妻が身籠った男の能力者は、
子が胎動を始めた頃、力を失う。
子を身籠った女の能力者は、
子を産み落とした瞬間、力を失う。
親から子へ。
こうして戸隠の力は脈々と受け継がれてきた。
しかし、今その血が絶えようとしている。
戸隠の者たちに対する迫害は
度を超えたものになりつつあった。
奴らは女、子供も容赦なく殺す。
いや、むしろそれが主たる殺しの対象だった。
力を持って生まれた子供。その子供を身籠った女。
力を失った老ぼれたちに用はなかった。
この事態を招いたのが戸隠の血ならば、
この血を絶やせば、解決するというのか。
いや違う。
どうにかして、
この血を未来永劫残さねばならない。
しかし、この世に安寧の地はない。
奴らは地の果てまで追いかけ、
我々を痛めつけるであろう。
では、どうすれば。
一つだけ方法があった。
子を身籠った女を扉の向こうに避難させる。
子が生まれるまでの十月十日を
扉の向こうで過ごさせるのだ。
扉の向こうは人知を超えた不可思議な場所である。
時間は速く流れる。
母親が扉の向こうで10ヶ月、耐え忍ぶ間、
こちらの世界では100年が矢のように過ぎ去る。
だが、胎児は着実に成長するのである。
母体に守られた、別の世界で、すくすくと。
100年の時は、
我々が求める理想郷が築かれるのに
十分な時間であろうか。
100年後の世界の人々が、
我々、能力者を迫害しないという確証はなかった。
しかし、他に手はないのだ。
こうして、戸隠の村に
身籠った10人の女たちが集められた。
なるべく長い間扉の向こうに居られるよう、
ごくごく妊娠初期の者たちが選ばれた。
まだ人とも言えないような
小さな命を持った母親たち。
10つの扉と10人の母親。
何も知らない扉はいつものように粛々と立つ。
戸隠の運命はこの10人に託された。
あなたは誰? 人間?
私の名前は佐依子。あなたは?
名前なんて必要かい? 人間はおかしなことにばかりこだわる
じゃあ、あなたのことをなんと呼べばいいの?
好きにすればいいさ
私が決めてあげる。
あなたはコロック
佐依子の身体の中には何かがいるみたいだ
わかるの?
わかる。
いらないなら食べていいかい?
だめ。これは赤ちゃん
赤ちゃん?
大切な、大切なもの
大切なもの…?
赤ちゃんは佐依子の身体の一部だし、
でもそうじゃない
そうね
へんな臓器だ
臓器なんかじゃないのよ。赤ちゃんは赤ちゃん
へえ
生まれるのよ。そのうち
生まれる?
1人の人間としてね
人間?食べていい?
だめ。だったらわたしを食べなさい
それはできないよ
どうして?
佐依子はなにかよくわからない力に守られてて食べられないんだ。
それに
それに?
佐依子は大切だから、僕は食べない
大切の意味わかるの?
わからない
お腹が大きくなってきたね
そうね。そろそろかしらね
そろそろ?
・・・
1回外を見てみましょうか
外?
私は扉を開いた。
向こう側は白く煙っていて何も見えない。
変だね。何も見えないね
…あ
やがて煙は晴れてきたが、
色は白から赤へ、
そして黒に変わっていった。
そこには、
禍々しく荒廃したこちら側の世界と
見分けがつかないほど、
恐ろしい光景が広がっていた。
黒く焦げた大地から火の柱が上がり、
重く立ち込めた雲から、
細かく強い、黒い雨が降ってきた。
遠くを亡者が歩いていく。
絶望しかなかった。
時は何も解決してくれなかった。
私は静かに扉を閉めた。
あっちに行け!
どうしたのコロック
他の奴らが佐依子を食おうと狙っている
そう…
…赤ちゃんのせいだ
え?
佐依子の中の赤ちゃんとかいうのが、佐依子の力を吸い取ってる。
このままじゃ、佐依子を守ってる力は消えて、君が奴らに食われちまう
そうね
僕は赤ちゃんが憎い
どうして?
赤ちゃんさえいなければ、大切な佐依子が…
コロックは私のことを大切に思ってくれてるの?
そうだよ。“大切”ってやつがなんなのか最初はよくわかんなかったけど…
うれしい
うれしい?
あのね、コロック。あなたが私を大切に思ってくれているように、私もあなたを大切に思ってる
…
そして、赤ちゃんのことも同じくらい大切に思ってるの
大切…
コロック、この子の名前つけてちょうだい。
私があなたに名前をつけたように
なんなんだ、これは…
あっちに行け!
おまえら!どけ!
佐依子!
生まれる…
え!そんな
赤ちゃんが生まれたら、私の力は無くなる。
そうなったら自分の身も赤ちゃんのことも守れない…
…
欲張りだけど、2つお願いしていい?
え
赤ちゃんが生まれたら、扉の向こうに送り届けて欲しいの
僕が?
そう。大切な赤ちゃんだから、よろしくね
…
もう1つは?
無事赤ちゃんを産み終えたら、私を食べてほしいの
佐依子…
他の奴らに食われるなんてまっぴらだわ
そんな!佐依子を食べるなんて僕は…
お願い。…大切な人からのお願いなんだから、いうこと聞いて
……。わかった
2度目に扉を開けた時、
そこは焼け野原などではなかった。
一見、平和で穏やかな雰囲気であった。
だが、このちっぽけな人間を守ってくれる、
優しい世界であるかわからない。
ならば、私が彼を見守る必要がある。
大切な人の、大切な子供だから。
泣くな。コウジ