優華

待ってください

あたしは恥ずかしさから震える手で、なんとか彼の着物の裾をつかんで言った。

彼が立ち止り、あたしの方を見た。


あたしは彼の美しさに思わず見とれ、目を離すことなんてできなかった。
 
彼は本当に、美しい方だった。

白く透きとおった肌と、艶やかに流れる黒髪は、女であるあたしから見てもうらやましいくらい。
顔立ちは整っていて、切れ長の目に見つめられると胸がきゅぅっと苦しくなった。

病弱と聞いていたため、もっとこう…青白くて、小さい方を思い浮かべていた。

だが、目の前にいるこの方は、痩せてはいるものの背はかなり高い方だ。
背の低いあたしでは、彼の肩ほどにも届かない。

さきほど…だ、抱きしめられた時などは、…むしろ、力強くて鍛えている体のように感じた。
 

この方が、あたしの夫となる方……
 

正直、父から縁談の話を聞かされた時は絶望した。

つい先日まで父は天下を巡ってこの家と戦をしていた。
そんな敵ともいえる家に、人質同然に嫁げと言われたのだ。

見捨てられたのだと思った。
もともと、父はあたしのことを疎んでいたから。
 

でも、今夜この方にあって、こんなに美しく、優しい方ならいいかもしれないと――そう、思ったのに。
 


それなのにどうして…
 

あたしは、泣きそうになるのを必死にこらえて口を開いた。

優華

…行かないで、ください…

さきほど彼に抱きしめられ、首にくちづけられたときは、本当に驚いた。

こんなことをしなければならないなんて、誰も教えてはくれなかった。

…おかしな声も出た。
あの時、なにか粗相をしてしまったのだろうか?

優華

…なにが、いけなかったのでしょうか?あ、あたし…、ぜんぶ、なおしますから…っ

最後まで言えなかった。
声が震えて、だめだ、と思った時には涙があふれてしまっていた。

あたしは必死で涙をふく。
こう言うところがいけないのだ。

泣くたびに、父から怒鳴られた。
そして泣けば泣くほど、あたしは父の機嫌を損ねてしまっていた。

優華

…ご、ごめんなさっ…

しかし、謝罪の言葉はそれ以上紡げなった。
 
気が付くと、彼にきつく抱きしめられていた。

優華

…っ!?

先程の続きだろうか。
そう思いあたしは体の力を抜いて彼に体を預けた。

しかし、彼がそれ以上動くことはなかった。
彼はあたしの体を抱きしめたまま。
動く気配もない。

彼の抱擁がきつくて、息をするのでさえ苦しい。
でも、その苦しさでさえ心地いいと思ってしまった。

こんな風に、誰かに抱きしめられるのは何年ぶりのことなのだろう。

優華

戴輝さま…

どうすればいいのかわからないまま、本能的にあたしは彼のぬくもりを求めた。

彼の背に腕を回し、彼の名を読んだ瞬間、彼の体が離れた。
急になくなったぬくもりに、喪失感を覚える。

戴輝

…すまない

ぽつりと呟かれる声に、なぜか悲しくなってしまう。

戴輝

君を自分のものにする気なんてない、そう言ったのは僕の方なのに…

切なく響くその声。
あたしは思わず訊いていた。

優華

どうしてですか…?

すると彼は、一瞬顔をしかめた後――、ためらいがちに口を開いた。

そうして、あたしに彼の抱える大きな問題のことを素直に話してくれたのだった。

pagetop