それと同じ時刻のこと。

戴輝

突然、どうされたのですか?

僕は、広い居間で、ひとり母と向かい合っていた。


先の戦で父帝は崩御した。
それまで当代の中宮として父帝を支え続けてきた母も、時代が変わると共に院の御所へと移った。


院の御所は、都の片隅にある、景観のいいところだ。
代々譲位した上皇が愛する女性と共に晩年を過ごした場所。

母も父と共にいつかそこで暮らすはずだった。
しかし、父は母を置いてひとりで逝ってしまった。
 

あれ以来、母は政治の表舞台から完全に姿を消した。
それとともに、僕と、姉上と会うこともなくなった。


だから、これは半年ぶりの親子の再会だ。

女院

あら、用がなくては子供の顔を見ることもできないの?

扇子で口元を隠しながら、母は笑うように言った。


御年39歳。
しかし、そうとは感じさせない美しさを保っている。

そして、その少女のような愛らしい微笑みも、ずっと昔から変わらない。
僕がまだ幼い少年だった頃のままだ。


その美しさから、17の歳に父に見初められ、父は生涯を通してただひとり、母だけを愛した。

戴輝

意地悪なことをおっしゃる。あれ以来、母上のお顔を見ることもありませんでした。
貴女は僕たちを捨てるようにしてここを去った。

そんな貴女がなんの前触れもなく僕のもとを訪れたとなれば、なにかあると思う方が当然なのでは?

僕は母の目を見据えながら言った。


母は美しい笑みを浮かべたまま。
しかし、その目は笑ってはいない。

冷たい目だ。
いつから、この人はこんな目をするようになったのだろう。


母は、昔は優しい目をして笑う人だった。
だが今は違う。
母はいつからか、冷たい目をするようになった。

まるで、なにかを割り切ったような目だ。
 

すると、突然母が笑いだした。
扇子で口元を隠してはいるものの、大きな声で。

女院

貴方は本当に聡い子。
ごまかしなんて効かないのね。
さすが、あの方の血を一番濃く引く子供ね。

あの方。――父のことだ。
 

やがて母はその美しい顔から笑みを消し去り、僕をまた冷たい目で見つめてきた。

女院

これは、女院(にょいん)としての命令です

女院、それは院と同じ待遇を受ける女性のことだ。


母は姉上が皇太皇女として立太子した年に宣賜を受けた。


娘が帝となり、その弟が代わりとして政に携わるようになってもなお――真の為政者は彼女だ。



彼女こそ、国を導く治天の君…

戴輝

なんなりと

そう僕が恭しく頭を垂れたのち、ふっと笑う声がした。
 
視線は上げず、ただ母の言葉を待つ。

女院

戴輝。貴方に、新しい縁談よ。

それは、予想だにしなかった言葉だった。

母の気持ちは分かる。


母は、父が生涯を通して母ひとりだけを愛したように、父だけを心の底から愛していた。


しかし、その中には、女が男を愛するというよりも、もっと複雑ななにかがあった。
 
母は、夢の民が父を帝として慕っていたように、帝としての父に心酔していた。
誰よりも父の為政者としての素質に惚れこんでいた。

 
そんな母にとって、子供をふたりしか授かることができなかったことは、人生最大の失敗だったらしい。

平安な世であれば、子供も少ない方がいいだろう。
その方が無駄な争いが起きる心配もない。


しかし、今は戦乱の世。
いつ、なにがあるかもわからない。

その中で、父の血をひく子はたったのふたりだけ。


その片方は、戦があればその先陣を切って指揮を執る身。
もう片方は、いつ死んでもわからないような、病弱な男。
 

そのもしもの時を案じて、母は僕に子を為すためだけの婚姻を命じたのだ。


それも、ひとりやふたりではない。
母は、僕に6人の娘を娶るよう言った。


母は、父の死後無くなった後宮を復活させようとしていた。



帝のためではなく、帝の弟である僕のために。

 
優華(ゆか)がいるだなどと、無粋なことは言わなかった。
母は、夢の血をひく子をご所望だ。


母は蓮の娘との間に子ができることを危惧して、彼女に薬を飲ませていた。


それに気がついた僕は、その薬について調べさせた。
女の子を為す機能を一時的に低下させる薬だとかで、母はそれを姉にも飲ませていたようだ。


もちろん、面と向かってではなく、侍女を通じて、こっそりと飲み物や食べ物に混ぜて、だ。


その薬は体に害はないのだと言うが、念のためにその侍女から薬を取り上げておいた。


おそらく母にもその話は伝わっているはずだ。
 

僕は、どうすべきなのか。


母は用意周到な人だ。
もう話は、断ることが不可能なくらいに進んでいることだろう。


そう、母の命令を僕が断ることはできない。
…でも、優華を悲しませることになってしまうかもしれない。


しかし、だからといって黙っていても、この縁談話がなくなるわけではない。


知るのが遅くなればなるほど、彼女を傷つけるだけだ。
 

そう僕が思い、優華に話を持ち出した時、彼女はいつもの笑顔で

優華

仕方のないことです。

と言った。


優華はものわかりのいい娘だ。
しかし、それが返って心配なのだ。

彼女の心が、誰も知らないうちに壊れてしまうのではないか――

 
とはいえ、話は進んでいく。

 
それから一月もたたないうちに、僕と6人の娘との婚姻は結ばれた。
 


夏も本格的になってきた、文月も中旬の頃のことだった。

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