帰ってきたけど、日本の空気は重い、って言うか湿度が高いですわね

 空港のゲートを抜けて、少女はニヤリと笑った。

どうせ私がいなくてみなさま寂しがっていらっしゃるでしょうし、ちょっと顔出してさしあげようかしらね

 音を立ててカートを引きながら、少女は空港のタクシー乗り場に向かって悠然と歩き出した。

何よ、これ。お客さんが入ってるじゃない。もしかして店長業績不良でトバされたのかしら?

 コンビニの駐車場でタクシーから降ろしてもらい、少女はこっそりとコンビニの中を盗み見ていた。

ありがとうございます。またお越しください

 病欠から戻った要が愛想よく笑顔を振りまいている。

あら、可愛い。じゃなかったですわ。どうして普通そうな人間がバイトをしているのでしょう? 店長の姿もゆかりの姿も見えませんし

 こそこそと店内を覗いている姿をコンビニ客に見られながら少女はいてもたってもいられなくなって、店内に飛び込んだ。

あ、いらっしゃいませー

申し訳ありませんわ。店長さんはいらっしゃいます?

店長、ですか? いますけど、えっと、どうしたの?

いいですから早く呼んでくださいな

えっと、お譲ちゃん。店長っていう言葉の意味はわかってるのかな?

 要がレジから出て、少女と目線を合わせる。

 その態度に少女はきつく唇を噛み締めた。

子ども扱いするなー!

 しゃがみこんだ要のこめかみに少女の回し蹴りが突き刺さる。大きな音に休憩室から店長が飛び出した。

百手

何事だい?

私ですわ。ちょっと無礼な輩を成敗しておりましたの

百手

ジーナくん

ジー、ナ?

 くらくらする頭と歪む視界の中、要はぼんやりと呟いた。

秋乃

マスター大丈夫ですか!? 私がいながら申し訳ありません

大丈夫だよ。まだちょっとクラクラするけど

百手

困るよ、ジーナくん。今やうちの稼ぎ頭なんだから

そんなこと言われましても、私を子供扱いするのが悪いのですわ

 休憩室に寝かされた要は濡れタオルを頭に当てて起き上がる。ジーナと呼ばれた少女は元気そうに百手に文句をつけている。

店長、その女の子は?

女の子じゃない! 私は淑女なの!

秋乃

淑女? 淑女とは何でしょう?

大人の女、レディよ

秋乃

大人、レディ。私のデータにあるレディとあなたの身体的特徴、言動は一致しません

うるさいうるさい! バカにしないで!

 高い声で喚いている姿はどうみても子供なのだが、誰一人としてそれについては言葉を避けている。

あぁ、なるほど。そういう扱いしないといけないんだ

百手

えぇと。それじゃ改めて紹介しよう。ジーナくんだ。春の間にご実家の方に帰っていたんだけど、戻ってくる時は連絡くらいほしいものだよ

ジーナ

じゃあお店に電話くらい置いていただけます?

百手

私は手紙の方が好きでね

 百手は頭を掻く。

そう言えば俺も休みの連絡、秋乃さん経由で伝えてもらったんだもんな

ジーナ

ジーナ・エピメディウム・グランディフローラムと申します。庶民の方には覚えられないと思いますから、お気軽にジーナとお呼びください

ゆかり

本人も庶民だけどねー

ジーナ

うるさい、ゆかり!

 蹴り上げようとしたジーナの体をゆかりがちょいっと押すと、バランスを崩したジーナその場に転んでしまう。

ジーナ

何するんですの!

ゆかり

あははは

 じゃれ合う二人を横目に要は百手に耳打ちする。

あの、ジーナさんって前にもいたってことは

百手

うん。レジは打てない。そもそも身長が足りないし、台に立つの嫌がるし。お客さんは子供が遊んでるとしか思わないし

やっぱり戦力外ですか

どうしてこう、使えない人材ばかり連れてくるのかなぁ

 痛む頭を押さえながら、要はまた頭痛の種が増えたとジーナとゆかりを見ていた。

うるさいなぁ

 店頭に戻った要は秋乃と一緒にバイトに励んでいた。

秋乃

どうしました、マスター?

休憩室からの声がね

秋乃

確かに騒がしいですね

 就業時間中、一切休憩室から出ないゆかりだが、それでもいつもはマンガを読んだりテレビを見たりでそこまで邪魔になることはない。

 だが、今日はジーナという存在が増えていつもと様子が違う。

ゆかり

そうそう。それでねー

ジーナ

何ですの、それ? おかしいでしょ!

また話し方ブレてるし

 積もる話もあるのかはわからないが、白熱する会話は要の耳にまでしっかりと届いている。

普通のお店ならクレームものだよ

秋乃

このお店は例外なのですか?

この声が本物か幽霊のものか、お客さんにはわからないからね

秋乃

幽霊のものかもしれないのですか?

 要の話に近くを通った客が肩を弾ませる。

まったくありがたくないよ

秋乃

マスター、お客さんです

あ、いらっしゃいませー!

秋乃

この変わり身、条件反射プログラムが構築されているのでしょうか?

 秋乃の疑問に答えることなく、要はテキパキと客をさばいている。

 その後ろでもかしましい声は続いていた。

おつかれさまです

ゆかり

おつかれー!

ジーナ

おつかれさまですわ

百手

二人は話してただけだけどね

元々期待してなかったので、気にしてませんよ

百手

高橋くんも丈夫になったね

ゆかり

なにおう! あたしだってやろうと思えば

やらなくていいんでその口から漏れてる煙しまって

ゆかり

はーい。そんじゃ帰るね。裕一、カバン持ってきて

小木曽

はい、姫

 近くで小説を読んでいた小木曽が顔を上げる。

秋乃

あの、マスター?

いや、俺はそんな命令しないからそんな期待した目で見ないで

秋乃

私の思考をパターンから推察するとは。マスター、さすがです

はいはい

 ゆかりがロッカールームから出るのをしっかりと待って、要は着替えに向かう。

 ジーナの方を確認したが、今日はシフトに入っているわけではなく、店に来たときと同じ服であることも確認した。

また蹴られたら大変だもんね

 着替えを済ませて戻ってくると、休憩室にはさっきと変わらない状態のままでジーナが座っていた。

座敷童子みたいだ。見た目は童子って感じじゃないけど

ジーナ

あ、着替えが終わりましたのね

え、うん

ジーナ

それでは帰りましょうか?

俺と?

ジーナ

はい

なんでまた

ジーナ

もうすぐ日も暮れてしまいますのに、こんな可憐な乙女を一人で放つというのですか?

小さな女の子を一人で帰すわけにもいかないか

ジーナ

だから、子ども扱いするな! あと視線をわざわざ私に合わせるな!

可憐な乙女って自分で言っちゃうし

ジーナ

とにかく私を家まで送りなさい! これは限りなく義務に近い権利です

わかったよ、それじゃほら

ジーナ

何ですの、その手は?

途中ではぐれちゃうといけないから。手を繋いであげるよ

 要が差し出した手をジーナは思い切り払いのける。

痛っ!

ジーナ

後で目に物見せてやるわ

ふぅ。何か言った?

 要は先に歩き始めたジーナの小さな背中を追っていつもより狭い歩幅で歩き出した。

六話 処女(おとめ)の夜の淫夢(ゆめ)(前編)

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