ひとしきり語り終わってばあさんは一言

死ぬ前にあの一杯にどれだけ近づけるもんかね

と呟き、

目じりをこすって小暮に微笑みかけた。


小暮も呼応するようにばあさんの首筋を押圧しながら

小暮忍

こんなんでよけりゃいつでも整えるから言ってくれよ

言ってくれるじゃないか。よろしく頼むよ。そういや小暮先生の手も粧子先生に近づいてきたよ

小暮忍

そいつはどうも

似た者同士の二人はお互いにフッと笑った。


そして各々の愛しき人の思い出が脳裏をふっと掠めていた。



ばあさんは施術も終わって、

気持ちよく寝息を立てていた。


小暮はもう一人寝息を立てている、

織原経華の涎でぬめる胸元から目を逸らしながら肩をゆすって起こした。

織原経華

およよ!お疲れ様です…もしかして私居眠りしてました!?

小暮忍

がっつりしてたよ。施術は終わってばあさんにはそのまま10分くらい横になっててもらう。適当に帰る準備しながら様子見ててもらえるかな。ちょっとタバコ吸ってくる

織原経華

イ、イエス!

ポケットティッシュを経華に差し出す小暮。

小暮忍

そこに涎はまずいよ。また変なヤツに襲われても何も言えないぞ?

経華、

恥ずかしくなって胸を隠しながら

織原経華

も、申し訳ありませんでした!

小暮忍

まあ、謝る事でもないけどさ。それじゃよろしく

タバコを咥えながら店先に出る小暮。


経華は汚れた自身の胸元のシャツをちょんちょんとティッシュで拭い始めた。

で、もうあっちは済ませたのかい?

経華がギョッと振り返るとスケベそうにばあさんが薄目を開けて笑っていた。

織原経華

あっちって…どっちですか?

…どっちってアンタ…まさか生娘かい?

織原経華

あの…それはつまり私に男性経験がない、という意味でしょうか?

忘れとくれ。下衆な老いぼれが悪かった。それにしてもアンタたちを見ていると昔の私とあの人を思い出すよ。あの人も私より10コも年上だったからねえ

織原経華

あの、失礼ですが小暮先生と私の関係をだいぶ誤解されているようですが

今の話をしているんじゃない。これからの話をしているのさ。いや、むしろ大昔の話をアタシが勝手に盛り上がっているだけか

ばあさんは遠い目をしてニヤニヤ笑いだした。

つられて経華も笑みが零れた。

織原経華

何かよくわかんないけどとりあえず笑っとけ!

結局、昔の恋を忘れるには新しい恋をしなければならない。でも老いたアタシにはもうそれがない。だから映画の中にあの人の面影を探す。小暮先生にはまだそんな風になってほしくないんだよ

ばあさんの細く枯れた指先が経華の滑々の肌を伝う。

耄碌した女の戯言と思って忘れてくれていい。彼を救ってやってくれ。私みたいな過去を愛するような生き方はしてほしくないんだよ

ばあさんは眼差しは真っ直ぐに、

それでいてフッと自嘲気味に笑った。


経華は眉をしかめ、

うーんと唸りながら徐に口を開いた。

織原経華

的外れな事を言ってるかもしれませんが、私ってお恥ずかしながら恋愛の気持ちが良く分からないんです。少女漫画みたいに憧れの先輩がカッコいいとか、ドキドキした事一度もありません!ただ私は小暮先生は見た目と違って優しくて信用できる人だと思います!

そうかいそうかい



続く

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