第三話

それから、菊次郎は長崎屋に足しげく通った。

店に行くのは授業の終わった昼下がりから夕方。

女将や常連客が店に集まって来る黄昏時に、いそいそと店から出るという塩梅だった。

必然、菊次郎はマリルーと二人で過ごす時間が長くなり、
マリルーもまた、暇のつれづれなのか、菊次郎にいろいろなことを語るようになってきた。

大和路は、店が繁盛しなくてもいいと言うのだが

どうやらこの店の女将は、大和路というひとらしい。

わたしはこの店を繁盛させたい。
ここの給金が大和路の別の稼ぎから出ているのを、わたしは知っている。
店を任されている以上、せめて自分の給金分くらいは上がりを出したいのだ。

確かに、店はいつも閑散としていて、いつも来ているのは顔なじみばかりのようだ。

チョコレートが通人好みの飲み物であるためなのか、
文学者くずれのような男や危険思想を持っていそうな軍人など、やってくる連中はどいつもこいつも、どこか胡散臭い。

店を繁盛させるためには、しょこらあとだけではなく、食べ物も出したほうが割がいいのだが

ああ、確かに

だが、いかんせん、
しょこらあとというものは
どんな食べ物にも合わないのだ

マリルーは金色の髪をぐっとかきあげた。
真剣に考えごとをしているときの、彼女のかわいい癖だ。

そうなんですか?

そうなのだよ

マリルーは眉間のシワさえもかわいかった。

試しに、と、ある日菊次郎は海苔巻き(かっぱ)を持ってきた。

はなはだ……合いませんねぇ……

お米に申し訳ないな……

ある日には、評判の卵丼を買ってみた。

ハイカラな食べ物なら合うかと思ったんですが……

うう、くど……

満を持して、カリーライスを持ってきてみた。

今までで一番悪くないが、でもお互いがケンカしてますね

一口ごとにそれぞれの味を忘れるな……

でも、これではっきりしました

え?

しょこらあとは、食事には合わない

諦めろというのか

そうじゃない。しょこらあとに合うのは……

この時ほど、菊次郎は運命を感じたことは無い。

チョコレートの女神がマリルーであるならば、
自分は女神と出会うべくして出会った男なのだと確信したのである。

お菓子です。

しょこらあとに合うのは、お菓子ですよ、マリルー!

何故なら、自分はこれから、日本のお菓子の祖になろうというこころざしを持った男なのだから。

これ、試作で作ってみたびすこってぃです

今日はかすてぃらを焼いてきましたよ

マリルー、ついに完成しました!あいすくりんですよ!

毎日のように菊次郎は洋菓子を作り、
マリルーはその菓子とチョコレートとの相性を確かめた。

ビスコッティとの相性は絶妙だ。箸休めにもなるし、少し染み込ませてほろりとほどけるのも旨い

かすてぃらは意外にオトナの味だな。少し甘さを控えたほうが、お互いを引き立てあって面白い

あいすくりんだと! ちょっと待て、菊次郎、実は以前から試したかったことがあるんだ!!

マリルーは急いでしょこらあとを沸かすと、神聖なものを捧げ持つかのように、しずしずと菊次郎の前にやってきた。

あいすくりんとしょこらあとの相性を確信していた菊次郎は、
マリルーから差し出された深いどんぶりの中に、バニラミルク味のアイスクリンを入れた。

これをどうするんです?

これを……

マリルーはどんぶりの中に、すこしづつしょこらあとを注ぎ入れた。

ああああ!!
何してるんですマリルー!!
あいすくりんが溶けてる!!

溶けてる、溶けてるが!
ちょっとこの溶けかけをだな!
ほら!!

マリルーに銀のスプーンを渡された菊次郎は、慌てで溶けかけのアイスクリンを掬い上げた。

濃いしょこらあとの香りをまといながら、あいすくりんは喉の奥へ、雪のように溶けていく。

!!

!!

気づけば、二人の顔はどんぶりをはさんですぐ間近にあった。

こ・れ・は!!

いやちょっと待て!!
この溶けたのをいってみよう。
まじりあったのを、いってみよう!

二人して再びどんぶりに顔を突っ込み、
白と黒とが溶け合った液体を、
スープのようにすくいとって、一口。

!!!!!!

!!!!!!

声にならない叫びをあげ、同時に万歳をして、二人は抱きあった。

菊次郎、決まりだ!
これを、もっとわたしに作ってくれ!

ええ、ええ! でも

でも?

まだ私は、試作することはできても、毎日品物を提供できるすべを持っていない

マリルーの大きな緑の瞳が、不安そうに菊次郎をとらえた。

失望されてしまうのが怖くて、菊次郎は即座に取り繕った。

でも。でも、私が菓子屋を継げばすぐですから!

びすこってぃも、かすていらも、あいすくりんも、
みんなあなたにあげましょう!

ばかもの

えっ

わたしはもらったりなどしない

マリルーが弾けるように微笑み、菊次郎の両ほほをぺしと両手ではさんだ。

わたしたちは、パートナーとなるのだ、
菊次郎!

菊次郎は彼女に微笑み返しながら、この人を一生幸せにしようと決めた。

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