…一の妃さまのお話なのだけれど。

侍女と共に廊を歩いていると、どこからかひそひそとこちらをうかがう声が聞こえた。


見ると、それは庭園の方からのようだ。
そこには、数人の娘たちがいて、花でも愛でながらおしゃべりに興じているようだ。


新しい6人の花嫁が戴輝さまのもとに来て早10日が過ぎようとしていた。
新しい妃たちは、新しい人同士で親しくなったようだ。
あたしだけが、とり残されている。


本当は、戴輝さまも忙しくなり、あたしのもとにだけ通うというわけにもいかない中、ひとりではさみしい、新しいお友達ができたらいいと思っていた頃だった。


しかし、彼女たちにあたしと仲良くなる気はないらしい。
庭園で行われているおしゃべり会だが、今まで一度として誘われたことはなかった。

あぁ、人質の娘ね。


そう誰かが言って、別の誰かがそれを咎めた。
 

…人質の娘。
やはり自分は、そのように映るのだろうか。
 

一緒にいた侍女が、

侍女

なんて無礼な。

と言って彼女たちのもとへ向かおうとするのを、あたしは片手で制した。

 
口ごたえなんて、してやるだけ無駄だ。
抗えば抗うほど彼女たちが喜ぶだけ。
嫌がらせはひどくなる。
こういったことは、知らないふりをする方が得策だ。


そうしていれば、彼女達もすぐに飽きるはず。
あたしはそのことをよく知っていた。

今に、殿下も目を覚まされるわ。

今はただ混血児の娘が物珍しいだけ。

そのうち、曄(はな)さまが事実上の一の妃になりますわ。

曄と呼ばれた娘がそう言われ笑った。


彼女の名は知っている。

戴輝さまのお母上――女院さまが、一番気に入っておられる、大貴族の娘だ。

そんなことを言っては可哀そうよ。
あ、ほら…泣いてしまったんじゃない?

そう言って、彼女はあたしの方を見た。
確実に目があった。


彼女たちは、あたしがここにいることを知って話している。
それを知って、あたしは、自分の足が震えるのを感じた。
 

別に、泣いてなんかない。

でも、彼女たちに一斉に見つめられて、自分がみじめに思えて、泣きたくなった。
 

あたしは、あわてて踵を返し、もと来た道を帰った。

そんなあたしを見て、彼女たちが笑う。
いくつもの女の声がこだまする。
 

あたしは、いつからこんなに弱くなったんだろう。
向こうにいた頃は、こんなこと慣れっこだったのに。



すべて、あの方のせい。
あの方があたしに、幸せなんか、教えてくれたから、だから。


 
手放すのが、この上なく惜しいのだ。
 

あの優しい方が、いつまであたしのことを見てくれるのかが分からなくて…
 


侍女に先に帰るよう伝えると、あたしは庭に降りた

 
一刻も早く、誰もいないこところにいきたかった。
そうでないと、涙が今にもこぼれてしまいそうで。

戴輝が新しい娘を妻に迎えて10日。


後宮は、昔のにぎやかさを取り戻したような気がする。
しかし、それはわたしが知っている後宮ではなかった。


わたし達が生まれた頃、もう後宮には母しか妃がおらず、その他の女性はすべて母の侍女だった。

あの頃の後宮は、わたし達親子が穏やかに暮らすための場所だった。

 
しかし、今の後宮は違う。
 
そこかしこに女達の笑い声が響く。
その笑い声は、しかしながらおもしろいと笑う声ではない。

誰かを陥れるための笑い声だ。

 
…居心地が悪い。
なんだ、ここは。

 
近くで、一層大きな女達の声が聞こえた。
見ると、何人かの女達が、庭園で菓子や茶を広げ、話をしているようだ。


きらびやかに着飾った女達。
その派手な色の着物達には、目が疲れる。

見た?さっきのあの顔!

