それから1週間。

あたしと怜一郎さんは、いろんなことをした。


家でまったりする日もあったし、最初の日のようにデートもした。
ほとんどが買い物や、散歩だったけど、すごく楽しかった。
 

怜一郎さんと一緒に並んで街を歩いて、きれいなものを見て、おいしいものを食べて。
楽しかったし、幸せだった。

 
そんなある日のこと。

あん

はぁ?今日から出張!?

その日、怜一郎さんがいつもより早く起きた。

どうしたのか尋ねると、怜一郎さんは急に出張の話を切り出してきた。
 
次期会長となることが決定し、その一環で海外支社に出向かなければならないのだという。

そのため、10日ほど家を空ける、と言った。

あん

初耳なんだけど!

すると怜一郎さんは

怜一郎

言ってないから。

ともっともなことを言ってきた。


…なんて人。

あん

そういうのって、もっと早く言うべきじゃない?

あたしは一緒に起きだして怜一郎さんの隣に立った。
怜一郎さんはパジャマを脱いで、Yシャツを取った。

あん

準備だって…

怜一郎

ああ、大丈夫だ。
向こうでいろいろ買うから。

…でた、金持ち発言!
あたしは頬を膨らませた。

あん

そういう問題じゃないと思うんだけど。

これから、10日間もひとりで(いや、お手伝いさんはいるけど)家にいなきゃいけないのに、どうして先に教えてくれないのっ?

怜一郎

まぁ、ひとりでいい子にしてろよ?

そう言って怜一郎さんはあたしの頭を撫でる。

 
…絶対、子供扱いされてる。

 
あたしがますます頬を膨らませると、怜一郎さんはそんなあたしの唇にくちづけを落とした。

あん

なっ…

にっこり笑って、部屋を出ていく。

怜一郎

行ってきます

あたしは恥ずかしさを隠すように両手で頬を隠す。
 

…もう。
今のは反則だよ…!

そのあと、怜一郎さんは身支度を整えるとすぐに家を出て行ってしまった。

あたしがなんとも言えない気持ちを抱えながら、とりあえず身支度を整えていると。

 
TRRRR

 
電話の着信音が鳴り響く。
電話なんて珍しい。
 
慌ててとると、電話の向こうから明るい声が聞こえてきた。

結人

おっはー、あんちゃん!

その声は結人さんだった。
電話なんて初めてで、あたしはびっくりして次の言葉が見つけられない。

結人

もうすぐそっち着くからー

…えぇえ!?
しかも、なんだかすごくぶっとんだ内容だ。

あん

あの、それってどういう…

結人

あ、着いた―。じゃね!

そう言うと、電話はあっけなく切れた。

あん

今の電話はいったいなんだったんだろうと思っていると。
 

ぴんぽーん

 
呼び鈴の音がした。

 
ま、まさか…
そんなわけないと思いつつも、確かめるために階段を下りると、お手伝い頭の大橋さんが誰かと話している。


見ると、その人は。

あん

結人(ゆいと)さんっ?

今日も美しい着物を身にまとった結人さんがいた。
 
冗談じゃ、なかったんだ…
あたしは毎度ながら、お金持ちの行動力の素晴らしさに舌を巻いた。

結人

あんちゃん、おはよー

キャリーを抱えて、家に上がってくる結人さん。
 

さすがにあたしも一度経験すればわかる。
結人さんは今日からこの家に泊りこむ気だ!

あん

あの、怜一郎さんは出張でいないんですけど…

結人

知ってるよー

あたしは慌てて告げた。
さすがに怜一郎さんがいない時に、泊まることはないだろうと思ったのだ。


しかし、大橋さんにキャリーを預けながら、結人さんはそう言い放つ。

結人

怜一郎から聞いてるもん。

大橋さんがキャリーを持っていったのを確認すると、結人さんはあたしの方を向いた。

結人

俺はね、あんちゃんがひとりで寂しい思いをしてるんじゃないかって、心配になって来たんだ。

…え?
あたしは、驚いて結人さんを見つめる。

結人

俺の心配、あたっちゃったね。

結人さんは少し悲しそうに笑った。


なんで、結人さんがそんなこと言うの?
なんで、そんな顔するの?

結人

おぼえてる?俺が言ったこと。

結人さんが、あたしの方へ近づいてくる。


あたしは結人さんから目が離せないまま、じっと彼のことを見ていた。

結人

俺が、怜一郎のかわりになるよ。

そう言って、近づいてくる色素の薄い瞳。
あたしの頭の奥で、警鐘が鳴り響く。


…それなのに、あたしは動くことができない。


そして。
一瞬。一瞬だけど、唇がたしかに触れ合った。

あん

…っ

結人さんは笑っていた。


一度あたりを見まわして、内緒話でもするみたいに、楽しそうに言う。

結人

誰も見てなかったみたい。

あん

…!!

あたしは、あわててまわりを見た。


…大丈夫。誰もいない。

 
もう一度結人さんを見た。

相変わらずのアルカイックスマイル。
彼の顔を見ていても、なにも読み取れない。

結人

じゃ、あんちゃん。
これからよろしくね!

そう言い残すと、結人さんはあたしの前を通り抜けて、リビングの方へと消えていった。
 

あたしはなにがなんだかわからず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 

そんなたった一度。たった一度のキスが。
あたし達の関係をかき乱すことになるなんて…



 
その時のあたしは、知るよしもなかった。

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