あん

おはよー、怜一郎さん

昨日、夜遅く帰ってきた怜一郎さんは明け方近くまでパソコンと向かい合い、途中から眠り続け、出勤時間ぎりぎりになって起きてきた。

といっても、3時間くらいしか寝てないはずだ。
昨夜はあまり深く眠れなくて、ちょこちょこ起きていたからわかる。

怜一郎さんの顔には疲労がありありと浮かんでいた。
髪もぼさぼさに乱れていて、あたしは心配になった。

あん

大丈夫?

そう訊きながらコーヒーを渡す。

ホットの、ミルクなし、砂糖2個。
それがいつも怜一郎さんが飲んでいるやつだ。

怜一郎さんはけだるそうにそれを受取って、一気に飲んだ。

怜一郎

…今日から、もっと遅くなる。

小さな声でぽつりと呟いて、怜一郎さんは部屋に戻る。

部屋から再び出てきたとき、びしっといつもどおりスーツで決めていたけど、なんだかいつもと違うような感じがした。

あたしはその背中になにか声を掛けてあげたかったけれど、いい言葉が見つかる前に怜一郎さんは家を出てしまっていた。

あっという間に3学期は終わった。
終業式も終わり、あたし達の春休みが始まった。

現地集合ということで、あたしは運転手の池(いけ)さんに**にある別荘まで連れてきてもらっていた。

荷物は、ピンクのキャリー1個。
一泊だけだし、たぶん大丈夫だと思う。
忘れものもない。

あん

…はぁ

あんなに、楽しみだったのに。
今は全然、楽しくない。

さっきからため息ばかり出ている。
 
…それもこれも、ぜんぶ怜一郎さんのせい。

あの日から、怜一郎さんは忙しく、そしてあたしに対して冷たい。

必要以上のことは話さないし、触れてこようともしない。全然笑ってくれないし、家でも仕事ばっかだ。
 
…もしかして、あたしに飽きちゃったのかな?
 
怜一郎さんは、あたしに弱みがあって、あたしが人より勉強できて、からかいがいがあるから契約を持ちかけたんだと言っていた。
 
最初の頃のあたしは、怜一郎さんに触れられるだけで恥ずかしくてすごく反応してた。

でも今は、もっと…って、思ってしまう自分がいる。
 
だから、飽きちゃったのかな…?
 
もう、あれから1週間たつ。
お祖父さまの前で、泣いてしまったことだってある。

…みんな、大丈夫だよって言ってくれるけど、本当に大丈夫なのだろうか?
 
だってそもそもあたしたちは―-

あん様。着きましたよ

池さんにそう言われ、あたしははたと我に返る。
それから、ぱんっと自分の両頬を叩いた。

…こんな顔、みんなには見せられない。
 
きっと考えすぎだ。
怜一郎さんも、忙しいだけ。

あん

いってきます。

そう言って、あたしは車から降りた。

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