エルス国の城下町もこぢんまりとしていて、どこかおとぎの国の雰囲気だった。

 動物を引き連れやってきたリリアナの馬車は、町の人に歓迎されていたようだ。
 カティナが乗っているからかもしれない。
 どちらにしても概ね好意的に城下町を通り過ぎ、城へと馬車が入ったところで、動物たちもカティナも帰っていった。

 カティナ曰く、ヨシュアには会いたくないからとのことだった。

リリアナ

ヨシュア王子……どんな人なのかしら……

 一抹の不安を覚えながら、リリアナは城に通された――。

 お城も華美ではなく、かといって質素でもない。
 綺麗な模様の入った壁はひと目でリリアナのお気に入りになった。

 リリアナの部屋と言って通された部屋も大きすぎず小さすぎず。
 白い天蓋つきのベッドに白い化粧台、白い書物机と家具は白で統一されている。
 白いレースのカーテンの向こうにある大きな窓からは森が見えた。

リリアナ

ここは素敵なところですね

 リリアナを案内してくれたのは侍女と一人の男性。
 男性はかすかに笑うと深々と会釈した。

ギース

それはよかったです。挨拶が遅くなりました。私はヨシュア王子の側近を務めるギースと申します

リリアナ

ギース、よろしくお願いします

ギース

困ったことがあったら何なりとお申し付けください。魔女カティナほどではありませんが、私にも魔法の心得はありますので

リリアナ

えっ

 リリアナは目を見開いてギースを見た。
 会釈していたギースが驚いたリリアナに不思議そうな顔になる。
 それはどこか後ろ暗いところも見える表情だったが、リリアナにとってはそれどころではなかった。

リリアナ

ここではみんなが魔法を使えるの?

ギース

いえ、ごく一部の貴族層だけですが……

リリアナ

魔法は私でも使えるようになる?

ギース

こればかりは血筋の問題もありますから、リリアナ王女は難しいかと思われます

リリアナ

そうなの……

 リリアナはがっくりと肩を落とした。
 もし魔法が使えたら、動物たちと話したり遊んだりもできるのだろうかと思っていただけに少し残念な気分だ。
 とは言え、自分はそれが目的で来たわけではないとすぐに思い出す。
 この婚礼がうまく行かなければ、綺麗だった森も可愛かった動物たちも、みんな戦に巻き込まれてしまうのだ。

リリアナ

ありがとう、ギース。ヨシュア王子にはいつごろお目通りできるのかしら?

ギース

リリアナ王女のご準備が整い次第、すぐに。その前にご婚礼の日取りに関しまして、私からご説明申し上げます

 『婚礼』という言葉にリリアナは緊張する。
 政略結婚とはわかっていても、やはり花嫁姿というのは憧れのもの。
 できるならよい思い出として心にしまっておければと思うのは我儘ではないだろう。
 
 ギースはリリアナの緊張には気づかないように、言葉を続けた。

ギース

ご婚礼はリリアナ王女が落ち着かれた頃――だいたい一ヶ月ほどを目安に行う予定です。その件に関してはリリアナ王女のお父様、リルザ国王陛下にもお許しを得ています

リリアナ

……ずいぶんとのんびりなのね

 リリアナは思うも、ヨシュアがどういう人かわからないうちに結婚するのもためらいがあったので、安堵もする。
 どちらにしろリリアナの父が許可しているということは、それで間違いはないのだろう。
 一ヶ月は戦を起こすつもりはないということだ。
 
 その後、ギースは婚礼のドレスについてや食事について、列席者についてなどとうとうと流れるようにしゃべり続けたが、リリアナには難しいことばかりで頷くので精一杯だった。
 一ヶ月かけて理解すればいいや、とリリアナは楽天的に考える。

ギース

では、ヨシュア王子にリリアナ王女がいらっしゃることを伝えて参ります。今しばらくお待ちください

 どうやらようやくヨシュア王子に会えるようだ。
 リリアナは背筋を伸ばして頷いた。

 侍女に身なりを整えなおしてもらい、リリアナはリルザ王国で覚えた礼儀作法を思い出しながら、謁見の間まで進んだ。

 謁見の間にはたくさんの大臣と思われる男性たちが並んでいた。
 リリアナはその間を緊張しながら進む。
 一番端にギースが控えているのがわかった。
 他の大臣たち同様、一挙一動見守っているのがわかる。

 正面に少し高くなった場所があった。
 リリアナは転ばないように気をつけながらそこまで進む。

 少し高くなったところにある椅子に腰掛けていたのはリリアナより少し年上に見える青年だった。
 口元には笑みを浮かべているが、その笑みが何故か素直に信じられない。
 会ったばかりだから仕方がないのだろう、とリリアナは思い、青年の前で深々と頭を下げた。

リリアナ

ヨシュア王子におかれましては、ご機嫌麗しゅう。リルザ王国より参りましたリリアナと申します

ヨシュア

ああ、私の前では堅苦しい挨拶は不要だよ。リリアナ、と呼んでもいいかい?

リリアナ

はい、ヨシュア王子

ヨシュア

私のこともヨシュアと呼んでほしい。長旅で疲れただろう。しかも、途中で魔女カティナに会ったとか。災難だったね

リリアナ

災難? カティナが?

