Eternal Bloomは、今年バンド結成11周年のかなり長くやってるバンドだ。

俺は今年17歳だから、バンドができた時俺は小1だった。

Eternal Bloomの初代ドラム園山健(そのやまけん)は、響一さんと一緒にバンドを始めたオリジナルメンバーだった。

園山健は、俺の兄だ。
母親が違う、俺の兄さん。

俺の母さんと父さんが結婚した時、父さんには既に前の奥さんとの間に兄さんがいた。

父さんは兄さんを連れて母さんと結婚した。
母さんは、兄さんのことを嫌っていた。

父さんのいないところで必要以上に叱ったり、暴力をふるったこともあった。

幼かった俺は、その状況をよく理解していなかったが、数年経った後に兄さんと母親が違うことを知った時、すべてを理解した。


虐待ともいえるそれらの行為は、母さんが事故死するまで6年間続いた。
 

それにもかかわらず、兄さんは俺に優しくしてくれた。

母さんが死んだ後、10歳も年の離れた弟の面倒を見続けたのは、兄さんだった。


兄さんは優しくて、真面目で成績優秀で、父さんの自慢だった。


そんな兄さんが突如高校を辞めると言った時のことは、今でもよく覚えている。


俺が小2の時だった。
あんなに優しい父さんが声を荒げるのを見たのは、あの日がはじめてだった。

兄さんは高校を辞めて友達とバンドをしたいのだと言った。

父さんは頭を抱えて、何事かを怒鳴りつけた。
喧嘩の果てに、兄さんは家を飛び出していった。
 

兄さんは最期の日まで家に帰ってはこなかった。それでも、兄さんと俺は度々連絡を取っていた。

小学生ひとりじゃライブハウスになんて入れない。
だけど兄さんは、俺に練習風景を度々見せてくれた。


俺は兄さんをかっこいいと思った。
兄さんみたいなドラマーになりたいと思った。


兄さんと違って頭が悪く、ひとづきあいも苦手だった俺には、兄さんとドラムがすべてだった。

中学に入って、俺はバンドを組んだけど、メンバー全員興味本位のやつばかりで、誰一人として本気でバンドをしたいというやつはいなかった。

俺はそれにむかついたけど、一度としてそれを口にすることはなかった。

口にできなかった。
それで、今の毎日が変わるのが怖かったのだ。
俺は、それでもその居場所を壊したくなかった。

やがて俺は、週に1度会っていた兄さんにも、やつあたりするようになっていった。
 

それは、完全なやつあたりだった。
兄さんは悪くなかった。

それでも俺は、兄さん以外に、この気持ちを受け止めてくれる人を知らなかった。

兄さんは俺に言い返したり、ましてや手をあげたりなど一度としてしなかった。

俺はそれがかえってむかついて、兄さんに思ってもいないような言葉を吐いた。


兄さんは、少しだけ悲しそうな顔をしていた。


俺が疲れて、もう言う言葉も見つけられなくなると、兄さんはいつも温かいコーヒーを淹れてくれた。

園山健

廉もつらいんだね

そう、言って。



一度だけ、兄さんに顔を殴られたことがある。

園山廉

死にたい

疲れて俺は、冗談のようにそう言った。
普段なら、誰も気にも留めないような言葉だ。

でも、その日の兄さんは違った。

園山健

ふざけるなッ

そう怒鳴って、俺の左頬を殴った。

俺は驚いた。
兄さんがそんなに怒るのを、俺は初めて見たのだ。


父さんに夢を反対されたあの日。
父さんに怒鳴られ、殴られても、兄さんは決して父さんに殴り返そうとはしなかった。

50近い父さんに、兄さんが負けるはずなど無いのに。

兄さんはそんな、穏やかな人だった。

兄さんはしばらくしてから、はっとしたように俺のもとへ駆け寄り、

園山健

大丈夫か

と訊いた。

園山健

ごめんな

とも言った。


そして最後に、兄さんはまっすぐに俺の目を見てこう言った。

園山健

二度と死ぬなんて言うな。
命を粗末にしていいわけなんかあるか。

道徳の教科書にでも載っていそうな、安っぽい言葉。
兄さんが嫌うものの一つ。

俺だって嫌いだ。
きれいごとなんか、大っ嫌い。

だけど、なぜかそんな安っぽい言葉が、今もこの耳に染み付いて離れないんだ。

 

あの、今も忘れることのできない雨の日がやってきたのは、それから1ヶ月もたたないうちのことだった。


今でもあれは夢の中の出来事だったのではないかと思うことが時々ある。
 

俺はその知らせを聞いた時、冗談だと思った。


そんなことがあってたまるか。
 

そう、1ヶ月前、俺にあんなことを言った兄さんに限って。




――まさか、みずから命を絶つなんて。

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