それでは、次の段落を読んでもらいましょうか

ろんぐたいむあごおのところから

よくこれで英語の先生になれたな、
という発音の先生に指名された女子生徒は、
静かに席を立った。

Long time ago,she lived in ……

流暢な発音の英語が教室に響く。

僕の斜め前の席の女子、沙鳥の声。

誰ともしゃべらない沙鳥が、
その口を開く数少ない瞬間が、
授業中、先生に当てられたときだ。

少し高めで濁りがなく、耳に心地よい声。
さらに、英語の発音がやたらいい。

物憂げな眼差しとあいまって、
沙鳥という人間の神秘性を押し上げている一因だ。

でも僕に言わせれば、
これは沙鳥の、一番沙鳥らしくないところだ。

Her works are very popular all over the world.

沙鳥は音読を終えた。

はい。えー、それじゃ次のねくすと。ふぉおえぐざんぷるのところを――

先生が次の生徒を当てて、
沙鳥は静かに席に座った。

芯条くん、芯条くん

僕の頭の中に、声が響いてくる。

さっき流暢に英語を読んでいた声だけど、
今度は僕にしか聞こえない。

芯条くん、お待たせです

待ってないけど

僕と沙鳥は、
頭の中だけで言葉のやり取りができる、
いわゆると「テレパス」と呼ばれる超能力者だ。
そして。

私、新しい昔話を考えてきました

沙鳥は授業中、
こっちの事情なんてちっともお構いなしに、
テレパシーで話しかけてくるのだ。

……新しい昔話?

なんか矛盾してないか?

さっそく聞きたいですか?

遠慮します

さされるかもしれないし

痴情のもつれですか?

何の話?

さされるかもしれないんでしょう?

刃物でひょっこりと

刃物ならグサリだろ

……先生に当てられるかもしれないだろ。音読とか設問とか

ああ。それなら大丈夫です

私はもう当てられたので、今日は回ってくることはないでしょう

いや僕の話なんだけど

あー、ですよね

です

しょうがないですね

では、芯条くんの安全が確保できるまで、新しい昔話はオアズケです

そんなに心待ちにしてないよ

沙鳥はとりあえず黙ってくれた。

よし。
これで授業に集中できる。

むかーし、むかし……

やっぱりできなさそうだ。

いや、反応したら負けだ。
ここはスルーを決め込もう。

あんまり沙鳥を甘やかすのも良くない。

むかーしむかし。はるかむかし

地上波デジタル放送が始まったばかりのころ……

……

そんなにはるかむかしじゃない、
と言いたいけど、反応しないからな。

とある、埼玉に

……

埼玉は一つしかないけど、
反応しないからな。

おじいさんと、おばあさんと……

黒服の男がおったそうな……

……

怪しいやつ一人まざってるけど。

三人は……

幸せに暮らしましたとさ

……

終わっちゃったけど!

いや、
終わってくれていいんだけど……。

本当に本当に幸せに暮らしましたとさ

……地下室に隠した大きなスーツケースのことを除いては……

犯罪の匂いがするけど!

僕はたまらず念じてしまった。

ちょっと芯条くん。まだ稽古中ですよ。稽古場に入ってこないでくださいよ

稽古の声が全部洩れちゃってるんだよ

稽古だからって手を抜くなんて、私はできません。いつだって全力です

その情熱を授業に向けてくれよ

だいたい、なんで急に昔話なんだよ

実はですね。妊娠したんですよ

……はい?

とんでもない告白。

あ、親戚のお姉ちゃんがです

だろうな

そうでなきゃ困る。

で、それと昔話と何の関係があるの?

もう、鈍いですね

ニブちんです、芯条くん

ニブのちんです

それ分けない方がいいよ

つまりです。親戚のお姉ちゃんに子供が生まれたら、今度は私が親戚のお姉ちゃん、ってことです

親戚のお姉ちゃんたるもの。昔話の一つや二つ、できないと格好つかないです

気が早いだろ

いやー、子供ってびっくりするくらい早く成長しますし

いくつなんだ沙鳥さん

でも、別に新しい昔話作る必要ないんじゃないの?

たしかに作る必要はないですが

作りたいんですもん

子供か

でも、意外といいお話が思いつかないんですよね

それはすごく伝わった

昔話っていうより、
ミステリーだったもんな。
さっきのやつ。

だいたい昔話って、なんで決まっておじいさんとおばあさんなんです?

たしかに、なんでだろうな

ひいおじいさんと、ひいおばあさんじゃだめですか?

それじゃあんまり変わんないよ

それに、だいたい、いいおじいさんと悪いおじいさんが出てきて、悪いおじいさんが痛い目にあいますよね

こぶとりじいさんとか?

ええ。まさに

でも、あの悪いおじいさんだって、きっといいところあると思うんですよね

なんか面倒くさいこと言い出した。
いや、
ずっと面倒くさいんだけど。

きっと悪いおじいさんは、段ボールに捨てられた子犬を見て――

『こいつは俺に似てる』

――って、連れて帰っちゃったりするんです

悪いおじいさんっていうか、不良少年だな

でも家でこっそり子犬を飼ってるのを、一緒に住んでるいいおじいさんに、見つかっちゃうんですよね

同棲してたっけ、その二人

いいおじいさんは、悪いおじいさんをとがめます

『ちょっと、悪いおじいさん? なんです、その小汚い動物は?』

その人、本当にいいおじいさんかな

悪いおじいさんは言います

『だ、だってさ。こいつが晴れた日に、公園で寝そべって、ひなたぼっこしてて……』

『かわいそうだったんだよ!』

あんまり、かわいそうじゃないけど

いいおじいさんは言います

『まあ、なんてけがらわしい! そんなケダモノ、もといたところに返してらっしゃいな! しっし!』

なあ、その人、本当にいいおじいさんか?

なんなら、おじいさんかどうかもあやしいぞ

『それと、家では姫じい様とお呼び!』

世界観どうなってんの?

悪いおじいさんは言います

『わかりました。姫じい様』

弱いな、悪いおじいさん

『姫じい様……。それじゃあ、こちらの子猫の五つ子も捨ててまいりますね』

そんなにかくまってて、よく今までばれなかったな

いいおじいさんは言います

『やーん、猫ちゃんはいいの~!』

ただの猫派だったんだな

それから二人は、日本刀で殴りあいのケンカです

それは殴り合いなのか?

そのときにできたのが、あのコブというわけですね

前日譚だったんだ

だから、芯条のおじいさん

誰がおじいさんだ

私はいいおじいさんとか、悪いおじいさんとか、一方的に決めつけてしまうのって、よくないと思うんです

完全な人間なんていません。いいおじいさんだって、悪いところがありますし

悪いおじいさんだって、初恋のあの子との思い出は今も胸の中に……

……何の話してたんだっけ?

だから私は、自分で昔話を作るなら――

そうだ。
昔話を考える時間だ。

いや待て、
それ以前に英語の時間だ。

――大人の価値観を押しつけたくないんです

未来の子供たちのために……

そ、そう……

なんだこの、
突然のメッセージ性は。

何事も決めつけはよくないですよ

……あの、ところで沙鳥さん。

なんです?

そろそろ授業終わるんだけど

沙鳥のせいで僕が先生の話をちっとも聞けなかったことについては、どうお考えですか?

それなら大丈夫です

なぜ?

芯条くんは将来、英語を使う仕事なんて絶対しません









決めつけられた。

雑念の11 むかしばなし

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