僕には、同じクラスに一人、
小さい頃から知っているやつがいる。

まあ、向こうはいまだに小さいけど。

名前は、柿月句縁。
「かきづき・くえん」だ。
ちびで口の悪い、せわしなく動くやつ。
ちなみに女子だ。

休み時間になると、
句縁は僕の前の宇佐美の席を占領して、
僕に他愛もない話をしかけてくることがある。

本来、休み時間なのだから、
他愛もない話で別にいいんだけど、
ある事情により、
休み時間に勉強する必要がある僕としては、
付き合ってもいられなかったりする。

……

その句縁がいつものように、
宇佐美がトイレに行った隙をついて、
そこに居座りはじめた。

しょうがない。
前の時間に解き損ねた問題を解くために、
教科書を開いていた僕だったけど、
仕方なく閉じた。

あんまり放っておくと、すねるからな。
句縁は。

……

僕がいつものように、
「しんいち、しんいち」
と呼ばれる準備を心の中でしていると、
句縁はくるりと横を向いた。

……あれ?

そして、句縁は隣、
つまり僕から見て斜め前の席の、
机に突っ伏している女子に声をかけた。

さとりさん、さとりさん

沙鳥は、授業で指されたとき以外、
ほとんどしゃべらない女子だ。

その物憂げで伏し目がちな瞳と整った顔立ち。
寡黙で大人びた雰囲気から、
一部の男子からは密かに人気がある。

ただ、
その一部の男子が知らない重要な情報を一つ、
僕は知っていた。

……え、私ですか……?

沙鳥は僕と同じ、
テレパスと呼ばれる能力者なのだ。 
声を出さなくても頭の中だけで会話ができる。

そして、沙鳥はその能力をフル活用して、
授業中に僕の思考を乱しまくる。

結果として、僕は授業をまともに聞けず、
休み時間にまで勉強をする羽目になっている。

沙鳥に清楚なイメージを持っている男子にも、
その事実を教えてやりたいものだ。

それはさておき。

そんな、
傍目には「近寄りがたい」と認識されている沙鳥に、
句縁が普通に話しかけている。

これはちょっとした一大事。

さとりさん、ねてんのかー?

いや、そいつ寝てないぞ。

……寝てます……

ほら、起きてる。

ねてんのか。じゃー、しょうがねー。しんいちでいいや

句縁は僕の方に向き直った。

なー、しんいち

句縁は椅子をカタカタ前後に揺らしながら言った。

きょう、たいそうぎわすれちまってさー

今日、体育なかったろ?

あのなー。うちは、しんいちとちがって、うんどーぶなんだよ

さんびゃくろうじゅうごにち、たいそうぎいるっちゅーはなし

じゃあ、忘れるなよ

にんげん、だれにでもあやまちはあんだよー

だからさー

そして句縁は信じがたいことを言った。

たいそーぎ、かしてくんねー?

……

だめだろ

だよな。やっぱ

そりゃそうだ

サイズてきに

倫理的にだよ

やっぱ、そっちかー

僕の名前がしっかり書いてある体操着を、
句縁が着てたら大問題だろう。

せいりてきにうけつけねーか

意味変わってきてるけど

じゃー、やっぱさとりさんにかりねーとな

どっちにしろ、サイズ合わないんじゃないの?

沙鳥の背は低いほうだけど、
それでも規格外の句縁とは開きがある。

しっけいだな

そんなこといいだしたら、うちとサイズあうやつなんかひとりもいねーよ

なんか開き直らせてごめん

まあ、ゆるす

でも、なんでわざわざ沙鳥に借りるんだ?

僕が知る限り、
二人は特別、仲がいいわけでもない。

まともにしゃべったことなんか、
たぶんないだろう。

いや、じつはここだけのはなし、なんだけどよー

なんだ?

句縁は耳打ちしてきた。

なんとなく!

耳打ちの必要あったか?

さとりさんなら、かしてくれそーなきーしたんだよ

そうかなあ?

句縁……

そもそも、それこそ今日体育なかったんだから、みんな体操着持ってきてないと思うんだけど

さとりさんが、うっかりもってきてるかのうせいにかけた

なんで沙鳥限定だよ?

おんなのかん

女らしくないくせに。

僕は、
句縁に気づかれないように、
沙鳥にテレパシーで話しかけた。

沙鳥。話聞いてた?

……ええ。聞こえてます

体操着持ってたりしないよな?

うっかり実はサブバッグに

おんなのかん、あなどれない。

句縁に貸してやったら?

うーん。今日は着ないので、別に構わないですが……

……では、芯条くん

私のサブバッグから私の体操着を出して、柿月さんに渡してあげてください

……

……はい?

私の体操着を、柿月さんに渡してあげてください

なんで僕が?

芯条くん。体操着渡すの、得意でしたよね?

そんなピンポイントな特技はない

やればできます

あのね、沙鳥さん

僕が突然、沙鳥のバッグを開いて体操着を取り出したら、すごく不審だとは思いませんか?

職員会議に発展するレベルの不祥事だ。

大丈夫です

他ならぬ私が許可してます

許可してる事実が、周囲に伝わってないんだよ

顔、上げてさ。句縁の話聞いて、直接渡せよ

うーん、それはちょっと

私……、苦手なんですよね

何が?

その……、体操着渡すの

そんなピンポイントの苦手はない

ひょっとして沙鳥。句縁が苦手なの?

ええ。まあ

そんなところです

別に悪いやつじゃないけど

悪い人だとは思ってません

ただ、なんていうか、その

柿月さんって、変なこと言うので

それはむしろ気が合いそうな点だけど

ねてんじゃー、しょーがねーか

椅子をカタカタさせながら、
沙鳥の寝顔を見つめていた句縁が言った。

しゃーねー。ぶかつはしたぎでやるしかねーか

句縁が暴挙に出ようとしている。

沙鳥。このままだと句縁が伝説作っちゃうからさ

……それは問題ですね……。わかりました……

……

沙鳥は、
今まで寝ていたとは思えない速さで、
不意にすっと頭を起こした。

不自然すぎる。

あ、おきた

……

句縁が気がつくと、
沙鳥はわざとらしい伸びをした。

不自然すぎる。

なーなー、さとりさん。おねがいがあんだけどよー

沙鳥は無言のまま、句縁を見つめた。

……

あ……、えっとそのー、うち……

沙鳥のまっすぐな視線に、たじろぐ句縁。

……

沙鳥は、
机の脇にかけてあったバッグを手に取ると、
体操着を取り出して、すぐに句縁に差し出した。

いや、
だから不自然だって。

……

へ?

使ってください

沙鳥の声が響く。

僕の頭にだけ。

……かりていいの?

……

沙鳥は薄い笑みを浮かべて、
黙ってうなずいた。

サンクスな!

……

句縁が体操着を受け取ると、
沙鳥はおもむろに席を立った。

今からどこに行くんだよ、休み時間もう終わるぞ?

間がもたないので、逃げます

どんだけ人見知りなんだよ

沙鳥はクールな表情のままで、
颯爽と去っていった。

いやー、助かったぜ

しかし、むごんでわたされるとはな!

……失礼なやつだな

しかし、句縁はキラキラした眼で、
去っていく沙鳥を眺めていた。

ばか! かっけーよ!









お前も一部男子の仲間だったのか。

pagetop