今にも泣きそうな顔をして。

あれくらいされて当然よ。
人質風情が、調子に乗って殿下をひとりじめするから。

嫌でも耳に飛び込んだ女達の話声。


しかし、その人質という言葉だけで、誰の話をしているのかがわかった。

 
…蓮見優華(はすみゆか)。
戴輝の一の妃。

そういえば聞こえはいいが、所詮は蓮の棟梁から送られた人質、そして間諜かもしれない女だ。

 
わたしは彼女のことがあまり好きではなかった。
おとなしい彼女とは、あまり言葉を交わしたこともない。


そもそも、ああいう女は嫌いだ。
自分の考えもない、男に守ってもらって当然と思っているような、そんな女。

 

だが、こうして他の誰かが彼女の陰口を言っているのを聞くと、なんだか気分が悪くなった。

わたしは、わたしの存在にも気付かず話をつづける女たちを尻目に、先を急いだ。


戴輝を探して後宮まで来たわたしだが、戴輝を見つけることはかなわなかった。


あいつのことだ、疲れて癒しでも求めに優華のところへ行ったのだろうと思っていたのに、優華との部屋にはいない。


というより、いつもいて、わたしが部屋に入るなりお茶を差し出してくる優華の姿でさえない。


それを不審に思い、わたしが優華はどこへ行ったのかを尋ねると、侍女たちは言いにくそうに他の妃たちの話をした。

侍女

おそらく、優華さまはいまひとりで泣いていらっしゃるのですわ。

侍女

わたくしたちに涙を見せることがお嫌だったのだと思います。

優華は庭の方へ向かったのだと聞いた。


最初は、また戴輝を探すのに戻ろうと思っていたのだが、いざ廊下に出ると、わたしの足は違う方向へと向かっていた。

しばらく庭を歩くと、東屋に出た。

幼い頃両親、戴輝とともに花見などを楽しんだ懐かしい場所だ。


そこに、少女の小さな背中があった。
その背に流れる金色の髪を見て、一目で彼女であることがわかった。

春乃

おい、娘。

声をかけると、びくっとその背中が震えた。
しばらくして、少女がこちらを振り返る。

泣きはらした目に、なぜか心が痛んだ。
 

いったいここで、どれだけの間泣いたのだろう?

 
わたしの姿を見て、彼女は慌てたように下を向いて顔を隠した。

春乃

面を上げよ。


そう命じると、少女はためらいがちにわたしの方を見た。
 

わたしは懐から手巾を取り出すと、そっと彼女の頬にあてがった。


少女は慌てて身を引こうとした。
しかしその体を押さえると、とたんにおとなしくなった。


愛らしい少女だ。
戴輝がうつつを抜かすのもうなずける。

春乃

安心しろ。
相手にしなければ、あの者たちもすぐ飽きて、つまらぬ噂話などしなくなる。

優華

…わかってます、昔もそうでしたから…

ぽつりと少女がつぶやいた言葉。
その真意はわからないが、追及してはいけないことのように感じた。


蓮の家の複雑さは聞き及んでいる。
何人もの妻を入れ替えるように迎えてきた蓮の棟梁。
そして、繰り返される妻たちの不審死。

なにがあったかなど、容易に推測できるというものだ。

春乃

さぁ、戻れ。
お前の侍女たちも心配しているぞ。

優華

そうですね…

そう言って、少女は立ちあがった。
 
おぼつかない足取りで、東屋を後にする彼女。


その後ろ姿を見ていると、今までの自分の言動の浅はかさを感じた。


 
…なんだ。
わたしは、別にあの女が嫌いなわけじゃないのか。 

 

むしろ、彼女と言葉を交わして、彼女を守りたいと思うようになった。
 
ただ、今まであんなにいらいらしていたのは、そう。
 



戴輝を取られたように感じていたから――
 


少し歩いたところで立ち止まり、彼女はわたしに小さく頭を下げた。
 

彼女に後ろ暗いものは感じられない。
嘘をつけない、優しい、そして繊細な年相応の少女だ。


そんな正直で誠実な少女こそ、我が弟にふさわしい。
戴輝には癒してくれる相手が必要だ。



この先何年あるかもわからない、人生を穏やかに、幸せに生きるためにも。

戴輝…

あんなにいい娘をもらっておきながら。
 
あの娘を愛し、守れるのは、お前だけなんだ…
 
なぜか、胸がきゅうっと苦しくなった。

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