春乃

勝負だ、蓮見奏多(はすみかなた)!

刀を抜き放ち、彼女は叫んだ。

美しい女である。
白く透きとおった肌に、艶やかな長い黒髪。
鼻筋は通っていて、厚めの唇は桜色に色づいている。

びっしりと生えそろった睫の下の黒曜石の瞳は強い光を宿し、とても魅力的だった。
 

ただ解せないのは、その格好である。
今、彼女は白の小袖に紅の袴という下着同然の格好をしていた。

彼女の周りには脱ぎ捨てられた上着が散らかっている。
 
黙っていればきれいなのに、と俺は呟いた。
 

蓮見奏多(はすみかなた)。23歳。
蓮見家の棟梁、蓮見陽一(はすみよういち)の長男だ。

母は蓮見陽一の最初の正妻、白石いづみ。
長男にもかかわらず相続権を取り上げられ、こうして人質同然に夢の女帝の許へと嫁がされた。
 

目の前のこの美しい少女がその春龍女帝(はるたつじょてい)だ。

19歳の、うら若い乙女。
名を夢梨春乃(ゆめなしはるの)という。
 

…そう、女帝と言えど、まだ年若い少女。
すぐにでも自分のいいなりにできる。

――そう思っていたのは、間違いだったようだ。
 

俺は溜息をつき、目の前の少女を見上げた。
 

式も終わり、ふたりの寝所へとやってきていた。

手筈どおり彼女を手に入れようと甘い言葉を囁き抱きしめたところ――、くちづけをかわされた上に、このざまだ。

奏多

どうしました、姫君?

春乃

ええい、その言い方も気に食わぬ!

さきほど抱きしめた時の反応からして、彼女はそうとう初心なようだ。
俺を突き飛ばした時も、彼女は真っ赤になっていた。

そんな反応をかわいらしいと思い、もっと先まで進めようとしたところ、こうなってしまった。

春乃

わたしはおまえが気に入らぬ。だから戦え!

なんだかえらく突飛な話だが、少女はいたって真剣な顔をしている。

俺は笑いながら立ち上がった。

奏多

どうか静かに。…こんな夜に騒ぐのは、風情がないというもの。

春乃

うるさいうるさいっ!

彼女はなおも叫び、刀の切っ先を俺の方に向けた。

春乃

勝負しろ、蓮見奏多。わたしは自分より弱い男は嫌いだ!

どうやら落ち着きを失くしているらしい。

なんだかひどく侮辱的な言葉を掛けられたような気がしなくもないが、それも初心な乙女の素直になれない態度だと思えば愛らしく思えないでもない。

奏多

私も、武家の男ですから。それなりに剣の腕には自信があるつもりでしたが…

これ以上彼女の機嫌を損ねるのは得策ではないと、俺は至極丁寧に答えた。

春乃

ならば刀を抜け!言葉だけでは信じられぬ

これでは話は進まない。
形だけでも付き合ってあげた方がいいのだろうか?

だが困った。
まともな稽古を積まずに自己流で剣を学び、戦いの場でしか剣を抜いたことのない俺には、手加減というものがいまいちよくわからない。

下手に剣を抜いて彼女の柔肌に傷でもつけてしまったら困る。


そう考えるくらいには、俺はその時落ち着いていた。…のに。

春乃

勝負しないのは勝てる自信がないからか?

その時、彼女はそう言って唇の端を持ち上げた。

その態度に少し腹が立って、俺は大人げないことをしてしまったように思う。
 

気がつくと俺は彼女の手から刀を奪い、その細い肢体を床の上に押し倒していた。

奪った刀を、わざと彼女の顔の横に刺す。
ひゅっと風を切る音がして、彼女が息を呑む。

俺はそんな彼女の様子を黙って見下していた。

怒りに身を任せれば、顔から感情など消え失せる。
我ながら今、俺はひどく冷たい目をしていることだろう。

奏多

うるさい女は嫌いです

そう言ってそのなめらかな頬を撫ぜると、びくりと肩がふるえる。

戸惑うような、こちらの様子をうかがうような少女の目に、だんだん欲望が湧いてくる。

奏多

今ここで、黙らせてあげましょうか

誘われるようにして唇を寄せようとしたところ、ふいと避けられてしまった。

奏多

そんなに動いては危ないですよ

視線で刀の方を示すと、今まですっかり忘れていたのだろう。
彼女はかすかに目を見開いた。

それから、俺の方を見る。
その目の中に怯えた色を見つけて、俺は昂った。
 
それから、また顔を寄せようとすると。

春乃

やめろっ

そう叫ぶ彼女の目に、涙が浮かんでいる。

春乃

やめてくれ…

奏多

…姫君…?

さすがに少し脅かしすぎたのだろうか?
そう思い顔を伺う俺に、彼女は涙声でこう言い放った。

春乃

好いた男がいるんだ…

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