やっと天気が良くなりました。

久々に左大臣邸に向かわれた源氏の君は、葵姫を見て思案にふけります。


なるほど、真面目な妻、というのにはぴったりかもしれません。
この人は美しく教養もあり、どこに出しても恥ずかしくない妻です。

しかし、この取り澄ました感じはとっつきにくくて困る、とお思いになるのでした。

 
未だに葵姫とお話しするのが苦手なのか、源氏の君は女房達と御冗談を言い合い楽しまれるのでした。

その日は左大臣邸の方角が不吉だということで、方違えをする必要が出てきました。


二条院も同じ方角であるのでどこに向かおうかと悩んでいると、紀伊守(きいのかみ)の邸が良いのではと従者が申し上げました。


紀伊守の御邸は最近川の水を堰き入れて涼しい場所になっているそうです。
それは好ましいと源氏の君も思われます。
 

実際にご覧になると、なんとも趣深い御庭でございました。

涼しい風が吹いていて、どこからともなく虫の鳴き声が聞こえます。
あたりを飛ぶ蛍も美しく、良い邸だと思われます。


源氏の君はゆったりと庭を眺められながら、そういえば、あの人達がおっしゃっていた中の女と言うのはこのような所の女かとお思いになるのでした。
 

ふとご覧になると、西の方の部屋に人の気配を感じました。
衣擦れの音とともに、若い女の声が聞こええます。


残念ながら姿は見えませんが、その小さく聞こえる声に耳を澄ませていらっしゃると、どうやら源氏の君の噂話をしているようです。

あのように素敵な方なのに、高貴な正妻がいらっしゃるとは残念だわ。

いえいえ、隠れて他の方のもとへ通ってらっしゃるそうよ。

などと、式部卿宮(しきぶきょうのみや)の姫君に朝顔の花を贈った時のことなどを面白そうに話している。


特に面白いこともないので、源氏の君は途中までお聞きになった後おやめになりました。

その夜、源氏の君は独り寝の寂しさになかなか寝付くことが出来ずにいらっしゃいました。


その時、奥のふすま障子の向こうに人の気配を感じ、耳をお澄ましになります。


若い女の声がします。
しばらくして皆寝静まったようなので、襖に近づくと鍵がかかっているふうでもありません。


源氏の君はそのまま襖を開けられると、向こうの部屋へ進むのでした。

源氏の君

人知れず貴女をお慕い申し上げておりました。

と急に声が聞こえるものですから、女は驚き

きゃっ

と小さく悲鳴をあげます。

源氏の君

突然こんなことをすると一時の戯れだと思われるかもしれませんが、長年お慕い申し上げていた私の気持ちをどうかお聞き下さい。

源氏の君はとても優しくおっしゃるので、女は声をあげる方が悪いことような気がしてきて、

人違いでございましょう。

と言うのが精一杯のようでございます。

源氏の君

人違いなどであるはずがございません。これほどまでに貴女のことを思っているのに。

と抱き上げて連れて行こうとすると、女は泣き始めました。

私のような中流の者にも、中流の者なりに大切なものがあるのです。
こうして戯れに扱っていいものと貴方に思われているのが悔しくて堪えられません。
独り身ならばいざ知らず、人の妻である私にこのような戯れはおやめください。


泣きながら訴える姿は哀れでございました。
このようなことは初めてで源氏の君は戸惑ってらっしゃる様子です。

無理にどうこうすることもお出来にならず、その日は身を引かれたのですが、このような機会も滅多にありませんので、もう会うことは出来ないかもしれないと口惜しく思われるのでした。

pagetop