はじめに。
 俺の名前は成瀬一星。どこにでもいる、しがない小悪党である。そこらの小悪党とほんの少しだけ違うところは、とある男に敬意を払っていることか。
 その男――我が偉大なる先達ヴェア・コール。
 悪戯の天才と呼ばれた、かの詐欺師が仕掛けた最後のペテン――『赤裸の回想録』にちなんで、俺たちの活動記録をここに記す。

 二〇××年、六月二十一日。

 赤い日差しに照りつけられた通りを、青い軽自動車が走っていく。
 多少古い型ではあるが、当時にしてはデザイン性が高く値段も手頃であったため、またたくまに流行った。後継車が出てもなお乗り続けられていたようなありふれた車なので、道行く人も、対向車も、特に気に留める様子はない。
 俺は後部座席から漏れ聞こえてくる曲に合わせて鼻歌を歌いながら、ハンドルを握っていた。クラッシックからヘビーメタルまで音楽はなんでも聴く方だが、中でもその曲は特に気に入っている。ロックバンド、カサノヴァの『ルナティック・コード』。
 アップテンポな明るいメロディラインに、憂鬱で味気ない歌詞が並ぶ。そのちぐはぐさに心惹かれるのは、俺自身が日々を面白おかしく過ごしつつ、いくらかの退屈さをも感じているからだろう。多分。

夕月

機嫌がいいのは結構なのだけれどね、一星。今の角を右ではなかったかな

平淡な声は、助手席に座った男のものだ。

一星

マジでェ? そういうことはもっと早く言ってくださいよ。夕月さん

 これだからカーナビの付いていない古い車は嫌いなのだと思いながら、ちらりと隣を見やる。夕月さん――華邑夕月という男は、男である俺から見ても綺麗な人だ。
 冷淡に見えない程度につり上がった眉の下に、猫のような気まぐれさと悪戯っぽさを備えた瞳がある。小さめな、それでいてすっと通った鼻梁に、いつでも色気のある微笑をたたえた唇。上品な色に染めた髪が、窓の隙間から吹き込んでくる風に、さらさらと揺れていた。もっとも夕月さんは、サイドミラーに映る自分の美貌にも興味のない様子で欠伸を噛み殺していたが。

夕月

五百メートルほど真っ直ぐ行って右折。それからすぐの信号を更に右折で予定のルートに戻ることが可能だ。君も機械にばかり頼らず、地図を覚えるといい

一星

気が向いたら覚えまーっす

 まあ一生気が向くことはないんだろうな、と思いつつ頷いておく。
 夕月さんの言うとおり走らせると、見覚えのある道が見えてきた。とはいえ通い慣れているというわけでもない。下見に一度、足を運んだ程度だ。
 目的地は貸倉庫だった。利用者が少ないから寂れているのか、それとも寂れているから利用者が少ないのか。入り口はシャッター式だが、バールのようなものを使えば簡単にこじ開けられてしまうだろう。セキュリティシステムどころか監視カメラの一つも導入されていない。
 それでも一応は目立たないよう建物の陰に車を止め、俺は運転席からあたりの様子を窺った。俺たちの他に人の姿がないことを確認し、ようやく外へ出る。
 もう夕月さんも助手席から降りていた。
 どちらともなく顔を見合わせ、後部座席のドアを開ける。シートに転がっているのは、女だ。いや、女というか少女か。依頼主の話では、確か高校二年生だったはずだ。実際、少女は近隣でもよく知られる私立校の制服を着込んでいた。ボルドーのベストに紺色のタイ。洒落たチェック柄のスカートは、規定の長さよりも短くしているのだろう。危うげに乱れた裾から、太腿から尻にかけてのラインが覗いている。
 その下は残念ながらスパッツ着用だが、まあそれはそれでなかなか――挨拶代わりに尻の一つでも揉んでやろうかと手を伸ばしたら、夕月さんに横から殴られた。
 しかも、グーだ。グー。よろけた拍子にドアで肩までぶつけて、地味に痛い。

夕月

くだらないことをするんじゃない

一星

くだらないことって。夕月さんは興味ないんですかァ? 女子高生

夕月

ない。わたしルールで、高校生までは女未満の生きものとして扱うと決めている

 出たよ、自分ルール。この人は、こんな調子でいくつも面倒な自分ルールを設けている。いちいち付き合わなければならない俺の身にもなってほしいと思う。
 夕月さんは俺の手を払いのけると、少女の体を車から引きずり下ろした。
 アイマスクがずれないよう片手で押さえながら抱え上げる。少女は少し暴れたが、夕月さんが犬や猫をなだめるように肩を軽く叩くと静かになった。後ろ手に手を縛られて猿ぐつわまで噛まされていれば、無茶のしようもないんだろう。

夕月

一星、シャッターを頼む

一星

はいよ

 夕月さんに促されて、シャッターを開ける。倉庫の中はひんやりと冷たく、換気もしていなかったため少しかび臭い。とはいえ備え付けの小さな窓を開けるわけにもいかず、夕月さんが中に入ったのを確認して俺はまたシャッターを下ろした。
 電気は通っていないので、あらかじめ運び込んでいた携帯式のランプを灯す。

夕月

さて――ここから、互いの名を呼ぶのはなしだ

 少女をコンクリートの上に下ろすと、夕月さんは念を押すように言った。

一星

分かってますって

 俺は頷き、少女の胸元へ留めていた小型の音楽プレイヤーを操作して曲を止めた。重たいデザインのヘッドフォンから漏れ聞こえていた大音量が停止し、静寂が降りる。俺たちの呼吸音と、猿ぐつわの下で息を潜めているらしい少女の呼吸音だけが、倉庫の中に響いている――探り合いのような空気に、少し落ち着かない気分になる。
 早く本題を切り出してくれと視線を送ると、夕月さんは少女の足下に転がったコンビニの袋を顎で示した。中には水の入ったペットボトルと携帯食がいくつか入っている。水を飲ませてやれということらしい。
 口で言えよ。ていうか、自分でやりゃいいだろうが。と思いつつも少女の猿ぐつわを外して、渇いているその口元へペットボトルを運んでやる素直な俺である。
 だが、少女は水を飲もうとせずに掠れた声でこう告げてきた。

あの、こんなことをしても無駄だよ。うちの親、身代金なんて払わないから

 と――つまり、俺たちは少女をさらった誘拐犯なのだった。

1.赤裸の回想録。

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