戴輝

…夢、か

小さく呟いて、僕は起き上がった。

あたりを見ると、まだまだ暗い。
辺りは静かで、夜中であることが推測された。

 
…懐かしい夢を見た。
 

きっと、あんな話をしてしまったからだ。

僕は、隣で眠る少女の髪を撫でた。
さらさらと流れて、僕の手から逃れていく。

戴輝

縁談が持ち上がったのは、三月ほど前。
 
父が死に、戦えない僕の代わりに帝となり戦に赴いた姉が帰ってきたのは、寒い冬の日のことだった。

僕は姉のことを心配していた。
父を失ったことは、本当につらかった。
もう誰も失いたくなかった。

…できることなら、僕が姉の代わりに行きたかった。

どうせ、もう寿命は尽きているはず。
こんな僕でも、役に立てるのなら。
 

しかし、時期が悪かった。

役に立たない僕の体は、例年のように風邪をこじらせ、動くこともままならなかった。

僕は父の死んだことも知らずに、眠り続け――。

意識が戻り、体が動くようになった頃には、父の葬儀も終わり、姉は戦場に向かっていた。
 

そんな姉が戻ってきた。

無事だろうか。急いで駆け付けた僕に、姉は傷一つない顔で笑いかけた。


…重苦しい鎧を身にまとってもなお――、いや、身にまとっているからこそ美しく輝くその姿には、神々しささえ感じられ、僕は戦姫の異名の意味を知った。

春乃

大事ないか、戴輝

戴輝

…それは、こちらの台詞です

…確かに、と笑った姉には、いつもの猛々しさがなく、僕は不思議に思った。
 
なにかあったのかと訊く僕に、姉は一瞬だけ微笑んで――、ようやく、口を開いた。

春乃

縁談が決まった

聞くと、この戦をやめようとの提案が蓮側から出されたらしい。

それと共に、人質同然に子を差し出す、と。
明らかに怪しい。

そう言うと、姉はわかっていると言った。
おそらく自らの子を間諜にするつもりなのだ。
子ならば、どんな遣り手よりも信用できるに違いない。

そうして、夢を潰そうと…

春乃

あちらがそのつもりならば、こちらも利用するまで。…おもしろいではないか。

兜を脱いで、姉はふっと笑い言い放った。

その顔にいつもよりも翳りが見えて、僕は思わず尋ねていた。

戴輝

…姉上は、その男と結婚して――、それでいいのですか?

春乃

なにを言う、戴輝

侍女たちが近寄り、姉の鎧を脱がそうとするが、うまくいかない。

鎧など初めて見たのだろう。
勝手がわかっていないようだ。

僕は跪き、姉の鎧に手をかけた。
姉は、黙ってされるがままになっている。

姉は今度こそ朗らかに笑った。

春乃

この身は夢のもの。この国のためなら、わたしはなんだってする。

そっと胸に手をあて、言い放つその姿に、僕は感動さえ覚えた。

春乃

…それに、わたしには好いた男もおらぬ。…ちょうど良い。

鎧をすべて脱がすと、いつもの袴姿の姉が現れる。

戦帰りだからか、汗の匂いと、それからかすかに鉄の匂いがした。

いくら落そうとしても消えなかったのか。

戦帰りというにはきれいすぎる白の小袖と、なおも消えることのない匂いからそうわかった。


彼女には酷なことをさせた。
女の身でありながら、その身に多くの人間の血を浴びさせてしまった。

罪悪感に胸を痛めながら、鎧を床の上に置く。

立ち上がろうとした僕は、温かな感触を頭に感じた。
姉が、僕の髪を撫でていた。

春乃

わたしは、おまえを守るためだったらなんでもする。

それからだ。その縁談話というものが、僕にも上がっていることを知ったのは。
 

僕にはもともと、結婚する気なんてなかった。

僕はいずれ早いうちに死ぬ人間だ。
そんな僕に、誰かを縛り付ける資格があるとは思えない。

それに…いつか来る別れを、少しでも悲しいものにしないためにも、僕は誰かと深い関わりを持ちたがらなかった。

これ以上、不幸な人間を増やしてどうする。
 

だが、これは政治。
…こんな僕でも、この国の役に立つことができるというのならば。
 

そうして、僕はこの姫君との結婚を承諾したのだ。
 
僕は、嫌われようと思って自らの病のことを話した。
普通の姫君だったら、怖がって近づこうともしない。


今までだってそうだ。
臣下のひとりが、彼の娘との縁談を持ち出してきたことがあった。

僕は断りたかったのだが母がそれを許さず、一度会うだけでもと言われ、会うことになった。


しかしその日の前、娘は怖いと言って泣き出し――、縁談は破談になった。
 

それが普通の反応だろう。
原因不明の不治の病、一緒にいて移ることはないのだろうか?そう誰でも自分の身を案じて言う。当然のことだ。
 

しかし彼女は違った。
僕を怖がろうともせず、心配までしてきたのだ。

大丈夫なのかと聞いてきた彼女に、僕は思わず大丈夫だと嘘をついてしまった。


侍医から告げられた余命は使いきってしまったのだと、言うべきだったろうか?

…それでも僕には、彼女を悲しませることはとんでもない罪のように感じられたのだ。


なぜだ――…?

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