ?

鷹司ケータリング・サービスさんと取引するだけの能力が弊社にはない、と申しているのです。それに正直に申しまして、弊社には食品を取り扱う資格がありません。だから鷹司さまのような有名企業と取引するのは恐ろしい。目立ちたくないのです。まあそれは、近衛市長に特別に便宜をはかっていただきィ、今までやらせていただいてきましたからァ、ご子息さまにおかれましてはァ、充分にご理解されていることとは思うのですがあ

 算田は下品な笑みで俺を牽制した。

 俺は今、市長の息子を演じている。

 だから、算田はこういった開き直りもできるのだ。

そうですか

 算田は思っていた以上の悪だった。

 そして彼には度胸と決断力があった。

 俺の心中では、算田に対する見事だという気持ちと軽蔑する気持ちが複雑にからみあっていた。

 しかし、どうにも困ってしまった。

 ここは一旦帰って仕切り直しかなと思った。

 そう思ってお茶を一口に飲んだときだった。

あら、そういうことですかっ

 敦子が突然声を荒げた。

だったら、あなたのライバル会社の『株式会社ハヰキ』と取引しましょう

 そして打ち合わせにないことを話しはじめたのだ。

今日は市長の顔を立てて、こちらにうかがいましたけど、私としては、市内の業者にこだわる必要などないのです。鷹司ケータリング・サービスが前年度よりも儲かり、お父さまに認められればそれで良いのです

 敦子は、美由梨のマネで言い切った。

 それから気持ちよさそうに、意味不明で支離滅裂なことを言い出した。

 持論を展開しはじめた。

 そのメチャクチャな言い分も美由梨そっくりだったが、しかし俺がもっとも驚いたのは、敦子の顔つきが美由梨にだんだん似てきたことだった。


 敦子は、完全に美由梨になりきっていた。

 まるで美由梨が乗り移ったかのようだった。


 俺と算田は口をぽっかり開けたままで、しばらく敦子(の演じる美由梨)の演説を聞いていた。

 敦子はすべてを言い終えると憎たらしい笑みでこう言った。

私は鷹司の娘ですわよっ

 そして敦子は、算田に渡した名刺を取り上げた。

 財布にしまって席を立った。

 それから呆然としている俺を見下ろした。

 その表情は、不愉快なほど美由梨にそっくりだった。

こいつ

 俺は思わず腰を浮かせた。

 この女……俺を見下しているこのクソ女のことを、美由梨だと錯覚したからだ。

ほらっ、いつまでも座ってないで

 敦子は俺を制するように言葉を置いた。

 そして、吐き捨てるようにこう言った。

『株式会社ハヰキ』に行きますわよ

 それから敦子は算田に眼をそそぐと、あざけり、哀れむように冷笑した。


 必ず地獄に突き落としてやるーーそんな感じの笑顔、美由梨そのものの笑みだった。

 すると。

取引するっ。お、御社と取引するっ!

 のどのつまったような声で算田は叫んだ。

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