奏多の予想通り、春乃はこの騒動を公にはしなかった。
 

蓮の間諜であると断定された侍女の死体は、その夜ひそかに埋葬された。

戴輝

優華…

意識の朦朧とする優華をなんとか寝室まで運んだ僕は、彼女をそっと布団に横たえながらその滑らかな頬に流れる涙をぬぐった。

彼女は、血の気のない真っ白な顔のまま静かに涙を流していた。

戴輝

大丈夫…?

そんな姿が痛々しくて、僕はそう問いかけた。
 

彼女にとって、今回の騒動はどれだけのものだったのだろう。

僕にはわからない。


はじめ自分が疑われ、そして、その疑いは侍女の死によって晴れた。

さきという侍女のことは知っていた。
いつも優華のそばに控えていた静かな女性だ。

他の侍女よりも、優華は彼女のことを信頼し、彼女も優華のことを大事に思っているように感じた。


そんな侍女が、自分のために死んだら、どんな気持ちになるのだろう?
 


僕は、彼女が僕のことを裏切っているのを知っていた。

時折不審な行動は見受けられた。
その行動の意味が知りたくて、僕は昔から僕に仕える者に、彼女の行動を探らせていた。


彼女の裏切りを聞き知ってもなお、僕には彼女を疑うことができなかった。


彼女のいつもの真摯な態度からは、そのような裏切りの気配は感じられなかった。

彼女は熱心に僕の看病をしてくれることもあったし、僕には、それが演技には思えなかったのだ。
 

だから、今回のは賭けだった。
さきという侍女を捕らえるよう命じたのは僕だ。
 
優華が侍女になにかを渡しているのを僕は見てしまった。

彼女がもし僕を裏切っていたのならば、侍女が動くのはもうすぐ。
 

その予想が当たり、報告を受けた時、僕の頭は真っ白になった。
 

優華に裏切られていた。
そればかりが僕の頭をぐるぐると廻った。


でも、今の彼女の姿は、絶対に嘘じゃない。
 

痛々しい彼女の姿に、自分がどれだけひどいことをしたのかを思い知らされた。
 

そっと、彼女の髪を優しく梳く。

戴輝

…ごめんね…

 
僕はその言葉が彼女の耳に届いていないことを知っていながら、それでも謝らずにはいられなかった。

俺はその次の日、昼過ぎに異母妹のもとを訪れた。


昨日のことがあってか、泣きつかれ、つい先ほどまで眠っていたのだという。

まだ寝室にいるらしく、俺はそれはどうかと思いひるんだのだが、優華が気にしないでくれというので素直にその言葉に従った。

 
気だるそうに起き上がった優華は、いつもの彼女とは違い、どこか翳りを帯びていた。

奏多

優華

名前を呼ぶと、彼女は静かな瞳を俺に向けた。


俺は、彼女のその瞳を見たことがあった。
それは、もう10年以上前の話。

優華の母である真理亜さまが亡くなられてすぐに、俺は優華を知った。


あの頃の彼女は、ちょうど今と同じ瞳をしていた。
 
俺は、母親を失ったことでますます他の兄姉妹弟からひどい扱いを受けるようになった彼女を守ろうとした。

彼女に昔の俺を重ねたのだ。


優華は、昔の俺だった。
優華と俺は、よく似ていた。
 

父は、俺の祖父、白石辰信(しらいしたつのぶ)の力を欲していた。
白石家は、武家の名門で、長い間夢梨家に仕えていた。

白石家の力は絶大なもので、父は夢梨家をつぶすためにもその力を欲しがったのだ。

しかし、その話を持ちかけられた祖父は協力を拒否。
自分の秘密を知った祖父が邪魔になった父は、祖父を殺した。


…いや、殺したと俺は思っている。
祖父は、父との話のあと、家で食事中に急に苦しみだし死んだ。

母も、間もなく急死。
祖父と同じような死に方だったのだという。


急に当主を失った白石家はみるみるうちに没落し、俺は頼るものもないままあの屋敷にひとり残された。

俺はその時まだたったの4歳だった。
母は、ひとりめの正室だ。
 


そして、3人めの正室が優華の母だ。
優華の母は、外の国の王族の娘だった。

外の国と夢梨家の許可も取らず貿易を続けていた父は、その娘を手に入れることに成功した。


しかし、数年後外の国の情勢が変化。
真理亜さまのお家は、すぐに滅びた。

父が外の国の力を欲していたように、真理亜さまのお家も、自らの家の存続のために父の力を必要としていただけだったのだ。


またしても狙いの外れた父は落胆した。
それからしばらくして、真理亜さまは亡くなられた。
もともと持っていた過敏症の発作が原因だとされた。
 

おそらく、殺したのは父だ。
 
あの人は、自らの目的のためならどんなことだってするだろう。
 

もし今回のことで優華が捕らえられ、殺されるようなことになっても、あの人は優華のしくじりに苛立ちこそすれ、その死に胸を痛めることなどなかったことだろう。


――俺は、父が嫌いだ。

奏多

優華、本当の裏切り者は君だね?

俺は、できるだけ優しい声でそう問いかけた。
 
優華の肩が震える。
顔を上げた彼女は、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。


ばれていないとでも思っていたのだろうか?

今、彼女はどんなことを考えているだろう。
青ざめる顔には、恐怖がありありと浮かんでいる。

 
彼女はきっと、この生活を失うのが恐ろしいのだ。

彼女はそれほどまでに、夫のことを愛しているように見えた。

 
俺は、大丈夫だよという意味も込めて、優華の頭をそっと撫でた。

奏多

君のことを告げ口する気はない。
俺には、目的があるから。

そもそも、そんなことは無意味だ。

彼女と同じく蓮見側の俺が急にそんなことを言っても、混乱を招くだけだし、そもそもそのような行為に意味など見出せない。


そして、この今の生活を手放すには惜しいものと感じているのは俺も同じだった。
 
俺は、哀れな妹を見つめながら、静かに告げた。

奏多

――俺は、蓮見家をつぶそうと思う。

ちょうどその時、灰色の空から雨の飛礫が落とされ、乾いた地面を濡らした。




俺はただ復讐のために自分の家を潰すことを決めた。


ここにあの男に仇をなすものが4人揃った。
4人ともあの男に親を殺され、人生を狂わされた。



あの男への憎しみの前に、それに勝る感情などあろうはずがなかった。


 
俺たちの運命は、まさにこの瞬間、決まっていたのだと思う。



 
すべてはただ、自分の運命を取り戻すために…

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