 リリアナは下げていた頭を思わず上げて、ヨシュア王子――ヨシュアのことをまじまじと眺めた。
 どこか神経質そうという印象は受けるが、嘘を言うような人には思えない。

リリアナ

あの……魔女カティナは……この国ではどのような存在なのですか?

ヨシュア

悪戯者だね。気分次第で何をしでかすかわからない。良いことをすることもあれば悪いことをすることもある。気まぐれでアテにならない。まるで天気のようだよ

 ヨシュアはそう言うと肩をすくめた。
 困ったような笑みを作り、椅子から立ち上がった。
 片手でギースに合図を送る。

ヨシュア

少し庭を歩きながら話をしようか。ここでは落ち着かないだろう

 確かに大臣たちに会話を聞かれているのも、礼儀作法を監視されているのもリリアナの心臓に悪い。
 リリアナがこくこくと頷くと、ヨシュアは微笑んでリリアナの横を通りすぎて行く。

リリアナ

……あれ?

 ヨシュアが通り過ぎた瞬間、ふわりと香った匂い。
 それは動物のもののようだった。
 けれどもそれは一瞬で、すぐに消えてしまう。

ギース

リリアナ姫、庭のほうへ

 ギースがリリアナのすぐ目の前まで来ていた。
 不思議そうな目でギースはリリアナを見下ろしている。

リリアナ

は、はい。すみません

 リリアナは慌ててヨシュアの後を追った。
 ヨシュアはリリアナが隣に来るまで待つように足を止めていてくれている。

リリアナ

……優しい人なのかも知れない

 そう思うと心が軽くなるのがわかった。
 仲良くなれるかもしれない。
 リリアナは小走りになりたい気持ちをぐっと堪えて、王女らしくゆったりとヨシュアの横まで歩み寄った。

 城にある庭は『庭園』ではなく『庭』だった。
 あまり手をかけずに自然のあるがままに任せているような、そんな森に近い緑が広がっていた。
 変に気取っていた母国の庭園よりもリリアナには好ましく思えた。

ヨシュア

リルザ王国の庭園には比べ物にならない小さな庭だが、もしよければ好きなように歩いていいから

 だからヨシュアがそう言ってくれたとき、リリアナはヨシュアの顔を見上げて満面の笑みを浮かべてしまった。

リリアナ

はい!

ヨシュア

おや、こんな庭を気に入ってくれたのかな。お世辞が上手だね、リリアナは

 にこやかに言うヨシュア。
 けれども、どこか言葉に棘があるようにも思える。
 リリアナが少し首を傾げると、ヨシュアは歩きながら遠くを見た。

ヨシュア

私は一度、リルザ王国に行ったことがあるけれども、素晴らしい国だったね。人の手が入っている庭園は美しくて、特にお気に入りだったよ

リリアナ

私はここのお庭のほうが好きです! 森みたいで、とっても王国らしいわ。自然がありのままでいる美しさ、みたいなものがあると思うんです!

ヨシュア

おや

 目をキラキラとさせて主張するリリアナを見下ろして、ヨシュアは冷たい笑みを浮かべた。

ヨシュア

キミとは趣味が合わないのかな

 そこでリリアナははっとする。
 ヨシュアはこの庭が嫌いなのだ。

リリアナ

こんなに素敵なのに……ううん、それより問題は趣味が合わないかもしれないということだわ

 もしヨシュアに嫌われてこの結婚が破断になってしまったら困る。
 きっと父である国王は怒って戦をしかけてくるだろう。
 リリアナは唇を噛んだ。言葉には重々気をつけなければならない。

ヨシュア

リリアナは森が好きだと言うことは、動物も好きかい?

 ヨシュアは試すように質問を投げかけてくる。
 リリアナはヨシュアの顔色を伺った。
 笑顔の下で何を考えているのだろう。
 考え考え、リリアナは言葉を選んだ。

リリアナ

ヨシュアは、動物は好きですか?

ヨシュア

私は嫌いだよ

 ヨシュアは苦虫を噛み潰したような表情になった。
 森も動物も嫌いだとすれば、この国はヨシュアにとって苦痛なのではないだろうか。
 リリアナはなんだか心配になって、早口で答えた。

リリアナ

そ、そうですよね! 動物って臭いとかマナーとか……こう……アレですもんね!

 懸命に言うリリアナをじっとヨシュアは見て、それからぷっと吹き出した。
 口元を押さえて顔を真っ赤にしている。

リリアナ

な、何かおかしなことを言ったかしら?

 リリアナが怯えるようにしてヨシュアの様子を伺っていると、ヨシュアは口元を押さえたまま、もごもごと口にした。

ヨシュア

キミが優しいのはよくわかったよ。そうだね、じゃあもうひとつだけ私の嫌いなものを教えてあげよう

 ヨシュアはリリアナから目をそらし、かすかに目を伏せた。
 まるで、何かを思い悩むかのように。

ヨシュア

私はね、魔法も嫌いなんだよ

 この縁談を破断にしないためには相当な努力が必要だとリリアナは感じた。

1章:王女、王子に会う

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