その日の夜は天気にも恵まれ、あたしたちは天体観測を楽しんだ。

雅也くんと最後まで打ち解けられなかったのは残念だったが、それはまた次の機会までの課題にしておこう。
 
一通り楽しんだあたし達は、それぞれ別々の部屋に戻っていった。

それからすぐお風呂に入り、寝る準備をして布団に入ったのだが――
 
…怜一郎さん、今頃なにしてるかな?
 
気がつくと、また怜一郎さんのことを考えている。

ちゃんとご飯取ってるかな、ちゃんと寝てるかなって――だめだ。このままではいけないと思いながらも、また、おんなじことの繰り返し。

あん

…あぁ、もうっ

あたしは布団をがばっとはぐと起き上がった。
スマホを手に、外に出る。

外は、春とはいえやはり少し肌寒くて、なにか羽織ってこればよかったと後悔したものの、部屋には戻らずそのまま電話をかけてみた。

…怜一郎さんにではない。
お手伝いの優子さんである。

小岡優子

…あん様?いかがなさいました?

しばらくして、少し慌てた様子の声が聞こえた。

めったに電話をすることもないので、心配をかけてしまったらしい。

あん

なんでもないのっ。…優子さん、今うちにいます?

小岡優子

…あ、はい。今日は泊まり込みなので…

突然のあたしの電話の意味をはかりかねた優子さんの、戸惑いがちな声がする。

…あの、怜一郎さん帰ってますか?

…あぁ、それが、まだ帰ってないんです。怜一郎様、今日は帰らないとおっしゃってました

…そんなの初めてだ。
あたしは不思議に思いながら頭を巡らせた。
 
よく聞く、このシチュエーション。
妻の外出中に、夫が家に帰らないなんて…

あん

もしかして浮気っ!?

思わず出た言葉に、ぷっと吹き出す音。

小岡優子

怜一郎様に限ってそんなことはないと思いますよ?

あん

ですよね…

我ながら恥ずかしい。
…浮気だなんてそんな。考えが安易だ。

昼ドラじゃあるまいし、そもそもあたし達の秘密を守るためにも、そんなかるがると浮気されるのは困る。

小岡優子

…そんなに気になさるのでしたら、怜一郎様に直接お電話なさればよろしいのに。

そういう優子さんの指摘はもっともだ。

だがそうはいうものの…

あん

だって。…怜一郎さん、忙しいかもしれないし…

小岡優子

あん様

たしなめるような声。
優子さんには、すべてお見通しのようだ。

あたしは観念して溜息をつく。

あん

…なんか、不安なの。

小岡優子

…不安、ですか?

あたしは、ここ2週間近くの間抱え込んでいた悩みを打ち明けた。

あん

怜一郎さん、最近、忙しいでしょう?
…あたし、すごくさみしくて。

あたしはそっと、こぼれそうになる涙をこらえるように空を見た。

きれいに晴れ渡る空では、幾億もの星々がきらめいている。

こんなに静かに星を見るのはいったいいつぶりなのだろう?

…こんなにきれいだと思っても、いちばん見せたい相手は今ここにいない。

その人に伝えることさえ、臆病なあたしにはできない。

あん

こんなこと今までなかったから。
いつも、怜一郎さんの方からあたしのところに来てくれてたの。

会ったばかりのあの頃も。
こうしてふたりの秘密をつくった後も。

あん

…だからあたし、怜一郎さんにかまってもらえないことがこんなにさみしいなんて思ってもなかった。

優子さんは静かに聞いてくれる。
ただ、小さくうなずく声だけが聞こえた。

あん

…怜一郎さん、あたしに、あきちゃったのかな?

小岡優子

…そんなこと、ないと思いますよ。

それまで黙って聞いてくれていた優子さんが、急に口を開いた。

小岡優子

怜一郎様は、本当にあん様のことを大切にしておられます。
それは、私共の目から見ても確かです。
…あん様だって、わかっておられるのでしょう?

…そう。わかってる。

今、怜一郎さんは忙しいだけなんだって。
忙しくて、あたしにかまう暇がないだけ…

あん

うん。…でも、わかってるのに、我慢できないの。
…さみしすぎて。

すると、おかしそうに優子さんは笑った。

小岡優子

…我慢、なさらなくてもよろしいのでは?

あん

…え?

あたしは、優子さんの言っていることの意味が分からず、目をぱちぱちさせた。

その拍子に、こらえていた涙がこぼれおちる。

小岡優子

明日、お帰りになられてから、怜一郎様に思っていることを話せばよろしいのですよ。

でも…と続けようとした時、電話の向こうで優子さんの名前を呼ぶ声がした。

お手伝い頭の大橋(おおはし)さんのようだ。

小岡優子

やばっ…。
そういえば私、まだお仕事の途中でした。
あん様、また明日。

あん

え、ちょっ…

あたしの引きとめる間もなく、電話は切れてしまう。
あたしは戸惑いながら、ディスプレイを眺めていた。

…その時。

新多

あんさん?

後ろの方で声がして、振り向くとジャージ姿の新多くんがいた。

不思議そうな顔で、あたしのことを見ている。

新多

どうしたの?

あん

…あぁ、なんか寝付けなくて。

新多

俺も。…今日は楽しかったからねー

そう言いながらあたしの近くまで歩いてきた新多くんは、あたしの顔を見て止まった。

新多

あんさん?…泣いてたの?

あん

えっ…、あ、これっ?
やだなぁ、ゴミでも入ったのかなぁ?

すぐさま目元をぬぐい、笑って見せた。

そんなあたしを見て、新多くんは少し悲しそうな顔をする。

新多

怜兄さんと、なんかあった?

あん

だめだ。ごまかし方間違えたみたい。

あたしは腹をくくり、本当のことを話すことにした。

あん

別に、なにもないのよ?…あたしが、勝手にさみしがってるだけだから…

それからあたしはここ2週間の悩みを話した。

新多くんも、優子さんと同じようなことを言った。

忙しいのだから仕方ない。
怜一郎さんは、ちゃんとあたしのことを大切にしてくれている、と。

そのあと。

新多

それに、あんさんがそんなだと、ありすセンパイが…

あん

え?…ありすちゃん?

どうしてそこでありすちゃんの名前が出てくるのだろう?
 
そう思い聞き返すと、新多くんは一瞬しまった、という顔をしたあと、実は…とこう言った。

新多

今日の観測会、ありすセンパイがあんさんのために開いたんだ。

その話は初耳だ。

あん

これって、長期休暇恒例なんじゃ…

新多

そんなことないよ。…あの人の気が向いた時だけ。

内緒話でもするみたいに、顔を近づけ言う。

新多

ありすセンパイ、あんさんが悩んでいたこと、気づいてたみたいで…。
それなのに、あんさんが話してくれないのがさみしいって…。

その言葉にどきっとする。
 
あたしも、誰かをさみしくさせていたなんて…

新多

俺、それ聞いて、じゃあなんか気晴らしになることしたらって言って…。
それからすぐ、この観測会の話来たんで、たぶん…

あん

そっか…

それを聞いて、あたしはなんだか笑えてきた。

あん

なんだ…

ちゃんと、あたしのこと見て、支えてくれる人、こんなにいっぱいいるじゃない。

あん

ねぇ新多くん

あたしは新多くんの方を見て、今度こそ心からの笑顔を浮かべた。

あん

あたし、ちゃんとあした怜一郎さんに言うね。

すると、つられたように新多くんも笑う。
 
それからしばらくの間、ふたりでいろんなことを話しながら星を眺めていた。

pagetop