アンコールも終え、俺が控室でメロンソーダを飲みながら休憩していると、うしろから肩をぽんっと叩く手があった。
振り向くと、そこには短髪が爽やかな青年がいる。
彼の名前は水野忠(みずのただし)。
Eternal Bloomのマネージャーである。
水野さんは今でこそ爽やかにスーツを着こなす会社員だが、去年の今頃は真っ赤な髪にピアスやリング、ネックレスやチェーンをつけまくったいかにもロッカーって感じの格好をしていた。
水野さんは、このEternal Bloomで、俺の前にドラムを担当していたのだ。
廉(れん)くん、おつかれー。ちょーよかったよ。
アンコールも終え、俺が控室でメロンソーダを飲みながら休憩していると、うしろから肩をぽんっと叩く手があった。
振り向くと、そこには短髪が爽やかな青年がいる。
彼の名前は水野忠(みずのただし)。
Eternal Bloomのマネージャーである。
水野さんは今でこそ爽やかにスーツを着こなす会社員だが、去年の今頃は真っ赤な髪にピアスやリング、ネックレスやチェーンをつけまくったいかにもロッカーって感じの格好をしていた。
水野さんは、このEternal Bloomで、俺の前にドラムを担当していたのだ。
本当ですか?ありがとうございます。
俺はそう言った。
水野さんが
やめる
と言った時のことを、俺は今でも鮮明に覚えている。
俺はずっとEternal Bloomに入りたかった。
しかしだからと言って、水野さんからそのポジションを奪うつもりはなかった。
兄さんの友達でもあった水野さんから、奪うつもりなんてなかったのだ。
それなのに水野さんは、去年の夏突然やめた。
俺には才能がなかった
そう言い残して。
それから1週間後、髪を真っ黒に染め直し、短く切って、マネージャーとして現れた。
あの日から、水野さんがドラムに触れる姿を俺は一度も見ていない。
まるで最初からマネージャーだったかのように、彼は決してあの日の真実を語ろうとはしなかった。
俺は今でも、水野さんと話すとき、気まずさを感じることがある。
そう特に、こんな時には。
おいおい廉、調子乗ってんじゃねぇぞ?
そんな時、うしろから頭をはたかれた。
長めの茶髪と、少したれた目に不精鬚。
長身でがっちりとした体つきにその顔だけでも怖いのに、Tシャツのすきまから見え隠れするごついタトゥがまた怖い。
それがギターの高木望(たかぎのぞむ)さん。
昔からこの人のことだけは苦手で、このバンドに入るまで言葉を交わしたことはなかった。
高木さんは俺の髪をわしゃわしゃしながら言う。
てめー、“Psycho Garden”の時リズム狂ったろ?
おじさんわかっちゃったよぉ?
高木さんは笑顔でそう言ったが、それこそ怖い。
俺はなんと返答すればいいのかまったくわからなかった。
するとこの部屋にいたもうひとりの人物が口を開く。
そーっスよねー。俺、園山(そのやま)とは やっていけませーん。
これは、同じくギターの橋本心平(はしもとしんぺい)さんの言葉だ。
心平さんは俺のことを嫌っていた。
心平さんはEternal Bloomに入った4年前から、巻き髪のウィッグとゴスロリワンピースで女装を続けている。
曰く、ただでさえ新米なんだから少しでも目立てるように、だそうだ。
もともと女装を提案したのは響一さんだったようで、すっぴんでも線の細いイケメンである心平さんには確かに女装が似合い女装を始めてから心平さんファンも増えたらしく、その逸話を聞いた時はやっぱり響一さんは見る目があるんだなぁと思った。
心平さんは、俺が入るまで最年少でかわいいポジションにずっといたから、自分より年少の俺がいるとやりづらいらしい。
ちょっと、なに喧嘩してるの
その時、河﨑将(かわさきしょう)さんが控室に入ってきた。
ポジションはベースで、俺達のリーダーである。
顔立ちがはっきりしているからこそ似合う銀髪を後ろで軽く結んでいる。
いかにもな黒縁眼鏡は、オシャレのためなどではなく、本当に目が悪いらしい。
いつもなら柔和な笑顔が浮かぶ端正な顔は、今は険しかった。
だって将さん、こいつがぁ
やめておきなさい、心平
心平さんが、一瞬固まったのがわかった。
黒のブーツ、紫のチェックが入ったシャーリングパンツ。暗めのピンクのTシャツに、黒のロングカーデ。
長めの前髪の下の目は、カラコンも入れてないのに色素が薄い。
そしてどこか、絶対的な権威がある。
将さんのあとから控室に入ってきたのは、響一さんだった。
…そんな、オレはただ…
俺の目にも心平さんがひどく慌てていることだけはわかった。
心平さんはEternal Bloomに入る前からずっと響一さんのファンだった。
それもあってか心平さんは未だに響一さんに憧れていて、どこか絶対視している風なところがあった。
嫉妬なんて醜いよ
響一さんは呆れたようにため息をついて、近くのソファに座った。
や、やだな。そんなんじゃないですよ、響一さ…
言い訳なんか聞きたくないって
響一さんは慌てる心平さんを尻目に、近くに置いてあったコーラにくちをつけた。
そのコーラは、いつものように水野さんがタイミングよく用意した、きんきんに冷えたコーラだ。
冷静な響一さんの態度に、心平さんは一層慌てた。
…ふざけんな…
心平さんはたじろいだように目を泳がせる。
そんな彼が慌てて放った言葉は、俺の心に深く突き刺さった。
オレは、園山のドラムなんか嫌いだ!
俺と心平さんの目が合う。
心平さんは、泣きそうな目をしていた。
オレは…健(けん)さんや忠さんの方が…前の方が良かった!
空気が、一瞬凍ったのがわかった。
響一さんも将さんも高木さんも水野さんも、なにも言わなかった。
心平さんが、はっとしたように俺の方を見て、自分の口を覆う。
心平さんもまた、動けないでいるようだ。
…はは…
気がつくと、俺の口からは乾いた笑いが漏れていた。
廉くん?ちょっと…、大丈夫?
俺に声をかけてくれたのは水野さんだった。
いつも落ち着いた水野さんが、困惑の表情を浮かべて俺を見ている。
これ以上心配をかけるわけにはいかない。
俺は再び笑った。
大丈夫です。
…あ、俺、ちょっと外出てきますね。
なんかあつくて。
俺はそう言って控室から出て行った。
大丈夫だっただろうか?
声は震えていなかっただろうか?
不安でたまらない。
俺はその時、もうすでに泣きそうだった。
でも、そんな姿を見られたくないという理性は、まだあった。
俺は控室から出たから知らなかったが、あのあと、響一さんは誰に言うでもなくこう呟いたらしい。
俺は、廉のドラム好きだよ
心平さんは、それ以上はなにも言わなかったようだ。